なぜ1927年の『メトロポリス』は今なお語り継がれるのか
本稿の目的は、フリッツ・ラング監督による1927年のサイレント映画『メトロポリス』を、あらゆる角度から徹底的に解剖することである。単なる映画紹介にとどまらず、その物語、テーマ、製作背景、技術革新、そして後世に与えた計り知れない影響までを網羅的に論じる 。

本作が約一世紀を経た現代においても驚くべき今日性を有している点は、特筆に値する。人工知能(AI)と人間の関係、深刻化する経済格差、テクノロジーによる非人間化、そして大衆扇動の危険性といった、21世紀の社会が直面する課題の多くが、本作には予見的に描かれているからである 。作中で描かれる、金銭的格差が物理的な隔離を生む問題や、ロボットは人間かモノかという問い、政治家の権力争い、そして革命のあり方といったテーマは、現代社会を生きる我々が抱える様々な問題と共鳴する 。
SF映画の「原点にして頂点」と称される本作の地位は、伊達ではない 。その斬新な映像表現と普遍的なテーマは、今見ても色褪せることなく、むしろ時代の経過とともに新たな意味合いを帯びてきている。本稿は、この映画史に燦然と輝く金字塔の全貌を理解するための、決定的かつ包括的なガイドとなることを目指すものである。
出演者一覧
俳優名(日本語) | 俳優名(英語) | 役名(日本語) | 役名(英語) |
---|---|---|---|
ブリギッテ・ヘルム | Brigitte Helm | マリア | Maria |
アルフレート・アーベル | Alfred Abel | 支配的権力者フレーダーセン | Johhan Fredersen |
グスタフ・フレーリッヒ | Gustav Fröhlich | フレーダー | Freder Fredersen |
ルドルフ・クライン=ロッゲ | Rudolf Klein-Rogge | 発明家ロトワング | Rotwang the Inventor |
テオドル・ロース | Theodor Loos | 協力者ヨザファート | Josaphat |
フリッツ・ラスプ | Fritz Rasp | 監視役スリム | Slim |
ハインリヒ・ゲオルゲ | Heinrich George | 労働者代表グロット | Grot |
スタッフ一覧
担当部門 | 名前(日本語) | 名前(英語) |
---|---|---|
監督 | フリッツ・ラング | Fritz Lang |
原作・脚本 | テア・フォン・ハルボウ | Thea von Harbou |
撮影 | カール・フロイント/ギュンター・リッタウ | Karl Freund / Günther Rittau |
特殊撮影 | オイゲン・シュフタン | Eugen Schüfftan |
美術 | オットー・フンテ | Otto Hunte |
エリッヒ・ケテルフート | Erich Kettelhut | |
カール・フォルブレヒト | Karl Vollbrecht |
第一部:未来都市メトロポリスの物語 – 詳細なあらすじ(ネタバレあり)
1.1 二層に分断された世界
物語の舞台は、西暦2026年の未来都市メトロポリスである。摩天楼が雲を突き、複葉機や未来的な航空機が飛び交うこの都市は、科学と機械文明が極限まで発達した、物質文明の精華である 。しかしその実態は、二つの世界に完璧に分断されている。地上は、支配者階級である資本家や知識人たちが「息子たちのクラブ」などの施設で享楽にふける楽園である。一方で、その壮麗な都市の地下深くには、都市全体のエネルギーを供給するための巨大な機械群が存在し、そこでは労働者階級の人々が過酷な長時間労働を強いられている 。

この都市は「脳」と「手」から成り立っている。「脳」とは、都市の全てを支配するジョー・フレーダーセン(資料によってはジョン・マスターマンとも表記)のような支配者階級である 。そして「手」とは、機械のように働き続ける労働者たちである。彼らは汚れた労働服に身を包み、シフト交代の際には、疲れ切った虚ろな顔でうつむきながら、巨大なエレベーターへと無個性な集団として行進する 。この天国と地獄のような極端な格差社会こそが、メトロポリスの真の姿なのである。
