【ネタバレ徹底解説】映画『ある閉ざされた雪の山荘で』の三重構造トリックと結末を考察|原作との違いから「役者の業」まで

東野圭吾の「映像化不可能」ミステリー、スクリーンへ

2024年1月12日に公開された映画『ある閉ざされた雪の山荘で』は、日本を代表するミステリー作家・東野圭吾が1992年に発表した同名の傑作小説を原作とするサスペンス・エンターテインメントである 。原作小説は、その巧妙なプロットと読者の先入観を利用したトリックから、長らく「映像化は不可能」とされてきた 。この難解な挑戦に、『ステップ』や『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』で知られる飯塚健監督と、重岡大毅を単独初主演に迎え、中条あやみ、間宮祥太朗、西野七瀬といった若手実力派俳優陣が集結した 。  

この「映像化不可能」という評価は、単なる宣伝文句以上の意味を持つ。それは、本作が単に物語を語るだけでなく、小説という文字メディアでしか成立し得ないトリックを、いかにして映画という映像メディアの言語に「翻訳」するかに挑んだ作品であることを示唆している。

主題歌であるWEST.の「FICTION」が、虚構と現実の境界線で揺れ動く本作のテーマを象徴しているように、観客は物語の謎を追いながら、同時に「映画」という表現そのものが仕掛けたトリックに対峙することになるのである 。  

属性 (Attribute)詳細 (Details)
公開日2024年1月12日  
原作 東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』(講談社文庫)  
監督 飯塚健  
主演 重岡大毅 (久我和幸 役)  
主なキャスト中条あやみ, 岡山天音, 西野七瀬, 堀田真由, 戸塚純貴, 森川葵, 間宮祥太朗  
上映時間 109分  
主題歌 WEST.「FICTION」  
配給ハピネットファントム・スタジオ  
目次

II. 物語の概要:閉ざされた山荘で始まる「死のオーディション」

物語は、劇団「水滸(すいこ)」に所属する6人の役者と、唯一の部外者である久我和幸(重岡大毅)のもとに、新作舞台の主演の座をかけた最終オーディションの招待状が届くところから始まる 。オーディションの舞台は、人里離れた山荘。そこで彼らは4日間の合宿に臨むことになる。  

演出家の東郷からのメッセージにより、彼らに与えられたシチュエーションは「大雪で孤立し、外部との連絡が一切遮断された山荘」という、いわゆるクローズドサークルの設定であった 。シナリオは与えられず、この状況下で起こる出来事に即興で対応することが求められる。やがて、設定通りに「殺人事件」が発生し、参加者が一人、また一人と姿を消していく。残された者たちは、これが本当に演技なのか、それとも現実の殺人事件なのかという疑心暗鬼に囚われる。虚構と現実の境界線が曖昧になる中で、彼らの心理的な駆け引きが繰り広げられていくのである 。  

III. 【ネタバレあり】物語の深層:あらすじと明かされる「三重構造」の真相

本作の核心は、単純な犯人当てミステリーではなく、幾重にも重なった嘘と真実が織りなす「三重構造」のトリックにある。ここでは、その構造をネタバレありで時系列に沿って解き明かしていく。

第1層:表向きの「オーディション」

山荘に集められた7人の役者たち。彼らは演出家・東郷からの音声メッセージによって、「これは最終オーディションであり、設定は雪で閉ざされた山荘での連続殺人事件である」と告げられる 。  

  • 1人目の犠牲者:笠原温子(堀田真由)
    2日目の朝、参加者たちは「笠原温子が殺害された」という設定を知らされる。しかし、彼女の死体はなく、現場にはメッセージが残されているだけだった。この時点では多くのメンバーがこれを演技の一環として受け止める 。  
  • 2人目の犠牲者:元村由梨江(西野七瀬)
    3日目の朝、今度は元村由梨江が「殺害された」と告げられる。しかし、今回は状況が違った。凶器とされる花瓶には、本物と思われる血痕が付着していたのである 。これにより、「これは本当に事件なのではないか」という恐怖と疑念がメンバー間に広がり、物語の緊張感は一気に高まる。  

第2層:麻倉雅美による「復讐劇」(第一のどんでん返し)

物語が終盤に差し掛かると、このオーディションそのものが偽りであったことが明らかになる。真の主催者は、劇団の演出家・東郷ではなかった。

この計画を仕組んだのは、劇団「水滸」の元劇団員で、圧倒的な才能を持つ女優・麻倉雅美(森川葵)と、彼女に協力する劇団のトップ俳優・本多雄一(間宮祥太朗)であった 。麻倉は過去、オーディションに落選した直後、笠原、元村、そして雨宮京介(戸塚純貴)の3人が原因となった事故で下半身不随の障害を負っていた 。  

