「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年)レビュー|100年前の恐怖が今でも怖い理由・見どころ・あらすじを徹底解説【ネタバレあり】

1922年に公開された『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、映画史上最も有名な「問題作」の一つです。なぜ問題作なのかというと、この映画は『ドラキュラ』という有名な小説を、作者の許可なく勝手に映画化してしまったからです。その結果、裁判で負けて「この映画のフィルムを全部捨てなさい」という命令が出されました。

でも不思議なことに、この映画は完全には消えませんでした。海外に輸出されていたフィルムが残っていて、それが今日まで伝わっているのです。まるで映画に出てくる不死の吸血鬼のように、この作品自体も「死なない」運命にあったみたいですね。

『ノスフェラトゥ』は、今でも新作が作られ続けている「吸血鬼映画」というジャンルの、すべての出発点となった記念すべき作品です。私たちが当たり前だと思っている「吸血鬼は太陽の光で死ぬ」という設定も、実はこの映画が最初に作り出したものなんです。

白黒の無声映画なので、最初は「古くて見づらそう」と思うかもしれません。でも実際に見てみると、セリフがないからこそ、映像だけで恐怖を伝える技術の高さに驚かされます。特に影を使った演出は、今見ても背筋が凍るほど怖いです。

この記事では、映画を見たことがない人にも、すでに見た人にも楽しんでもらえるように、作品の魅力から隠された意味まで、詳しく解説していきます。100年前の傑作が、なぜ今でも語り継がれているのか、一緒に探ってみましょう。

目次

作品情報と予告編

作品名:吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu, eine Symphonie des Grauens / 恐怖の交響曲)
公開年:1922年
制作国:ドイツ
監督:F・W・ムルナウ(Friedrich Wilhelm Murnau)
脚本:ヘンリック・ガレー
製作会社:プラーナ・フィルム(この映画の後、著作権問題で倒産)

主要キャスト

  • マックス・シュレック(オルロック伯爵役)
  • グスタフ・フォン・ワンゲンハイム(トーマス・ハッター役)
  • グレタ・シュレーダー(エレン・ハッター役)
  • アレクサンダー・グラナック(ノック役)

上映時間:約94分(修復版により異なります)
ジャンル:ホラー、ドラマ
言語:無声映画(ドイツ語の字幕)

視聴方法: この映画は著作権が切れているため、YouTubeやインターネット・アーカイブで無料で見ることができます。ただし、画質や音楽の質を重視するなら、専門的に修復されたBlu-rayやDVDがおすすめです。

あらすじ(※ネタバレなし)

物語は1838年、ドイツ北部の美しい港町ヴィスボルグから始まります。

主人公のトーマス・ハッターは、地元の不動産会社で働く若い男性です。彼には愛する妻エレンがいて、二人は幸せな新婚生活を送っていました。そんなハッターのもとに、上司のノックから特別な仕事の依頼が舞い込みます。

その仕事とは、遠く離れたトランシルヴァニア地方(現在のルーマニア)にあるカルパチア山脈の古城に住む、オルロック伯爵という貴族に会いに行くことでした。伯爵はドイツで家を買いたがっており、ハッターはその契約を取りまとめる役目を任されたのです。

報酬は破格の高額でしたが、妻のエレンは夫の長期出張を心配します。でも生活のため、ハッターは意を決して旅立つことにしました。エレンは友人のハーディング夫妻に預けられ、ハッターの帰りを待つことになります。

長い旅路の末、ハッターはトランシルヴァニアの山奥にたどり着きます。しかし現地の人々は、オルロック伯爵の名前を聞くと、なぜか顔を青くして怖がるのです。「あの城には近づくな」「夜になると恐ろしいことが起こる」そんな不吉な噂を聞かされても、仕事のためにハッターは古城へ向かいます。

ついに対面したオルロック伯爵は、ハッターが想像していた貴族とは全く違う姿でした。痩せこけて青白い顔、ハゲ頭、ネズミのような出っ歯、そして異様に長い爪を持つその姿は、人間というより化け物のようでした。

そして宿で読んだ古い本から、ハッターは恐ろしい真実を知ることになります。オルロック伯爵の正体は、血を吸って生きる不死の怪物「ノスフェラトゥ」(吸血鬼)だったのです。

一方その頃、遠く離れたドイツでは、妻のエレンが毎夜悪夢にうなされていました。まるで何か邪悪なものが、自分に近づいてくるのを感じているかのように…。

果たしてハッターは無事に故郷に帰ることができるのでしょうか?そして、オルロック伯爵の真の目的とは一体何なのでしょうか?