1.2 運命の出会いと世界の発見

物語は、支配者ジョー・フレーダーセンの息子、フレーダー・フレーダーセンが、地上の楽園である「永遠の庭」で女性たちと戯れている場面から始まる。何不自由なく育った彼は、地下世界の存在など知る由もない 。その時、質素な服をまとった一人の美しい女性が、労働者の子供たちを大勢引き連れて庭園に現れる。彼女の名はマリアである 。

マリアは子供たちに地上の若者たちを指し示し、「見よ、これ汝らの兄弟なり」と告げる 。その清らかで力強い姿に、フレーダーは一瞬で心を奪われる。マリアと子供たちはすぐに追い返されてしまうが、この運命的な出会いをきっかけに、フレーダーは自分の知らない世界の存在を強烈に意識する。彼はマリアの面影を追い、その世界の真実を知るため、初めて自らの意志で地下世界へと足を踏み入れるのであった 。
1.3 地下の惨状と父への反逆
フレーダーが地下で目にしたのは、想像を絶する光景であった。労働者たちは巨大な機械の前に立ち、まるで機械の一部であるかのように、延々と単調な作業を繰り返している 。彼らの個性は完全に剥奪され、番号で管理されている。フレーダーは、一人の労働者が過労で倒れ、それが原因で工場に巨大な爆発が発生する大惨事に遭遇する 。
その瞬間、フレーダーは強烈な幻覚を見る。目の前の巨大な機械が、古代の神モロクの禍々しい像へと姿を変え、その開かれた口の中に、労働者たちが次々と生贄として投げ込まれていくのである 。この幻覚は、労働者たちが都市の繁栄のために犠牲にされているという本質を、彼に痛烈に突きつけた。
衝撃を受けたフレーダーは父フレーダーセンのもとへ駆け寄り、地下の惨状を必死に訴える。しかし、冷徹な支配者である父は「それが彼らのいるべき場所だ」と一蹴し、全く取り合わない。それどころか、フレーダーが持ち場を離れたことを報告しなかった部下をその場で解雇してしまう。フレーダーは、父の非情さに絶望しつつも、解雇された部下のヨザファートを助け、彼を自身の協力者として迎え入れる。こうして、フレーダーの父に対する静かな反逆が始まったのである 。
1.4 発明家ロートヴァングと機械人間(マシーネンメンシュ)の誕生
一方、フレーダーセンは、労働者たちの間で預言者のように慕われているマリアの存在を、自らの支配体制を揺るがしかねない危険な要素と見なしていた。彼は、メトロポリスの古い家に住む旧友であり、かつて恋敵でもあった天才発明家ロートヴァングを訪ねる 。フレーダーセンはロートヴァングに、マリアに瓜二つのアンドロイド、すなわち「機械人間(マシーネンメンシュ)」を造るよう命じる 。その目的は、偽のマリアを使って労働者たちの間に不和の種をまき、彼らの団結を内部から破壊することであった 。

ロートヴァングはフレーダーセンの依頼を引き受けるが、その胸中には別の思惑があった。彼はマリアを誘拐し、自らの研究室に連れ去る。そして、奇怪な装置を使い、彼女の生命エネルギーと容姿を、金属の骨格を持つロボットへと転写していく。この変身シーンは、無機質なロボットが生命を帯びたマリアへと姿を変える、映画史に残る視覚的ハイライトの一つである 。フレーダーは研究室から聞こえるマリアの悲鳴を耳にし、彼女を救おうと駆けつけるが、固く閉ざされた扉に阻まれ、なすすべもなかった 。
1.5 偽マリアによる扇動と狂乱
こうして誕生した機械人間マリアは、まず地上の支配階級の男たちの前に姿を現す。メトロポリスの歓楽街「ヨシワラ」の舞台に立った彼女は、体をくねらせ、腰を振り、乳房をあらわにする扇情的なダンスを披露する 。男たちはその妖艶な魅力に完全に心を奪われ、狂乱状態に陥る 。このダンスは、聖書に登場する「バビロンの大淫婦」を象徴しており、彼女が堕落と破滅をもたらす存在であることを暗示している 。
その後、偽マリアは地下の労働者たちの前に現れる。しかし、そこでの彼女は、本物のマリアが説いていた平和や忍耐ではなく、過激な革命を扇動する 。彼女は「機械に死を与えよ!」と叫び、労働者たちの怒りと憎しみを煽る 。それまで本物のマリアの言葉を信じ、媒介者の到来を待っていた労働者たちは、豹変したマリアの言葉に熱狂し、彼女を新たな救世主として崇め、破壊的な暴動へと突き進んでいくのであった。