彼女はその復讐のため、この偽のオーディションを計画。山荘内に隠されたカメラと盗聴器を通して、3人が恐怖に怯える様を別の部屋から監視していたのである。参加者たちが体験していた連続殺人の恐怖は、麻倉が脚本を書き、本多が実行する復讐劇だったのだ 。  

第3層:本多雄一による「救済劇」(第二のどんでん返し)

しかし、物語はここで終わらない。さらなる真相が、この復讐劇の裏に隠されていた。

本多は麻倉の復讐に協力していたが、彼の真の目的は、彼女を本物の殺人者にも、復讐の念に囚われたままにもさせないことだった。彼は、麻倉には内緒で、復讐のターゲットである笠原、元村、雨宮の3人に接触し、すべてを打ち明けていた。そして、「麻倉の復讐劇が成功しているように見せかけるため、殺される役を演じてほしい」と依頼していたのである 。  

つまり、笠原たちが消えていく様は、麻倉の復讐劇を「演じていた」に過ぎなかった。本多の真の狙いは、演劇の力を使って麻倉の歪んだ復讐心を昇華させ、彼女を再び舞台の世界に引き戻すこと。この壮大な計画こそが、物語の最後の真相、「三重構造」の核心であった。

この複雑な構造は、単なる驚きのためだけのものではない。それは、物語のテーマである「役者の業」を段階的に深く掘り下げていくための装置として機能している。第1層は役者としての競争、第2層はそこから生まれる嫉妬や憎悪という負の側面、そして第3層は、演劇が持つ人を救う力、すなわち「業」の昇華を描いている。この構造そのものが、物語のテーマを体現しているのである。

構造 (Structure)目的 (Purpose)主導者 (Mastermind)参加者の認識 (Participant Perception)
第1層 (Layer 1)劇団の新作舞台の主演オーディション (Audition for a new play)東郷陣平 (Togo Jinpei) (名目上/Nominal)これは演技の最終試験である (This is a final acting test)。
第2層 (Layer 2)過去の事件に対する復讐 (Revenge for a past incident)麻倉雅美 (Asakura Masami)これは本物の連続殺人事件かもしれない (This might be a real serial murder)。
第3層 (Layer 3)麻倉を殺人者にせず、演劇に引き戻す (To save Asakura from becoming a murderer and bring her back to theater)本多雄一 (Honda Yuichi)(久我・田所以外) 麻倉の復讐劇を「演じている」((All but Kuga/Tadokoro) “Performing” in Asakura’s revenge play)。

IV. 登場人物分析:虚構と現実を生きる役者たち

本作の登場人物は、それぞれが演劇界のアーキタイプ(典型的象徴)として描かれ、物語の多層的な構造の中で複雑な役割を担っている。

久我和幸(重岡大毅)

唯一の部外者であり、観客の視点を代弁する探偵役 。彼は第3層の真実を知らないため、その混乱や推理の過程が、観客を物語に引き込む重要な役割を果たす 。彼の目を通して、観客は事件の謎と役者たちの複雑な人間関係を追体験する。  

本多雄一(間宮祥太朗)

一見、無骨で粗野な実力派俳優だが、実は第3層の「救済劇」を仕組んだ真の脚本家であり、物語の道徳的な中心人物 。彼の行動は、麻倉の才能への深い敬意と、彼女を憎しみから救いたいという強い信念に貫かれている 。
 

麻倉雅美(森川葵)

物語の感情的な核。過去の事件の「被害者」であり、第2層の「加害者」、そして最終的には第3層で「救済される者」へと変化する 。彼女の存在は、役者の世界の栄光と挫折、そして芸術を通じた再生の可能性を象徴している。
 

中西貴子(中条あやみ)

自由奔放で才能ある個性派女優 。劇団内の人間関係や噂を久我に伝える情報提供者としての役割を担い、疑心暗鬼に陥る物語の中で、ある種の清涼剤となっている。
 

「被害者」役の3人(笠原温子、元村由梨江、雨宮京介)

彼らは単なるターゲットではない。本多の計画に乗り、自らの過去の過ちと向き合いながら「殺される役」を演じきることで、麻倉の救済に加担する 。彼らの行動は、罪の意識と贖罪への願いを示唆しており、物語にさらなる深みを与えている。  

これらのキャラクターは、当初は演劇界にありがちなステレオタイプとして登場するが、物語が進むにつれてその役割を乗り越えていく。トップ俳優である本多は、自らの地位を利用して他者を救い、被害者たちは最も困難な役を演じることで贖罪を果たす。このキャラクターアークの変遷こそが、本作のテーマ性を色濃く反映している部分である。