見どころ・注目ポイント

今見ても怖い!影を使った恐怖演出

『ノスフェラトゥ』の一番の見どころは、何と言っても「影」を使った恐怖演出です。これは今でも多くのホラー映画で使われている技術ですが、この映画が最初に完成させたと言っても過言ではありません。

特に有名なのが、オルロック伯爵がエレンの寝室に忍び込むシーンです。このシーンでは、伯爵本人は画面に映りません。代わりに壁に映った彼の巨大な影だけが、ゆっくりと階段を上っていくのです。長い爪のような指を伸ばしたその影は、見ているだけで背筋が凍ります。

なぜ影だけの方が怖いのでしょうか?それは、私たちの想像力を刺激するからです。直接的に怖いものを見せられるより、「何が起こるかわからない」という不安の方が、人間にとってはずっと恐ろしいものなのです。

また、この映画では光と影のコントラストが非常に美しく表現されています。昼間の平和な場面では明るい光が差し込み、夜や危険な場面では深い影が支配します。この技法は「キアロスクーロ」と呼ばれ、絵画の世界でも古くから使われてきた芸術的手法です。

100年前の技術で作られた映像なのに、今見ても古さを感じさせないのは、こうした普遍的な恐怖の表現方法を使っているからなのです。

マックス・シュレックが作り上げた究極の怪物

オルロック伯爵を演じたマックス・シュレックの演技は、映画史に残る名演と言えるでしょう。後の映画に出てくる「かっこいい吸血鬼」とは正反対の、純粋に恐ろしい怪物を作り上げました。

シュレックが演じるオルロック伯爵は、どこから見ても人間には見えません。青白くて禿げた頭、深く落ちくぼんだ目、ネズミのような前歯、そして何より印象的なのが、蜘蛛のように長くて細い指です。この指で首筋を撫でられたら、と想像するだけで鳥肌が立ちます。

面白いのは、シュレックの演技があまりにもリアルだったため、当時の観客の中には「本物の吸血鬼を映画に出演させたのではないか」と本気で信じる人がいたことです。実際には彼は優秀な舞台俳優でしたが、そんな都市伝説が生まれるほど、彼の怪物ぶりは完璧だったのです。

ちなみに「シュレック」という名前は、ドイツ語で「恐怖」や「驚き」を意味します。まさに彼の役柄にぴったりの名前ですね。

また、オルロック伯爵の衣装も注目ポイントです。豪華な貴族の服ではなく、まるで棺桶から出てきたばかりのような、古くて汚れた黒い服を着ています。これも、彼が「死者」であることを強調する効果的な演出です。

実際のお城と町で撮影した迫力

当時の多くの映画がスタジオの中だけで撮影されていた中、『ノスフェラトゥ』は実際の場所でのロケーション撮影にこだわりました。オルロック伯爵の城として使われたのは、スロヴァキアにある本物の古城(オラヴァ城)です。

この城は崖の上に建つ中世の要塞で、見るからに不気味で威圧感があります。スタジオで作ったセットでは出せない、本物の歴史の重みと不気味さが画面から伝わってきます。

また、ヴィスボルグの町として使われたのは、ドイツ北部の実在の港町ヴィスマールとリューベックです。これらの町の美しい建物や石畳の道が、物語に現実感を与えています。美しい日常の風景があるからこそ、そこに忍び込んでくる恐怖がより際立つのです。

このロケーション撮影は、当時としては非常に大掛かりで費用のかかる挑戦でした。でもその甲斐あって、観客は本当にその場にいるような臨場感を味わうことができます。

音楽で作り出される「恐怖の交響曲」

『ノスフェラトゥ』の原題には「恐怖の交響曲」という副題が付いています。これは映画と音楽を一体化させた芸術作品として作られたことを表しています。

作曲を担当したのはハンス・エルトマンという音楽家で、彼は映画のために本格的なオーケストラ音楽を書きました。それぞれのキャラクターには専用のテーマ音楽があり、たとえばノスフェラトゥにはシロフォンの不気味な音、エレンには美しいフルートの音が当てられていました。

無声映画だからこそ、音楽の役割は現代の映画以上に重要でした。恐怖のシーンでは観客の心拍数を上げ、美しいシーンでは心を癒す。音楽があることで、映画の感情的な効果が何倍にも高められているのです。

残念ながらオリジナルの楽譜の多くは失われてしまいましたが、現在販売されている修復版では、可能な限り当時の音楽を再現した演奏が収録されています。

疫病の恐怖が現代にも響く

オルロック伯爵は単なる血を吸う怪物ではありません。彼は船に乗ってたくさんのネズミと一緒にドイツにやってきて、町にペスト(黒死病)を広めます。つまり、彼は「疫病を運んでくる存在」として描かれているのです。