1.6 メトロポリスの崩壊と洪水
偽マリアに扇動された労働者たちは、ついに都市の中枢である「ハートマシン」へと殺到する。現場責任者のグロートが「これを破壊すれば、君たちの住む地下都市は水浸しになるぞ!」と必死に警告するが、興奮した群衆にその声は届かない 。彼らはついにハートマシンを破壊してしまう。偽マリアは、その破壊の光景を満足げに見届けた後、群衆の前から姿を消す 。
グロートの警告通り、都市の心臓部が停止したことで、メトロポリスの全機能が麻痺する。地上の都市は停電し、地下の労働者都市では排水ポンプが停止。その結果、地下水路から大量の水が逆流し、労働者都市は瞬く間に大洪水に見舞われる 。自分たちの行動が招いた惨事に、労働者たちはようやく我に返る。しかし、時すでに遅く、彼らの子供たちが地下都市に取り残されていることに気づき、絶望の叫びを上げるのであった 。
1.7 救出と和解への道
その頃、ロートヴァングの研究所から命からがら脱出した本物のマリアは、フレーダーと地下で再会する。二人は、洪水で水没しつつある労働者都市に子供たちが取り残されていることを知り、彼らの救出に向かう 。二人は必死の努力の末、壁をよじ登り、鉄柵をこじ開け、無数の子供たちを地上へと避難させることに成功する 。
一方、自分たちの子供が死んだと思い込んだ労働者たちは、その怒りの矛先を扇動者である偽マリアに向ける。「魔女だ!」と叫びながら彼女を追い詰め、広場で火あぶりの刑に処す 。

燃えさかる炎の中で、偽マリアの肉体が溶け落ち、その下から金属の骨格が現れる。彼女が人間ではなくロボットであったことを知り、群衆は驚愕する 。
時を同じくして、狂気に駆られたロートヴァングが本物のマリアを誘拐し、教会の屋上へと連れ去る。彼はマリアを、かつて愛した女性ヘルの生まれ変わりだと信じ込んでいる。フレーダーはマリアを救うために後を追い、屋上でロートヴァングと死闘を繰り広げる。激しいもみ合いの末、ロートヴァングはバランスを崩し、大聖堂の屋上から転落して絶命する 。
1.8 媒介者による調停
全ての騒乱が終わり、教会の前で支配者フレーダーセンと、労働者の代表である現場監督グロートが対峙する。両者の間には、破壊された都市と、互いへの不信感という深い溝が横たわっている 。彼らは握手をしようとしない。
その時、マリアがフレーダーにささやく。「頭脳と手の媒介者は心でなくてはならない」。その言葉に促され、フレーダーが二人の間に進み出る。彼は「媒介者(Mediator)」として、父フレーダーセンの手を取り、それをグロートの手へと導く。ついに、支配者と労働者の手は固く結ばれる 。頭脳(支配者)と手(労働者)が、心(愛と共感)によって結びつけられた瞬間であった。この和解の光景をもって、映画は幕を閉じる。
第二部:『メトロポリス』を解剖する – 主要テーマの深掘り
2.1 階級闘争と格差社会の寓話:「頭脳」と「手」の対立
『メトロポリス』が描く社会構造は、極めて象徴的である。地上の支配階級を「頭脳(脳)」、地下の労働者階級を「手」と定義するこの明確な二元論は、産業資本主義社会が内包する構造的な矛盾を寓話化したものである 。地上の支配者たちは思考し計画するが、生産活動には一切関与しない。
対照的に、地下の労働者たちは思考することを許されず、ただひたすらに肉体を酷使する「手」として存在する。彼らは個性を剥奪され、番号で管理される機械の歯車であり、その非人間的な労働環境への痛烈な批判は、後にチャールズ・チャップリンが『モダン・タイムス』(1936年)で描いたテーマにも影響を与えたとされる 。
しかし、本作が提示する解決策は、マルクス主義的な階級闘争による革命ではない。映画は、労働者たちの蜂起を共産主義的な革命のトーンで描き始めるかのように見える 。しかし、その革命は偽マリアという外部からの扇動によって引き起こされ、結果として自らの生活基盤と子供たちの命を危険に晒す、無秩序で自己破壊的なものとして否定的に描写される 。労働者たちは、扇動に乗りやすい、理性を欠いた愚かな大衆として描かれているのである。

