店の厳しさ、ドラマの鋭さ──『謎解きはディナーのあとで』に感じる共通点

店を閉めて、片付けを終えたあと、
少しだけ灯りを落としたカウンターに座り込んだ夜があった。
なんとなく『謎解きはディナーのあとで』を流していたら、影山執事の鋭すぎるツッコミが響いて、思わず“うちの厨房”の風景が頭をよぎった。

「まったく旦那様、よくそれで料理を出せますね」


もし影山がうちにいたら、きっとこんなふうに言われるに違いない。
いや、絶対言われる。

パスタの盛り付けに悩んでいるときや、
グラスの向きをそろえていないときなんか、
影山なら容赦なく刺してくるはずだ。


でも、なぜかその刺すような言葉が、ちょっとだけ心地いい。
ああ、こういう“厳しさ”って、誰かの日常を支えているのかもしれないな、と。

──ここで少し、作品の話をしておくと。
『謎解きはディナーのあとで』は、令嬢刑事の宝生麗子と、彼女に仕える毒舌執事・影山が、毎回ユニークな事件の“真相”に迫っていくコメディミステリーだ。
麗子が捜査で行き詰まると、ディナーの席で影山が鋭く推理を披露する。
この“安楽椅子探偵”のような構造が軽やかで、どのエピソードも気楽に楽しめるのが魅力だ。

その中でも、麗子の素直さには、ちょっと胸が温かくなる。
ダメ出しされても、真正面から受け止めて、自分で考えようとする姿勢。
あれはまさに、店を始めたばかりの頃の自分だ。


分からないことばかりで、全部が不安で、でも手を動かすしかない。
それでも何とかやっていく。
麗子の前向きさには、不思議と励まされてしまう。

影山と麗子のやり取りは、コメディとして笑えるのに、どこかで“自分の日常”と重なる。
お客様に出す料理、店の空気、カウンター越しの会話。


どれも一つひとつ正解があるわけじゃなく、毎日「今日はこれでいいのか」と小さな判断を積み重ねている。
それは麗子が推理に迷う姿と、少しだけ似ているのかもしれない。

それにしても、あの執事の“視点の鋭さ”は、何度見ても面白い。
ドラマの設定だからこそ成り立つ誇張ではあるけれど、
人には“見えているはずのものが見えていない瞬間”が必ずある。


店でも同じで、忙しさに追われていると、
大事な細部がふっと抜け落ちてしまうことがある。


そんなときに影山が後ろから出てきて、
「お忘れではありませんか?」なんて言ったら、
たぶん私は苦笑しながら片付けをやり直すんだろう。

このドラマはミステリーの形式を借りながら、
“正しさは一つじゃない”という柔らかい真実をそっと差し出してくる。
店をやっている身としては、その感じがなんだか好きだ。
仕事も人間関係も、結局は“どこに立つか”で見える景色が違う。
それを笑って受け取れるだけで、少し肩の力が抜ける。

そんなことを思いながら見返していたら、
気づけば、作品の構造そのものをもっと知りたくなっていた。
影山の論理の組み立て方、麗子の成長の描かれ方、視点の反転……
意外と深いテーマが隠れている。

そのあたりは、別の記事でしっかり書いてみた。
興味があれば、ぜひ覗いてほしい。

映画もドラマも、店も人生も、
“ツッコミの中にこそ真実がある”ような気がする。
そんな夜だった

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