この設定は、新型コロナウイルスのパンデミックを経験した現代の私たちには、特別な意味を持って感じられるでしょう。未知の病気が外からやってきて、平和な日常を破壊し、人々をパニックに陥れる。まさに私たちが最近体験したことと重なります。

映画の中で、ペストが流行すると町の人々は互いを疑い、秩序が崩壊していきます。これも、感染症流行時に実際に起こる社会現象です。100年前に作られた映画なのに、現代的なリアリティを感じるのはこのためです。

また、ネズミという動物の選択も巧妙です。ネズミは実際にペストを媒介する動物ですが、同時に「汚い」「気持ち悪い」という印象も与えます。オルロック伯爵とネズミを結びつけることで、彼の不快さと危険性を視覚的に表現しているのです。

気になった点

『ノスフェラトゥ』は傑作ですが、現代の視点から見ると問題となる部分もあります。正直にお話ししておくことが大切だと思います。

時代背景による偏見の問題

最も深刻な問題は、オルロック伯爵やノック(ハッターの上司)の外見デザインです。彼らの鉤鼻や異様な容姿は、当時ヨーロッパで広まっていた反ユダヤ主義的な偏見を反映している可能性があります。

1920年代のドイツは、第一次世界大戦の敗戦による社会不安の中で、様々な差別的な考えが広まっていました。「外からやってきて病気を広める存在」というオルロック伯爵の設定も、外国人や少数民族への恐怖心を煽る側面があったかもしれません。

これが制作者の意図的なものだったのか、それとも当時の社会に蔓延していた偏見が無意識に反映されてしまったのかは、はっきりしません。でも現代の私たちがこの映画を見る時は、そうした歴史的背景も理解しておく必要があります。

芸術作品としては優れていても、その時代の負の側面も含んでいる。これは古典作品を鑑賞する際によくあることで、作品の価値を否定するものではありませんが、批判的な視点を持つことも大切です。

技術的制約による限界と意外な面白さ

また、1922年という時代の技術的制約による限界もあります。俳優の演技は現代の基準から見ると大げさに感じられることがありますし、撮影技術の制約で画面が暗すぎる部分もあります。

カメラワークも現代ほど自由ではなく、基本的に固定カメラでの撮影が中心です。そのため、アクションシーンなどは現代の映画に慣れた観客には物足りなく感じられるかもしれません。

興味深いのは、物語の設定で少し首をかしげる部分もあることです。オルロック伯爵が先に船に乗って出発したはずなのに、後から陸路で出発したハッターの方が先にヴィスボルグに着いているのは、「船より馬車の方が早かったのでは?」と思わせます。また、船から降りたオルロック伯爵が自分の棺桶を小脇に抱えて移動するシーンなどは、恐ろしいはずの怪物が少し滑稽に見えてしまう瞬間もあります。

しかし、これらの制約の中で最大限の効果を上げようとした工夫の跡が随所に見られるのも事実です。ノスフェラトゥの造形や白黒映像、無声という条件、そして不気味な音楽が組み合わさると、予想以上の恐怖効果を生み出します。むしろ制約があったからこそ生まれた独特の表現もあり、それが作品の個性になっているとも言えるでしょう。

現代の観客には馴染みにくい部分

無声映画ということで、現代の観客、特に若い世代には最初は取っつきにくいかもしれません。字幕を読みながら映像を見るのに慣れていない人には、少し疲れる作品かもしれません。

また、ストーリー展開も現代の映画と比べるとゆっくりしています。次から次へと事件が起こる現代のエンターテインメントに慣れた人には、退屈に感じる部分があるかもしれません。

でも、一度そのリズムに慣れてしまえば、セリフに頼らない純粋な映像表現の力強さを実感できるはずです。最初の30分ぐらいを我慢して見続けてもらえれば、きっとこの映画の魅力に気づいてもらえると思います。

⚠️ネタバレあり|物語の展開と深掘り考察

以下、物語の結末を含む重要なネタバレが含まれます。まだ映画を見ていない方はご注意ください

ハッターの脱出とオルロック伯爵の船旅

オルロック伯爵の正体を知ったハッターは、なんとか城から逃げ出そうとします。窓からシーツをつなげたロープで脱出を試みますが、途中で落下して気を失ってしまいます。幸い一命は取り留め、現地の病院で手当てを受けた後、急いで故郷へ向かいます。