最終的な解決策は、階級構造そのものを転覆させることではなく、「心」を体現する媒介者フレーダーを通じて、支配者(頭脳)と労働者(手)が和解し、協調するというものである 。この「階級協調」という思想は、共産主義の階級闘争史観とは明確に対立する。
この結末の背景には、脚本家テア・フォン・ハルボウの政治的信条が色濃く反映されている。彼女は後にナチスに強く傾倒し、ナチ党員となった 。そして、アドルフ・ヒトラー自身もこの映画を高く評価していたという事実は、この結末の解釈に重要な示唆を与える 。支配者と労働者が、民族や国家といったより大きな共同体のために手を取り合うという構図は、ナチスが掲げた「国民共同体(フォルクスゲマインシャフト)」の理念と酷似している。
したがって、『メトロポリス』の結末は、単なる楽観的なハッピーエンドではなく、革命を否定し、権威主義的な指導者の下での国民統合を賛美するという、極めて政治的なメッセージを内包していると分析できる 。このイデオロギー的な対立は、監督であるフリッツ・ラングとハルボウの間に深刻な亀裂を生んだ。ラング自身はこの楽観的な結末に強い不満を抱いており、この思想的な食い違いが、後に二人が離婚し、ラングがナチス・ドイツからアメリカへ亡命する一因となったのである 。
2.2 テクノロジーの光と影:機械、AI、そして非人間化
『メトロポリス』におけるテクノロジーは、ユートピアとディストピアの両義的な存在として描かれる。地上の支配者たちが享受する華やかで快適な生活は、紛れもなく高度な機械文明の恩恵である。しかし、その輝かしい繁栄の基盤は、地下で労働者たちが強いられる非人間的な機械労働によって支えられている 。テクノロジーは、一部の者には楽園を、他の多くの者には地獄をもたらす、両刃の剣として機能している。
このテクノロジーの二面性を最も鮮烈に象徴するのが、発明家ロートヴァングが生み出した機械人間マリア(マシーネンメンシュ)である。彼女は、人間と見分けがつかないアンドロイドが社会に何をもたらすかという、根源的な問いを突きつける。これは、現代における人工知能(AI)やロボット工学が直面する倫理的なジレンマを、一世紀近く前に予見したものであると言える 。

機械人間は、物語の中で「聖女」と「淫婦」という二つの全く異なるペルソナを演じ分ける 。元となった本物のマリアは、労働者たちに平和と希望を説く「聖女」的な存在である。しかし、彼女の姿をコピーしたロボットは、男たちの欲望を煽り、社会に混乱と破壊をもたらす「淫婦」として機能する。
この対比は、テクノロジーそれ自体には善悪がなく、それを用いる人間の意図によって、人間の善性と悪性の両方を増幅させる強力な道具となりうることを示唆している。ロートヴァングの復讐心という悪意によってプログラムされたロボットは、社会を破滅へと導く。この描写は、テクノロジーの発展には、それを制御する倫理観や人間性が不可欠であるという、時代を超えた警告なのである。
2.3 聖書的象徴主義の解読:バベルの塔から黙示録まで
『メトロポリス』は、その物語の骨格に聖書的な象徴主義を深く組み込んでいる。中でも最も中心的なメタファーとなっているのが、マリアが地下のカタコンベで労働者たちに語り聞かせる「バベルの塔」の物語である 。
旧約聖書の「創世記」によれば、バベルの塔は、天にまで届く塔を建てようとした人間の傲慢さに対し、神が怒り、人々の言葉を混乱させて建設を中断させた、という物語である 。しかし、『メトロポリス』におけるマリアの説教は、この物語を独自に解釈し直している。

彼女の語る物語では、神の介入は描かれない。塔の建設が失敗した原因は、「頭脳」を持つ者たちが塔を構想し、「手」を持つ者たちがそれを建設したものの、「同じ言葉を話しているのに、互いを理解できなかった」という、人間同士のコミュニケーション不全に求められる 。この再解釈は極めて重要である。なぜなら、物語の核心が「神対人間」の神学的な問題から、「人間対人間」、特に階級間の断絶という社会的な問題へと移行しているからである。この寓話は、支配者フレーダーセンのオフィスがある超高層ビルが「新バベルの塔」と呼ばれていることからもわかるように、メトロポリスの社会構造そのものを指し示している 。
