1970年夏に公開された「男はつらいよ 望郷篇」は、当初シリーズ完結作として制作されながら、予想外の大ヒットによって方針転換を余儀なくされ、結果として48作まで続く国民的映画シリーズへの道を開いた記念碑的作品である。
出典:FOD – フジテレビ
本作は前作比5割増となる72万7千人の観客を動員し、第25回毎日映画コンクールで脚本賞と主演女優賞を受賞するなど、作品としての評価も極めて高い。
花火の夜に失恋する寅次郎の姿、蒸気機関車D51の力強い走行シーン、そして「徐々に変わるんだよ」という諦観と希望が入り混じった名台詞。本記事では、この傑作の魅力を徹底的に解説する。
基本情報:完結予定だった第5作
1970年(昭和45年)8月26日に公開された本作は、「男はつらいよ」シリーズの第5作目にあたる。監督は山田洋次、脚本は山田洋次と宮崎晃の共同執筆、上映時間は88分である。制作・配給は松竹株式会社が担当し、併映作品として野村芳太郎監督の「なにがなんでも為五郎」が同時上映された。
撮影監督は高羽哲夫、音楽は山本直純が担当し、美術は佐藤公信が手がけた。主演の渥美清をはじめ、倍賞千恵子、前田吟、森川信、三崎千恵子、笠智衆といったシリーズレギュラー陣に加え、テレビドラマ版からの出演者を含む豪華キャストが顔を揃えた。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 公開日 | 1970年8月26日 |
| シリーズ | 第5作 |
| 監督・原作 | 山田洋次 |
| 脚本 | 山田洋次、宮崎晃 |
| 上映時間 | 88分 |
| 制作 | 松竹 |
| 撮影 | 高羽哲夫 |
| 音楽 | 山本直純 |
| 美術 | 佐藤公信 |
キャスト:テレビ版との奇跡の共演
レギュラー出演者
主人公・車寅次郎には渥美清、妹のさくらには倍賞千恵子、さくらの夫・諏訪博には前田吟が配役された。とらやのおいちゃん・車竜造には森川信、おばちゃん・車つねには三崎千恵子、題経寺の御前様には笠智衆が演じている。
また、朝日印刷の桂梅太郎(タコ社長)には太宰久雄、題経寺の寺男・源公には佐藤蛾次郎、さくらと博の息子・諏訪満男には中村はやと(ノンクレジット)がそれぞれ出演した。
マドンナ役:長山藍子の特別な意味
本作のマドンナ・三浦節子を演じたのは、1968〜69年に放送されたテレビドラマ版でさくら役を務めた長山藍子である。浦安の豆腐店「三七十屋(みなとや)」の一人娘で、近所の美容院に勤める明朗快活な女性を好演した。
TV版さくらとして寅次郎と共演していた女優が、映画版では寅次郎の恋の相手として登場するという、ファンにとって感慨深いキャスティングとなった。
ゲスト出演者の豪華な顔ぶれ
節子の母・三浦富子を演じた杉山とく子は、テレビドラマ版でおばちゃん役を務めた女優である。節子の恋人・木村剛を演じた井川比佐志もTV版で博士役を担当していた。さらに、寅次郎の舎弟・川又登役には津坂匡章(秋野太作)、国鉄機関助手の石田澄夫役には松山省二、北海道の竜岡正吉親分役には木田三千雄が配役されるなど、脇を固める俳優陣も充実している。
| 配役 | 俳優名 | 役柄 |
|---|---|---|
| 車寅次郎 | 渥美清 | 主人公・フーテンの寅 |
| さくら | 倍賞千恵子 | 寅次郎の妹 |
| 諏訪博 | 前田吟 | さくらの夫 |
| 三浦節子 | 長山藍子 | マドンナ(TV版さくら役) |
| 三浦富子 | 杉山とく子 | 節子の母(TV版おばちゃん役) |
| 木村剛 | 井川比佐志 | 節子の恋人(TV版博士役) |
| 車竜造 | 森川信 | とらやの主人 |
| 車つね | 三崎千恵子 | とらやのおばちゃん |
| 御前様 | 笠智衆 | 題経寺の住職 |
| タコ社長 | 太宰久雄 | 朝日印刷社長 |
| 源公 | 佐藤蛾次郎 | 題経寺の寺男 |
| 川又登 | 津坂匡章 | 寅次郎の舎弟 |