一方、オルロック伯爵も行動を開始していました。彼は故郷の土を詰めた複数の棺を船に積み込み、自分も棺の中に身を隠してドイツへの航海に出発します。この船旅のシーンが、映画の中でも特に印象的な部分です。

船の名前は「エンプーサ号」。ギリシャ神話に出てくる女性の姿をした悪霊の名前です。船内には伯爵の棺と一緒に、無数のネズミが紛れ込んでいました。

航海が進むにつれ、船員たちが次々と謎の病気で倒れていきます。船長が恐る恐る船倉の棺を開けてみると、中から大量のネズミが飛び出してきます。そして夜になると、棺から現れたオルロック伯爵の恐ろしい姿を見て、最後の船員も恐怖のあまり海に飛び込んでしまいます。

こうして船は完全な幽霊船となり、舵に自分を縛り付けて死んだ船長の操縦で、ヴィスボルグの港に到着するのです。

ちなみにこの「エンプーザ号」の出来事を描いた作品も2023年に公開されています。

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ヴィスボルグに広がるペストの恐怖

オルロック伯爵が上陸すると、ヴィスボルグの町には瞬く間にペストが蔓延します。ネズミが町中に広がり、人々が次々と病に倒れていきます。

この疫病のシーンは、現代の私たちには特にリアルに感じられるでしょう。平和だった町が一変し、人々がパニックに陥る様子は、コロナ禍の初期を思い出させます。医師たちは原因がわからず、町の指導者たちも有効な対策を取れません。

町の人々は恐怖に駆られ、互いを疑い始めます。感染を恐れて人との接触を避け、町全体が死の影に覆われていきます。この描写は、感染症がもたらす社会的な混乱を的確に表現しており、100年前の映画とは思えないほど現代的です。

エレンの覚悟と吸血鬼の書

ハッターが故郷に帰ってくると、妻のエレンは夫が持ち帰った「吸血鬼の書」を読み始めます。そこには恐ろしい真実が書かれていました。町を襲っている疫病の原因は、オルロック伯爵だったのです。

そして本には、吸血鬼を倒す唯一の方法も記されていました。それは「純粋な心を持つ女性が、自らの意志で吸血鬼に血を捧げ、夜明けの鶏が鳴くまでその場に引き留める」というものでした。つまり、吸血鬼を夜明けまで油断させ、太陽の光を浴びせて滅ぼすのです。

エレンは悟りました。町を、そして愛する夫を救うためには、自分が犠牲になるしかないと。

この場面でのエレンの変化は劇的です。物語の前半では心配性で受け身だった彼女が、ここで初めて積極的な行動を取る主人公になります。彼女の決意は、単なる自己犠牲を超えた英雄的な行為として描かれています。

最後の夜:エレンの犠牲とオルロック伯爵の最期

運命の夜、エレンは計画を実行に移します。彼女は病気のふりをして寝室の窓を開け放ち、ハッターには医師を呼びに行かせて二人きりになります。

向かいの廃屋に住み着いていたオルロック伯爵は、好機とばかりにエレンの部屋に忍び込みます。ここでも有名な「影のシーン」が使われ、階段を上る伯爵の長い影が恐怖を演出します。

エレンの美しい首筋に吸い付いたオルロック伯爵は、その血の甘さに我を忘れます。時間が過ぎるのも忘れて血を吸い続ける伯爵。やがて遠くで一番鶏が鳴き、東の窓から朝日が差し込みます。

太陽の光を浴びた瞬間、オルロック伯爵の体は煙のように消え去ります。この「日光による吸血鬼の死」という設定は、実は『ノスフェラトゥ』が最初に作り出したものです。原作の『ドラキュラ』では、吸血鬼は日光で弱くなるだけで死にはしません。

ハッターと医師が部屋に戻った時、エレンはすでに息絶えていました。しかし彼女の犠牲によって吸血鬼は滅び、町を覆っていたペストも嘘のように消え去ったのです。

映画は最後に、遠いカルパチア山脈にそびえるオルロック伯爵の廃城を映して静かに幕を閉じます。

作品の革新性と深層的な意味

『ノスフェラトゥ』の結末は、当時としては画期的でした。エレンが受け身の女性から、自ら計画を立てて行動する主人公へと変わる描写は、1920年代としては珍しいものでした。また「日光で吸血鬼が死ぬ」という設定は、原作にない完全なオリジナルで、現在では当たり前になっているこの「常識」を作り出したのです。

この映画には、恐怖物語を超えた深い意味が隠されています。東欧からやってきて疫病をもたらすオルロック伯爵は、敗戦国ドイツが抱いていた「外からの脅威」への恐怖を表しています。