V. 原作小説との比較:映像化で生まれた差異と新たな魅力

1992年に発表された原作小説と2024年の映画版では、時代設定の変更だけでなく、物語の根幹に関わる重要な改変がなされている。この差異を理解することは、映画版の独自の魅力を深く味わう鍵となる。

中心トリックの変更

最大の違いは、原作の核であった「叙述トリック」が、映画では採用されていない点である 。叙述トリックとは、文章の特性を活かして読者の思い込みを誘い、意図的に事実を誤認させる手法であり、映像での完全な再現は極めて困難とされる 。映画版では、この文学的な仕掛けの代わりに、前述した視覚的な「三重構造」の劇中劇という、映画ならではのトリックが構築された。  

登場人物のキャラクター造形の変更

トリックの変更に伴い、登場人物の性格も大きく変わっている。

  • 久我和幸
    原作では計算高く、劇団のパトロンの娘である由梨江に近づこうとする野心家として描かれている 。一方、映画版の久我は、最後まで誠実で爽やかな青年であり、観客が感情移入しやすいヒーロー像へと変更された 。
     
  • 本多雄一
    原作では比較的影の薄い実力派俳優の一人であったが、映画では物語全体の鍵を握り、麻倉を救済する中心人物へとその役割が大幅に格上げされている 。  
  • オリジナルのエピローグの追加
    映画版の結末には、原作にはない感動的なエピローグが加えられている。すべての真相が明かされた後、絶望した麻倉は自ら命を絶とうとするが、本多をはじめとする仲間たちに止められる 。彼らは「生きて、また芝居をしてほしい」と説得する。そしてラストシーンでは、この山荘での出来事を基に久我が書き上げた脚本で、舞台「ある閉ざされた雪の山荘で」が上演され、キャスト全員が喝采を浴びる姿が描かれる 。  

これらの変更は、単なる脚色ではない。原作が知的なパズルとしてのミステリーであったのに対し、映画版は登場人物の感情的な救済と再生を描くヒューマンドラマへと、その核となるテーマを意図的にシフトさせた結果なのである。叙述トリックの代わりに感動的なエピローグを選択したことで、それにふさわしいヒーロー(久我)と救済者(本多)が必要となり、キャラクターの改変は必然的なものとなった。これにより、映画は原作とは異なる、新たな感動を生み出すことに成功している。

要素 (Element)原作小説 (1992 Novel)映画 (2024 Film)
中心トリック (Main Trick)読者を欺く「叙述トリック」 (Narrative trick that deceives the reader)  劇中劇が入れ子になった「三重構造」 (A nested “triple structure” play-within-a-play)  
久我和幸 (Kuga Kazuyuki)計算高く野心家 (Calculating and ambitious)  誠実で観客の代弁者 (Sincere and an audience surrogate)  
本多雄一 (Honda Yuichi)やや影が薄い実力派 (A somewhat minor, skilled actor)  物語の鍵を握る中心人物 (A central character who holds the key to the story)  
結末 (Ending)真相が明かされて終わる (Ends with the revelation of the truth)救済と和解を描くオリジナルのエピローグが追加 (An original epilogue depicting salvation and reconciliation is added)  

VI. 考察:この物語は「すべてが舞台」だったのか?

映画を観終えた観客の間で、最も活発に議論されているのが、「第四の層」とも言うべき大胆な考察である。それは、「麻倉の過去の事故や復讐心も含め、我々が観ていた映画の出来事すべてが、実は一つの完成された舞台演劇だったのではないか」という説だ 。  

この説を裏付ける根拠は、作中に巧みに配置されている。

演劇的な演出

劇中、山荘の間取りが俯瞰で映し出され、その上を登場人物が駒のように動くシーンが頻繁に登場する。これは舞台の設計図や舞台演出を強く想起させる 。  

決定的な証拠の不在

物語を通して、決定的な証拠である「死体」が一度も映し出されない。これにより、「すべてが演技だった」という解釈の余地が生まれる 。  

ラストポスターの謎

劇場での入場者特典として配布されたポスターには、キャスト8人全員が写っているが、麻倉雅美が車椅子に乗らずに立っている。これが、「彼女の障害すらも舞台上の設定だった」ことを示唆する最大の伏線ではないかと多くのファンが指摘している 。  