| 石田澄夫 | 松山省二 | 正吉親分の息子 |
| 竜岡正吉 | 木田三千雄 | 極道の親分 |
あらすじ:「堅気になる」夢と現実(完全ネタバレ版)
序盤:おいちゃんの葬式騒動から始まる物語
物語は寅次郎が見る奇妙な夢から幕を開ける。夢の中で、とらやのおいちゃん・竜造が死の床に横たわり、寅は「みんな俺が悪いんだ」と泣き崩れている。旅先の旅館で目覚めた寅は、この虫の知らせのような夢が気になり、急いで柴又へ戻ることを決める。
上野駅からとらやに電話をかけた寅は、軽口で「おいちゃん生きてるか」と尋ねる。おばちゃんは冗談のつもりで「実は死にそうで長いことなさそう」と答えたところ、寅は夢が正夢だったと早合点してしまう。柴又への帰り道、寅は葬儀屋を手配し、御前様に報告し、商店街に触れ回る。とらやは大騒動に見舞われる。
真相が明らかになり御前様にも諌められる事態となり、腹の虫がおさまらない寅は、おいちゃんたちと大喧嘩する。出て行こうとする寅を、さくらが必死で止めるのだった。
北海道編:極道の哀れな末路を目撃する
暇を持て余した寅は隣の朝日印刷に乱入し、工場見学の学生を冷やかして大顰蹙を買う。そこへ舎弟の登(津坂匡章)が訪ねてきて、昔世話になった北海道の竜岡正吉親分が危篤だと知らせる。恩返しに正吉を看取ろうとする寅だが、北海道への旅費がない。
あちこちで金の無心をするが断られ、最後にさくらに頼む。さくらは涙ながらに寅を諭す。「額に汗して油まみれになって働く人と、いいカッコしてブラブラしている人と、どっちが偉いと思うの?地道に働くってことは、尊いことなのよ」。この言葉は本作の重要な伏線となる。さくらは結局なけなしの金を寅に渡す。
寅と登は札幌の病院を探し当てる。かつての羽振りからは想像できない大部屋の病室で、子分一人に世話されるだけの瀕死の正吉を見て、寅は愕然とする。虫の息の正吉は寅に「息子に会いてぇよお」と頼む。
息子・石田澄夫は正吉が妾に産ませた私生児で、小樽で蒸気機関車D51の機関助手として働いていた。寅が探し当てた澄夫は、額に汗し、油と煤にまみれて釜に石炭をくべる堅気の労働者だった。
寅は必死に頼むが、澄夫は冷たく断る。「僕には父親はいません。女性に暴力を振るい、母親が死んだ時も優しさのかけらも見せなかった。なんにも父親なんかいらないような男になろう、幼い時にそう思いました」。
出典:www.cinemaclassics.jp
澄夫の言葉を、自分の人生と重ね合わせて聞く寅。病院に電話すると、正吉は既に亡くなっていた。極道の哀れな末路を目の当たりにした寅は、自らの行く末をダブらせ、「心を入れ替えて堅気になろう」と一大決心する。
浦安編:豆腐屋での新生活と淡い恋
柴又に戻った寅は、登に「故郷に帰って堅気になれ」と諭し、自らもとらやで「汗水垂らして油にまみれて地道に働く」と高らかに宣言する。しかし、朝日印刷を始め、柴又界隈では就職を断られてしまう。失意の寅は江戸川に浮かぶ小舟に寝そべり、流れていく。
数日後、さくらのもとに「油揚」の小包が届く。浦安の豆腐店「三七十屋(みなとや)」で寅が住み込みで働き始めたのだ。様子を見に行ったさくらは、汗水垂らして油にまみれて油揚を揚げる寅を見て喜ぶ。しかし、店の一人娘・節子(長山藍子)の存在が気になり、「考えることも地道にね。あんまり飛躍しちゃダメよ」と釘を刺す。
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若々しく明朗快活な節子に、寅次郎は恋の虜になっていく。節子は母・富子(杉山とく子)と二人暮らしで、近所の美容院に勤めていた。
勘違いの逆プロポーズと痛切な失恋
ある夜、節子は母と大喧嘩した後、寅の寝泊まりする物置を訪ね、真剣な表情でこう言う。「ねえ寅さん。もしできたらよ、できたら、ずっとうちの店にいてくれないかしら」。寅はこれを逆プロポーズと勘違いし、有頂天になる。