さらに、映画は新約聖書の「ヨハネの黙示録」からも多くのイメージを借用している。偽マリアがヨシワラの舞台で披露する扇情的なダンスは、彼女が10頭の怪獣に支えられた台の上で踊るという描写からも明らかなように、「バビロンの大淫婦」を直接的に象徴している 。彼女が労働者を扇動し、都市が炎と洪水によって破壊される様は、世界の終末を描く黙示録的なビジョンそのものである。

これら旧約・新約のイメージに加え、キリスト教的なモチーフも随所に見られる。本物のマリアは、子供たちを慈しむ姿から聖母マリア(Madonna)を彷彿とさせ 、フレーダーは、神(父フレーダーセン)と人類(労働者)の間を取り持つキリスト的な「媒介者(Mediator)」としての役割を担う 。特に、彼が労働者の身代わりとなって巨大な時計型の機械に繋がれ、苦悶するシーンは、キリストの受難と十字架を強く暗示している 。
このように、『メトロポリス』は聖書的イメージを多用しながらも、その問題を巧みに世俗的な次元へと再配置している。映画が最終的に提示する救済が、神の奇跡ではなく、「心」という人間的な共感に求められる点も、宗教的権威が揺らぎ始めた近代的な世界観を色濃く反映していると言えるだろう。
2.4 支配者と発明家の確執:フレーダーゼン、ロートヴァング、そしてヘルの物語

『メトロポリス』の物語の深層には、支配者フレーダーセンと発明家ロートヴァングの間の、長年にわたる個人的な確執が存在する。このサブプロットは、1927年のアメリカ公開版をはじめとする多くの短縮版フィルムでは完全にカットされていたため、長らくその重要性が見過ごされてきた 。2008年にアルゼンチンで失われたフィルムが発見され、2010年の完全復元版が公開されたことで、初めてこの物語の全貌が明らかになった。
二人の対立の根源には、「ヘル(Hel)」という一人の女性の存在があった 。かつて、フレーダーセンとロートヴァングはヘルを巡る恋敵であった。しかし、ヘルはロートヴァングを捨ててフレーダーセンを選び、彼との間に息子フレーダーをもうけた後、産褥で命を落とした 。
ロートヴァングにとって、ヘルの喪失は決して癒えることのない傷であった。彼の奇怪な家の内部には、亡きヘルの巨大な胸像が祀られており、彼が開発した機械人間の本来の目的は、ヘルをアンドロイドとして蘇らせることであった 。この背景を理解することで、ロートヴァングの行動原理が、単なる「マッドサイエンティスト」の常軌を逸した狂気ではなく、フレーダーセンへの消えることのない憎しみと、失われた愛を取り戻そうとする歪んだ執念に根差していることが明らかになる 。
フレーダーセンが彼にマリアの姿をしたロボットの製作を依頼したとき、ロートヴァングは復讐の絶好の機会を見出す。彼はフレーダーセンの計画に従うふりをしながら、その実、偽マリアを使ってメトロポリスの社会秩序そのものを破壊し、フレーダーセンから全てを奪い去ろうと画策する。彼の最終的な目的は、フレーダーセンへの究極の復讐なのである 。この個人的なドラマは、階級闘争という社会的なドラマと交錯し、物語に複雑な奥行きを与えている。
第三部:映画史上の金字塔 – 製作背景と技術革新
3.1 ヴァイマル共和政とドイツ表現主義の奔流
『メトロポリス』が産声を上げた1920年代のドイツは、ヴァイマル共和政と呼ばれる、極度の混乱と類稀なる創造性が共存した時代であった。第一次世界大戦の敗戦がもたらした政治的・経済的混乱、天文学的な数字に達したハイパーインフレーション、そしてそれらが生み出す社会不安は、人々の心に深い影を落としていた 。しかし同時に、旧来の価値観からの解放は、芸術の分野で爆発的なエネルギーを生み出した 。
この時代を象徴する芸術運動が「ドイツ表現主義」である。客観的な現実を写し取るのではなく、人間の内面的な不安、恐怖、葛藤といった主観的な精神状態を、歪んだ遠近法、極端な光と影のコントラスト、様式化された誇張された演技によって視覚化しようと試みた 。映画の分野では、ロベルト・ヴィーネ監督の『カリガリ博士』(1920)がその代表作として知られる 。