曖昧なカーテンコール

最後のカーテンコールのシーンは、劇中劇の終わりとも、映画全体が「一つの芝居」であったことの終わりとも解釈できる、意図的に曖昧な作りになっている 。  

もしこの「すべてが舞台」説が真実ならば、本作は単なる自己完結した物語から、観客自身を巻き込むメタシネマへと変貌する。我々は「役者についての映画」を観ていたのではなく、彼らが演じる「舞台の観客」だったことになる。そうなると、部外者である久我が都合よく招待された理由など、物語上のいくつかのご都合主義的な点も、「脚本にそう書かれていたから」という形で解消される 。この解釈は、作り手が意図的に仕掛けた、より深いレベルでの観客との知的なゲームであり、作品に繰り返し鑑賞する価値を与えている。  

VII. 映画の評価とテーマ:「役者の業」と観客の反応

本作の評価は、観客の間で大きく分かれている。この賛否両論こそが、映画の核心的なテーマを浮き彫りにしている。

肯定的な評価

多くの称賛は、重岡大毅、間宮祥太朗をはじめとするキャスト陣の卓越したアンサンブル演技に向けられている 。また、二重三重に張り巡らされたプロットの巧妙さや、原作を大胆にアレンジした感動的な結末を評価する声も多い 。俯瞰ショットなどのスタイリッシュな映像表現も、本作の魅力を高めていると指摘されている 。  

否定的な評価

一方で、「前半の展開がスローで退屈だった」「豪華なキャストの無駄遣い」といった批判も少なくない 。ミステリーとしての驚きが足りない、あるいは結末のトリックが強引に感じられたという意見も見受けられる 。  

この評価の分岐点は、本作が伝統的な「フーダニット(誰が犯人か)」ミステリーではなく、「役者の業(ごう)」、すなわち役者という存在の本質や心理を探求する作品であることに起因する。映画は、殺人事件の謎解きよりも、役者たちの内面的な葛藤、嫉妬、野心、そして自らの人生と芸術が一体化していく様を丹念に描くことに主眼を置いている 。  

したがって、スリリングな事件展開を期待した観客は物足りなさを感じ、一方で役者たちの心理劇やメタ的な構造に魅力を感じた観客は高く評価する、という構図が生まれている。本作の評価が分かれること自体が、そのテーマ性の深さと特異性を証明していると言えるだろう。

VIII. 結論:二重三重の嘘の先に見えるもの

映画『ある閉ざされた雪の山荘で』は、単なるミステリー映画の枠を超えた、野心的な作品である。それは、「映像化不可能」とされた文学的トリックを、映画ならではの多層的なパフォーマンスへと昇華させた、見事なアダプテーションであった。

原作の知的なパズルを、登場人物の感情的な救済の物語へと大胆に変換することで、本作は虚構と現実、真実と嘘が交錯する中で、人間の複雑な心理を描き出した。物語の核心にあるのは、役者という職業が持つ「業」である。それは時に嫉妬や憎悪を生み出すが、究極的には他者を救い、自らを再生させる創造的な力にもなり得る。

そして、すべてが芝居だったのかもしれないという最後の曖昧な余韻は、観客に物語とは何か、真実とは何かという根源的な問いを投げかける。二重三重の嘘の先に見えるのは、憎しみからさえも希望を生み出すことができる、演劇という芸術そのものへの力強い賛歌なのである。

Dissecting “The Snowy Mountain Lodge”: Layers of Deception in Keigo Higashino’s Unfilmable Mystery

TL;DR

This article unpacks the 2024 film adaptation of The Snowy Mountain Lodge, exploring its triple-layered narrative structure, major twists, and thematic depth, while comparing it to Keigo Higashino’s original novel.

Background and Context

The Snowy Mountain Lodge (2024) is a suspense film adapted from Keigo Higashino’s 1992 novel, long considered “unfilmable” due to its literary tricks. Directed by Ken Iizuka and starring Daiki Shigeoka, the film challenges cinematic norms by converting textual misdirection into a multilayered theatrical performance.

Plot Summary

Seven actors gather at an isolated lodge under the premise of an audition, only to find themselves in a real-life mystery where fiction and reality blur. What begins as a stage test spirals into a revenge plot—and then reveals itself as a deeper psychological drama with a redemptive twist.

Key Themes and Concepts

  • Triple-layer deception: Audition, revenge, and redemption are structured like nested plays.
  • Actors’ burden (“Gō”): The film reflects on jealousy, ambition, and the emotional toll of performance.
  • Meta-theater: It challenges the audience to question what is real—even the story itself might be “just a play.”

Differences from the Manga

While the novel centers on a narrative trick readable only in text, the film adapts it into a cinematic “play within a play” format, reshaping character arcs and adding a heartfelt original epilogue.

Conclusion

More than a mystery, The Snowy Mountain Lodge becomes a meditation on the power of performance to heal, deceive, and reveal truth—suggesting that perhaps, in the end, everything we watched was staged.


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