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「寅さんがずっといてくれるお祝い」の席が設けられた夜、節子の恋人・木村剛(井川比佐志)がスイカを持って訪ねてくる。木村はディーゼル機関車の機関士で高崎機関区への転勤が決まっており、寅に「ありがとうございます。それは都合がよかった」と言い、節子と結婚して転勤先へ連れて行くことを告げる。節子は母を一人残すことを心配し、寅に店を任せたかっただけだったのだ。
その場で寅は必死に取り繕う。「お、おめでとう。さっちゃん、何も教えてくれなかったし」(※「節子」を「さっちゃん」と言い間違える)。母・富子は察して「ごめんよ、失恋しちゃったよね」と寅に言う。
結末:花火の夜の別れと永遠の旅人
翌朝、寅は源公に仕事を任せて、黙って三七十屋を去る。その夜、江戸川では花火大会が開かれていた。とらやに生気を失った寅がフラリと帰ってくる。鞄を下げて旅に出ようとする寅を、さくらが追いかける。帝釈天の参道は花火見物の人々で溢れている。
さくら「またいっちゃうの?」
寅「うん。やっぱり、地道な暮らしは無理だったよ、さくら」
寅「今度だけは地道に暮らせると思ってたよ。本気でよ」(悔し涙を流しながら)
寅が去った後、夜空には一面の花火が広がる。
後日、節子がさくらのアパートを訪れ、寅の急な退職を心配する。さくらは兄をかばう。「兄は結局ヤクザな人間ですから、地道な暮らしなんて飽きちゃったんでしょ。いつもそうなんですよ」。
ラストシーン:変わらない寅次郎
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旅先の北海道・朝里海岸で、寅は偶然にも舎弟の登と再会する。登に仁義を切る寅の顔は、いつもの「フーテンの寅」に戻っている。
登「兄貴、カタギになったんじゃないのかい。ちっとも変わってないぜ」
寅「バカヤロウ。徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら、体に悪いじゃねえか」
この名台詞とともに、映画は幕を閉じる。
作品解析
シリーズ完結予定作品としての渾身の作り込み
山田洋次監督は本作でシリーズを完結させる予定だった。第3作・第4作では脚本のみの参加で、自らの演出スタイルから離れた作品に違和感を覚えていた監督が、「自分の手で完結編を作ろう」とメガホンを取った渾身の一作である。
しかし公開後、前作比5割増の観客動員(72万7千人)を記録。この大ヒットによりシリーズ完結は撤回され、その後48作まで続く国民的映画シリーズへの転換点となった。完結編として作られたからこそ、物語の完成度が極めて高く、テーマ性も明確で、映画としての密度が濃い作品に仕上がっている。
テレビ版キャストの総動員がもたらす感動
テレビドラマ版「男はつらいよ」第1話
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出典:サテマガBiは
本作の最大の特色は、テレビドラマ版「男はつらいよ」のキャストを総動員したキャスティングにある。長山藍子(マドンナ・節子役/TV版さくら役)、杉山とく子(節子の母・富子役/TV版おばちゃん役)、井川比佐志(節子の恋人・木村剛役/TV版博士役)という配役は、テレビ版を見ていた視聴者にとって感慨深いものであった。
出典:スバラシネマ【A Scene in LIFE】
特に、TV版さくらの長山藍子と映画版さくらの倍賞千恵子が同じスクリーンに登場するシーンは、二つの「さくら」が共存する奇跡的な瞬間として記憶に残る。
「労働の尊さ」という普遍的テーマ
本作は「テキヤ稼業のフーテンの寅が、はたして堅気になって地道な暮らしができるか」という根源的な問いを投げかける。さくらの台詞「額に汗して油まみれになって働く人と、いいカッコしてブラブラしている人と、どっちが偉いと思うの?」は、D51の機関助手として汗と油にまみれて働く澄夫の姿、そして浦安の豆腐屋で油揚を揚げる寅の姿と見事に呼応している。