『メトロポリス』もまた、このドイツ表現主義の潮流の中に位置づけられる。天を突き刺すかのようにそびえ立つ威圧的な摩天楼、労働者たちが画一的な動きで機械に隷属する姿、そして光と影が織りなすドラマチックな画面構成は、単なる未来都市の描写を超えて、機械文明に対する畏怖や、社会構造が個人に与える抑圧といった内面的なテーマを力強く表現しているのである 。
3.2 シュフタン・プロセス:未来都市を創造した魔法の鏡

『メトロポリス』の壮大な未来都市の景観を実現可能にしたのが、撮影監督オイゲン・シュフタンがこの映画のために発明した「シュフタン・プロセス」と呼ばれる画期的な特撮技術である 。
この技術の原理は、鏡の反射を利用した合成撮影にある。まず、カメラの前に、視線に対して45度の角度で大きな鏡を設置する。次に、俳優が立つ実際のセットが映るように、鏡の表面の銀箔を必要な部分だけ削り取る。そして、鏡の銀箔が残っている部分に、精巧に作られた都市のミニチュアモデルや背景画を反射させて映し込む。この状態で撮影を行うと、カメラは鏡の透明な部分を通して俳優を捉え、同時に鏡に反射したミニチュアを捉えるため、あたかも俳優が巨大なセットの中に実際に立っているかのような、リアルで奥行きのある合成映像を一発撮りで作り出すことができた 。
この「魔法の鏡」とも言える技術なくして、『メトロポリス』の息をのむような都市景観や、巨大なスタジアムのシーンは実現不可能であった。シュフタン・プロセスは、後のマットペインティングやブルーバック合成技術が登場するまで、映画の特殊効果に革命をもたらしたのである。
3.3 ライトモティーフの交響詩:ゴットフリート・フッペルツの音楽
サイレント映画である『メトロポリス』において、ゴットフリート・フッペルツが作曲したオリジナルのオーケストラスコアは、単なる伴奏音楽(BGM)ではなく、物語と不可分に結びついた、もう一人の語り部と言える存在である 。
フッペルツは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇で知られる「ライトモティーフ(示導動機)」の手法を全面的に採用した 。これは、特定の登場人物、場所、感情、あるいは抽象的な概念に対して、固有のメロディ(動機)を割り当て、それを物語の展開に合わせて変奏させる作曲技法である 。
『メトロポリス』のスコアには、実に16ものライトモティーフが存在するとされる 。例えば、壮麗な金管楽器が奏でる「メトロポリスのテーマ」は都市の偉大さを、優美な木管楽器とハープによる「マリアのテーマ」は彼女の清らかさと慈愛を、重々しい低音と打楽器が不気味なリズムを刻む「機械のテーマ」は労働者の絶望的な隷属と機械の脅威を、それぞれ表現する。
特に秀逸なのは、偽マリアが登場する場面である。そこでは、本物のマリアのテーマが歪められ、軍隊行進曲のように攻撃的な旋律へと変奏されることで、彼女の内面的な変化と邪悪な意図が、セリフなしに雄弁に物語られる 。
この精緻に構築されたスコアは、映画のプレミア上映時に66人編成のオーケストラによって生演奏され、高く評価された 。そして後年、フィルムが世界中に散逸し、様々な短縮版が作られた際、フッペルツが残した完全な楽譜は、失われたシーンの構成や順序を推測するための、何よりも貴重な手がかりとなったのである 。
第四部:失われたフィルムを求めて – ズタズタにされた傑作の数奇な運命
4.1 オリジナル版の消失と「ズタズタにされた」バージョン
1927年1月10日、ベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォーでプレミア上映された『メトロポリス』のオリジナル版は、上映時間153分、フィルムの長さは4,189メートルにも及ぶ大作であった 。しかし、その長大さゆえか、興行的な理由からか、このバージョンはわずか数週間で上映が中止され、歴史の闇に消えてしまった。
