「全部お見通しだ!」の爽快感と、救われない結末のビターな味。

2000年、ミレニアムに沸いたあの年の夏。金曜の深夜、ひっそりと始まった一本のドラマがある。その名は『TRICK』。自称・天才マジシャンの山田奈緒子と、自称・天才物理学者の上田次郎。奇妙で、どこか社会に馴染めない二人が、インチキ霊能力者たちの仕掛けた「トリック」を暴いていく物語である。

あれから20年以上が経ち、世の中はすっかり変わった。それでも、ふとした瞬間にあのドラマのことを思い出す。

山田の「お前らのやったことは、全部お見通しだ!」という決め台詞。
事件の後に必ず流れる、鬼束ちひろの『月光』の物悲しいメロディ。
そして、くだらないことで言い争いながらも、決して離れることのない二人の姿が。

第1シリーズを再見すると、このドラマが放つ独特の空気が、今もまったく色褪せていないことに気づかされるのである。本稿では、その理由を探求する。

目次

深夜だから許された、「くだらなさ」と「物悲しさ」の奇妙な同居

『TRICK』が生まれたのは、テレビ朝日の「金曜ナイトドラマ」という、始まったばかりの実験的な枠であった。潤沢な予算があったわけではない。最初の事件「母之泉」のロケでは、撮影隊がロケ地の建物に泊まり込みで撮影していたという逸話もあるほどである 。

しかし、その「足りなさ」こそが、このドラマに唯一無二の魅力を与えた。監督の堤幸彦は、サスペンスの合間に脈絡のないギャグを挟み込み、画面に奇妙なテロップを躍らせる 。
脚本の蒔田光治は、アガサ・クリスティーを彷彿とさせる骨太なミステリーを紡ぎ出す 。この二つの才能がぶつかり合うことで、「くだらないのに、怖い」「笑えるのに、悲しい」という、奇妙なバランスが生まれたのである。

この絶妙な空気感は、深夜という時間帯だからこそ許されたのかもしれない。コンプライアンスが厳しくなった今の時代では、山田の貧乳イジリや数々の下ネタは、きっと放送できなかったであろう 。あの頃のテレビが持っていた、少しだけ自由で、少しだけ尖った空気が、このカルト的な名作を生み出したのだ。

最高のコンビ、山田と上田が生まれるまで

この物語の心臓は、なんといっても山田奈緒子(仲間由紀恵)と上田次郎(阿部寛)のコンビである。

仲間由紀恵は当時、民放の連続ドラマ初主演であり、現場では常に緊張し、大先輩である阿部寛や生瀬勝久に頼ることばかりだったと語っている 。一方の阿部も、上田という三枚目の役は未知の領域で、当初はどう演じるべきか手探りであったという 。

そんな二人が、回を重ねるごとに、互いにアドリブを交わし、唯一無二の呼吸を掴んでいく。最初は金銭と名誉のための打算的な関係だったはずが、いつしか互いにとって、なくてはならない存在になっていく。その過程が、第1シリーズには生々しく刻まれている。

出典:web ザテレビジョン

彼らの関係は、よくある恋愛や友情とは少し違う。お互いを平気で見捨てたり、裏切ったりもする 。けれど、本当に危険な時には、必ず互いを助けようとするのである。

特に、臆病者のはずの上田が、島の因習に囚われた奈緒子を救うため、たった一人で黒門島に乗り込む最終章は、二人の関係が決定的に変わった瞬間であった 。
社会にうまく馴染めない、不器用な二人が、互いの存在の中にだけ、ありのままの自分でいられる場所を見つけた。そんな「魂の腐れ縁」とでも言うべき特別な絆に、私たちはどうしようもなく惹きつけられるのである 。

忘れられない、あの後味の悪い事件簿

『TRICK』の魅力は、ただ面白いだけではない。むしろ、その「後味の悪さ」にこそ、本作の本質が隠されているように思われる 。

「母之泉」が残した問い

出典:テレビ朝日

    最初の事件で、奈緒子たちは教祖のトリックを暴く。しかし、その結果、教祖は自殺し、救いを求めていた信者たちは拠り所を失ってしまう 。信者の一人が吐き捨てる「ほんとにあいつらを救おうとしたのはどっちか?」という言葉は、重く突き刺さる 。

    たとえそれが偽りだとしても、信じることで救われていた人々がいた。その幸福を壊してまで暴く「真実」に、果たして価値はあるのであろうか。

    「パントマイムで人を殺す女」の完全敗北

    出典:テレビ朝日

      シリーズ屈指のトラウマ回として名高いこのエピソードでは、奈緒子と上田は犯人のトリックを見破りながらも、法の下で裁くことができず、完全な敗北を喫する。

      犯人が最後に言い放つ「不思議なことを不思議なまま受け止める。その方がずうっと豊かなことじゃ、ないのかしら?」という言葉 。それは、論理や理屈だけでは割り切れない世界の複雑さを、私たちに突きつけるのである。

      「千里眼の男」の残酷な一言

      出典:テレビ朝日

        インチキ霊能力者の詐欺を暴いた奈緒子たち。しかし、その霊能力者を信じていた病気の少年が、最後に問いかける。「先生、僕治らないの?死んじゃうの?」。それに対し、男は冷たく言い放つ。「そうだよ、先生はインチキだからね」。希望という名の嘘が剥がされた瞬間の、あのどうしようもない絶望感。

        これらのエピソードは、『TRICK』が単なる勧善懲悪の物語ではないことを示している。人間の弱さ、信じることの脆さ、そして真実が必ずしも人を救うとは限らないという、世界の不条理そのものを描いているのである。

        なぜ、私は『TRICK』に惹かれ続けるのか

        第1シリーズの最終話、奈緒子は自らの故郷「黒門島」で、自分がシャーマンの血を引く者であり、その力で父を死なせてしまったかもしれないという「呪い」と対峙する 。彼女が必死に超常現象を否定し続けたのは、この拭い去れない罪悪感から逃れるためだったのかもしれない 。

        そんな彼女の最大の理解者が、皮肉にも科学の信奉者である上田次郎であった。彼が「この世に超常現象などない」と断言してくれることが、奈緒子にとってどれほどの救いであったことであろうか 。

        事件が終わり、すべてが解決したかのように見えても、そこには必ず癒えない傷や、やりきれない思いが残る。そんなやるせない夜に、鬼束ちひろの『月光』が静かに流れ始める。あのイントロが聞こえてくるだけで、コメディの仮面が剥がれ落ち、物語が内包していた本来の物悲しさが、胸に迫ってくるのである。



        20年以上経った今も、『TRICK』が私の心を掴んで離さないのは、この作品が「信じること」と「疑うこと」の狭間で揺れる、人間のどうしようもない愛おしさを描き続けているからであろう。

        先の見えない不安な時代だからこそ、山田と上田の不器用な絆に、小さな光を見出そうとするのかもしれない。

        もし日常に疲れたならば、久しぶりにあの怪しげなアパートの扉を開けてみるのも一興であろう。きっと、あの頃と変わらない二人が、あなたを待っているはずである。

        この記事が気に入ったら
        フォローしてね!

        よかったらシェアしてね!
        • URLをコピーしました!
        • URLをコピーしました!

        コメント

        コメントする

        目次