寅次郎は「堅気になりたい」と心から願い、実際に地道な労働に従事する。しかし、恋に破れた時、彼は結局元の生活に戻ってしまう。「徐々に変わるんだよ」という台詞は、変わりたくても変われない人間の悲哀と、それでも希望を捨てない姿勢を同時に表現した名言である。
名場面の数々が生み出す映画的カタルシス
本作には忘れがたい名場面が数多く存在する。
まず、花火をバックにした失恋シーンである。夜空に大輪の花を咲かせる花火をバックに、恋に破れた寅がさくらに涙ながらに心情を語る場面は、シリーズ屈指の名シーンとして多くのファンの記憶に残っている。
次に、蒸気機関車D51のダイナミックな描写である。力強く走るD51と、汗にまみれて働く澄夫の姿は、「労働の尊さ」というテーマを視覚的に表現した圧巻のシーンである。
また、冒頭のおいちゃん葬式騒動は、夢から始まる寅らしいドタバタ劇として、観客を一気に映画の世界に引き込む。
そして、ラストの登との再会では、「徐々に変わるんだよ」という名台詞が、寅次郎という人物の本質を端的に表現している。
映像表現の卓越性:山田洋次の演出術
北海道の荒涼とした風景が語るもの
本作における北海道の描写は、単なる舞台設定以上の意味を持つ。札幌の病院で正吉親分の哀れな末路を目撃し、小樽で蒸気機関車D51に石炭をくべる澄夫の姿を見た寅は、自らの生き方を根本から問い直すことになる。
山田洋次は、荒涼とした北の大地を背景に、極道の破滅と堅気の労働者の対比を鮮烈に描き出した。特にD51のシーンは圧巻である。汗と油にまみれて働く澄夫の姿は、まさにさくらが語った「額に汗して油まみれになって働く人」の具現化であり、寅次郎が目指すべき理想の姿として観客の目に焼き付く。
浦安の下町情緒と柴又との対比
浦安の豆腐屋「三七十屋」でのシーンは、柴又の「とらや」と対照的に描かれている。柴又が寅にとって帰る場所であるのに対し、浦安は新しい人生を始める場所である。しかし、寅は浦安でも結局は失恋し、再び柴又に戻り、そして旅に出る。この円環構造が、寅次郎という人物の宿命を象徴的に表現している。
花火のシンボリズム
クライマックスの花火シーンは、映画史に残る名場面である。夜空に打ち上げられる花火は、一瞬の美しさの後に消えてしまう儚いものだ。それは寅の恋と、堅気になろうとした夢と重なり合う。涙ながらに「今度だけは地道に暮らせると思ってたよ。本気でよ」と語る寅の背後で、華やかに咲いては散る花火が、彼の人生そのものを象徴している。
対立構造から読み解く作品の深層
極道と堅気:二つの生き方の対比
本作の核心は、極道と堅気という二つの生き方の対比にある。正吉親分は極道として生き、最後は大部屋の病室で子分一人に看取られるだけの哀れな死を迎える。一方、その息子・澄夫は父を拒絶し、D51の機関助手として汗にまみれて働く堅気の道を選んだ。
寅次郎はこの二つの生き方の間で揺れ動く。彼は極道ではないが、テキヤ稼業という定住しない生活を送っている。正吉の末路を見て堅気になろうと決意するが、結局は元の生活に戻ってしまう。この葛藤こそが、本作の最も人間的なテーマである。
さくらの台詞が示す価値観の転換
「額に汗して油まみれになって働く人と、いいカッコしてブラブラしている人と、どっちが偉いと思うの?地道に働くってことは、尊いことなのよ」
さくらのこの台詞は、高度経済成長期の日本社会における価値観の変化を反映している。1970年という時代は、日本が豊かになり、労働の意味が問い直されていた時期である。寅次郎という自由人は、システム化された社会に馴染めない人間の象徴でもある。
勘違いと真実:コミュニケーションの断絶
節子の「ずっとうちの店にいてくれないかしら」という言葉を、寅は逆プロポーズと勘違いする。この勘違いは、単なる喜劇的要素ではない。寅次郎が常に自分の都合のいいように物事を解釈してしまう性格を表すと同時に、人間同士のコミュニケーションの難しさを示唆している。