町にペストが広がって日常が崩壊する様子は、戦争や恐慌で混乱した1920年代ドイツの状況と重なります。一方で、エレンの自己犠牲によって町が救われるのは、絶望的な状況でも希望を捨ててはいけないというメッセージでもあります。そして現代の私たちにとって、ネズミが運ぶ病気は、ウイルスや細菌といった「目に見えない恐怖」の象徴として特に身近に感じられるでしょう。

この映画をおすすめしたい人

『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、以下のような方に特におすすめします。

映画の歴史に興味がある人

この映画は「映画史の教科書」のような作品です。後の映画に与えた影響を知ることで、なぜ現代の映画がこのような形になっているのかがよくわかります。特にホラー映画ファンなら、「すべてはここから始まった」という感動を味わえるでしょう。

サイレント映画やドイツ表現主義について学びたい人にも最適です。教科書で読むより、実際に作品を見た方がその凄さがよくわかります。

アート系映画が好きな人

『ノスフェラトゥ』は娯楽映画であると同時に、高度な芸術作品でもあります。映像美、構図、光と影の使い方など、美術館で絵画を鑑賞するような楽しみ方ができます。

特に写真や絵画に興味がある人なら、この映画の視覚的な美しさに感動するはずです。100年前にこれほど洗練された映像が作られていたことに驚くでしょう。

本格的なホラーを求める人

最近のホラー映画に物足りなさを感じている人にもおすすめです。『ノスフェラトゥ』の恐怖は、突然驚かせる「ジャンプスケア」ではなく、じわじわと心の奥に忍び込んでくる本格的な恐怖です。

派手な特殊効果や血みどろのシーンはありませんが、その分想像力を刺激する純粋な恐怖を味わえます。「怖い映画とはこういうものだ」という原点を体験できるでしょう。

文学や哲学に興味がある人

この映画は単なる娯楽を超えた、深いテーマを扱っています。人間の本質、善と悪、文明と野蛮、愛と犠牲など、哲学的な問いがたくさん含まれています。

また、当時の社会情勢や思想背景を知ることで、ヨーロッパの近現代史についても学ぶことができます。

一方で、こんな人には向かないかも

正直に言うと、以下のような方には少し厳しいかもしれません。

  • すぐに結果を求める人:ゆっくりとしたペースに最初は戸惑うかもしれません
  • 現代的な娯楽に慣れた人:派手なアクションや特殊効果はありません
  • 無声映画に馴染みがない人:字幕を読みながら映像を見るのに慣れが必要です

でも、最初の30分を我慢して見続けてもらえれば、きっとこの映画の魅力に気づいてもらえると思います。「古い映画は苦手」という先入観を持たずに、ぜひ一度チャレンジしてみてください。

まとめ・総評

『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、100年という時を経てもなお色褪せない、真の意味での「不朽の名作」です。

この映画の最大の魅力は、時代を超えた普遍性にあります。技術的には1922年の作品ですが、そこに込められた恐怖や美しさ、そして人間ドラマは、現代の私たちの心にも深く響きます。特に最近のパンデミック体験を経た私たちにとって、疫病をテーマにした物語は新たなリアリティを持って迫ってきます。

映画技術の観点から見ても、この作品は革命的でした。影を使った恐怖演出、実在の場所でのロケーション撮影、音楽との融合など、後の映画に大きな影響を与えた技法が数多く使われています。「吸血鬼は日光で死ぬ」という設定も、この映画が生み出した重要な遺産です。

芸術作品としても最高級の価値を持っています。ドイツ表現主義の美学が結晶化された映像美は、今見ても息を呑むほど美しく、恐ろしく、そして幻想的です。

一方で、歴史的文書としての価値も見逃せません。第一次世界大戦後のドイツ社会の不安や恐怖が、これほど鮮明に映像化された作品は他にないでしょう。当時の人々の心の内側を覗き見ることができる貴重な記録でもあります。

そして何より、この映画には物語としての完成度があります。愛、犠牲、勇気、恐怖といった普遍的なテーマが、わかりやすくも深い物語の中に織り込まれています。

100年前の作品でありながら、現代の最新映画と比べても全く見劣りしない。それどころか、CGや派手な演出に頼らない、純粋な映像の力で勝負している分、かえって新鮮に感じられる部分もあります。

映画史に興味がある人はもちろん、そうでない人にも、ぜひ一度は見ていただきたい傑作です。きっと「映画とはこれほど素晴らしいものなのか」という感動を味わっていただけるはずです。

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