俳優の中島ゆたかさんが2025年11月27日、大腸がんのため73歳で逝去された。訃報は12月4日に東映より公表された。約3年前から大腸がんと闘いながらも仕事を続け、最後まで映画への愛を貫いた彼女の姿は、昭和の娯楽映画全盛期を駆け抜けた一人の女優の矜持を感じさせるものであった。
『トラック野郎』第1作のマドンナとして
出典:デイリー新潮
1971年にミス・パシフィック日本代表に選出され、同年開催の世界大会で第2位に輝いた中島ゆたかは、1973年に梅宮辰夫主演の映画『夜の歌謡シリーズ 女のみち』でデビューし、瞬く間に注目を集めた。同年に日本映画プロデューサー協会新人賞、1974年にはエランドール賞新人賞を受賞するという華々しいスタートであった。
そして1975年、彼女は映画史に残る作品に出演することになる。菅原文太演じる一番星こと星桃次郎と、愛川欽也演じる相棒・やもめのジョナサンこと松下金造のコンビが繰り広げる『トラック野郎 御意見無用』である。当初は盆興行後の穴埋め作品として制作されたためシリーズ化の予定はなかったが、配給収入7億9410万円を記録する大ヒットとなり、シリーズ化が急遽決定した。
「トラック野郎・御意見無用」(1975年)
出典:ameblo.jp
本作のみ、マドンナ役を東映の女優が演じているという事実は、中島ゆたかが東映という映画会社にとって特別な存在であったことを物語っている。満艦飾のトラックが日本全国を駆け巡る痛快娯楽映画の記念すべき第1作で、彼女は倉加野洋子役を演じた。後のシリーズでは様々なタイプのマドンナが登場するが、その原型を作ったのが中島ゆたかだったのである。
千葉真一作品のヒロインとして
1970年代前半から中盤にかけて、中島ゆたかは千葉真一主演のアクション映画シリーズにヒロインとして多数出演した。『激突!殺人拳』(1974年)、『直撃!地獄拳』(1974年)など、千葉真一が肉体を駆使したアクションを披露する作品において、彼女はその美貌と存在感で画面に華を添えた。
「激突!殺人拳」(1974年)
出典:映画ポップコーン
当時の東映アクション映画において、ヒロインの役割は単なる添え物ではなかった。男たちが血と汗を流して戦う世界に、女性の視点と感情を持ち込み、物語に深みと人間性を与える重要な役割を担っていた。中島ゆたかはその役割を見事に果たし、1970年代東映アクション映画の”顔”の一人となったのである。
『探偵物語』での印象的な演技
筆者が中島ゆたかを初めて認識したのは、1979年から1980年にかけて放送された松田優作主演のテレビドラマ『探偵物語』であった。第2話「サーフ・シティ・ブルース」では、資産家の内藤夫人役として登場し、その妖艶な演技で強烈な印象を残した。
探偵物語 第2話「サーフ・シティ・ブルース」
出典:みんカラ
美貌の内藤夫人から家出した前妻の娘の行方を探して欲しいとの依頼を受けた工藤俊作(松田優作)は、彼女のミステリアスな色気に惹かれつつ調査を進める。そして物語のクライマックス、すべてが明らかになった後、内藤夫人は黙って服を脱ぎ「抱いて」と迫るが、工藤は「やだね。俺は自由でいたいんだよ、奥さん」と言う。
探偵物語 第2話「サーフ・シティ・ブルース」
出典:x.com
このシーンは『探偵物語』シリーズの中でも特に記憶に残る場面の一つである。色仕掛けで迫る美人妻を、松田優作演じる工藤が冷徹に拒絶する――そのハードボイルドな空気感を作り出すために、中島ゆたかの妖艶な演技は不可欠だった。
彼女は第19話「影を捨てた男」にも井上京子役で出演しており、松田優作に気に入られていたのではないかと思わせるほど、複数回の出演を果たしている。調べてみると、確かに松田優作作品に多く出演していることがわかる。
1979年公開の映画『蘇える金狼』では、ラストシーンでスカンジナビア航空のスチュワーデス役として登場 している。愛人に刺されて致命傷を負った朝倉哲也(松田優作)が飛行機に乗り込み、意識が朦朧としていく中で、「木星(ジュピター)には何時に着くんだ?」と恐ろしい形相で尋ねる。その最後の言葉を受けるスチュワーデスが、中島ゆたかだったことは最近知った。
「蘇る金狼」(1979年)
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妖艶な役も明るい役もこなせる美人
子供の頃の記憶に残る中島ゆたかは、妖艶な役も明るい役もこなせる美人女優だった。『探偵物語』での蠱惑的な内藤夫人役と、『トラック野郎』での明るい洋子役――この振り幅こそが、彼女が1970年代の日本映画界で重宝された理由である。
当時の東映娯楽映画は、様々なジャンルと作風を持つ作品を量産していた。任侠映画、アクション映画、コメディ、シリアスドラマ――その多様性に対応できる演技の幅を持つ女優は貴重な存在であった。中島ゆたかはその一人だったのである。
1970年代東映娯楽映画における彼女の意義
出典:ameblo.jp
1970年代は、日本映画界にとって激動の時代であった。テレビの普及により映画館の観客動員数は減少し、かつての黄金期は終わりを告げようとしていた。しかし東映は、菅原文太、千葉真一、松田優作といったスター俳優を擁し、娯楽映画の製作を続けた。
そうした作品群において、マドンナ役やヒロイン役を担う女優たちの存在は極めて重要であった。男たちの物語に彩りを加え、観客に感情移入の契機を提供し、作品に華やかさをもたらす――それがマドンナの役割であった。
中島ゆたかは、『トラック野郎』シリーズという国民的ヒット作の記念すべき第1作でその役割を担い、千葉真一作品では何度もヒロインとして起用され、松田優作のドラマでは印象的な悪女を演じた。つまり彼女は、1970年代東映娯楽映画を代表する”マドンナ”の一人だったのである。
最後まで映画を愛した女優
「殺人遊戯」(1978年)
出典:x.com
3年前に大腸がんを患い、手術を経て闘病しながら仕事も続けていた中島ゆたかは、最後の仕事として今年7月6日、新文芸坐で行われた公開50周年記念「トラック野郎・銀幕を駆ける一番星」で「トラック野郎 御意見無用」上映時の舞台挨拶に駆けつけ、作曲した宇崎竜童と一緒に主題歌を披露した。
闘病中にもかかわらず、50年前に自分が出演した作品の記念イベントに登壇し、主題歌まで披露する――その姿勢に、映画人としての矜持と、娯楽映画への深い愛情を感じずにはいられない。
中島ゆたかという女優は、1970年代という日本映画の転換期に、東映娯楽映画の”顔”の一人として活躍した。『トラック野郎』の初代マドンナ、千葉真一作品のヒロイン、松田優作ドラマの妖艶な悪女――彼女が残した映像は、今も昭和の映画文化を伝える貴重な記録として輝き続けている。
彼女の訃報を知ったのは今日の朝。
仕事の仕込みをしなければいけないのだが、子供の頃に憧れた女優さんだったので、忘れないように思い出として記事として残したかった。
心よりご冥福をお祈りする。









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