節子にとっては実務的な相談だったものが、寅にとっては人生最大の幸福の瞬間となる。この認識の齟齬が、後の失恋をより痛切なものにしている。
「徐々に変わるんだよ」に込められた人生哲学
変われない人間の悲哀と希望
ラストシーンの「バカヤロウ。徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら、体に悪いじゃねえか」という台詞は、本作の全てを象徴する名言である。
この台詞には二重の意味が込められている。表面的には、堅気になるには時間がかかるという言い訳である。しかし深層では、人間は本質的に変われないという諦観と、それでも変わろうとする希望が同居している。
寅次郎は本気で堅気になろうとした。油揚を揚げる仕事に真摯に取り組み、節子に恋をし、浦安に定住する未来を夢見た。しかし、恋に破れた時、彼は自分が本質的には変われない人間だと悟る。それでも「徐々に」という言葉を付け加えることで、完全には諦めていないことを示している。
円環構造としての寅次郎の人生
本作は、寅が柴又を出て、北海道へ行き、柴又に戻り、浦安へ行き、再び柴又に戻り、そして旅に出るという円環構造を持つ。最後に北海道の海岸で登と再会するシーンは、物語の始まりに戻るような感覚を与える。
この円環構造は、寅次郎の人生そのものが終わりのない旅であることを示している。彼は変わろうとするが変われず、故郷に帰ろうとするが留まれず、恋をするが結ばれず、常に同じパターンを繰り返す。しかし、それこそが寅次郎という人物の魅力なのである。
シリーズ史における本作の位置づけ
完結編として構想された意義
本作が当初シリーズ完結編として構想されたことは、作品の構造に大きな影響を与えている。山田洋次監督は、寅次郎という人物に一つの決着をつけようとした。それが「堅気になる」という試みであった。
もし本作で実際にシリーズが終わっていたら、「徐々に変わるんだよ」という台詞で幕を閉じることの意味は、今とは異なっていただろう。変われない自分を受け入れながらも、わずかな希望を持ち続けるという、ほろ苦い結末として記憶されたはずである。
しかし、本作の大ヒットによりシリーズは継続された。結果として、この台詞は寅次郎の永遠の旅を予告する言葉となった。完結編として作られたからこその密度の濃さと、その後も続くシリーズの出発点としての意味。この二重性が、本作を特別な作品にしている。
テレビ版からの継承と発展
テレビドラマ版のキャストを総動員したキャスティングは、単なるファンサービスではない。テレビ版で寅次郎と共演していた長山藍子が、映画版では恋の相手になるという設定は、メタ的な構造を持つ。
TV版さくらと映画版さくらが同じ画面に登場するシーンは、二つの「男はつらいよ」世界が交錯する瞬間である。この実験的な試みは、シリーズの可能性を大きく広げた。
結論:変わりたくても変われない人間の哀愁と希望
「男はつらいよ 望郷篇」は、単なるシリーズ1作品にとどまらない重要な意味を持つ。完結作として制作されながら、その完成度の高さゆえに観客を魅了し、結果としてシリーズの長期化を決定づけた。
テレビ版キャストとの共演という華やかな要素を持ちながら、「極道の末路」と「労働の尊さ」という深いテーマを描き、寅次郎という人物の本質―変わりたくても変われない、しかしそれでも生きていく―を見事に表現した本作は、シリーズ屈指の傑作として今なお高く評価されている。
花火の夜に去っていく寅の背中と、「徐々に変わるんだよ」という諦観と希望が入り混じった名台詞は、この愛すべきキャラクターの魅力を凝縮した名場面である。堅気になろうと本気で努力し、失恋の痛手を負いながらも、結局は旅に出る。その姿に、私たちは人間の弱さと強さ、哀しみと温かさを見出すのである。








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