その後、この傑作の受難の歴史が始まる。アメリカでの配給権を獲得したパラマウント社は、アメリカの観客には長すぎると判断し、劇作家チャニング・ポロックに依頼して大幅なカットを敢行した。フィルムの長さは約3分の2にあたる約3,100メートルにまで短縮された 。この編集の過程で、物語の深層をなす重要な要素が次々と削ぎ落とされた。フレーダーセンとロートヴァングが女性ヘルを巡って対立した過去、フレーダーセンが息子を監視するために放った「痩せた男」の暗躍、歓楽街「ヨシワラ」の退廃的な描写など、物語に複雑な奥行きを与えるサブプロットが削除され、内容はフレーダーとマリアの恋愛物語へと単純化されてしまったのである 。
さらに悲劇的なことに、ドイツ本国でさえ、このアメリカ版を元にした短縮版がその後の標準的な上映バージョンとなってしまった。これを知ったフリッツ・ラング監督は、「私の最良のフィルムであるメトロポリスをズタズタにしてしまった」と激しく不満を表明し、後年には『メトロポリス』を「もはや存在しない」映画とまで語るほどであった 。
4.2 長きにわたる復元の試み
第二次世界大戦後、映画史における『メトロポリス』の重要性が再認識されると、世界中のフィルムアーカイブに散在する様々なバージョンの断片を繋ぎ合わせ、オリジナル版の姿を取り戻そうという、気の遠くなるような復元の試みが始まった。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵するプリントを元にした「MoMA版」、国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)が主導した「FIAF版」、そして1980年代にミュンヘン映画博物館が、当時発見されていた脚本や検閲カード、音楽スコアといった二次資料を駆使して行った「ミュンヘン映画博物館版」など、複数の「復元版」が制作された 。これらの努力により、映画の姿は少しずつオリジナルの形に近づいていったが、それでもなお完全な姿には程遠かった。2001年には、現存する最良のネガをデジタル技術で修復したバージョンが作られたが、それでも映画全体の約4分の1は失われたままだと考えられていた 。
4.3 ブエノスアイレスでの奇跡的な発見と「完全復元版」の誕生
もはや完全な形での復元は不可能かと思われた2008年、映画史を揺るがす奇跡が起こる。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある映画博物館(Museo del Cine)のアーカイブから、長年失われていたシーンを大量に含む16mmのフィルムコピーが発見されたのである 。これは、ある個人コレクターが所有していたものを博物館が寄贈されたもので、約80年間、その価値に気づかれることなく眠っていた。
このフィルムには、これまで欠落していた約25分もの映像が含まれていた。この発見に基づき、ドイツのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ財団が中心となって大規模な修復プロジェクトが開始された。画質の劣る16mmフィルムの映像を、既存の35mmフィルムの映像と違和感なく統合する作業は困難を極めたが、最新のデジタル技術を駆使して修復は完了した。
そして2010年、上映時間150分に及ぶ「完全復元版(The Complete Metropolis)」が、第60回ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映された 。ブランデンブルク門の前に設置された巨大スクリーンでの野外上映には、数千人の観客が詰めかけた。この修復により、前述のヘルの物語や、「痩せた男」による追跡劇、ヨシワラのシーンなどが復活し、登場人物の動機や物語の複雑な構造が、公開から83年の時を経て、初めてほぼ完全な形で観客の前に姿を現したのである 。
バージョン名/年代 | 上映時間/フィルム長 | 主な特徴と経緯 | 状態 |
オリジナル・プレミア版 (1927) | 153分 / 4,189m | ベルリンで初公開されたフリッツ・ラングの意図したバージョン。ゴットフリート・フッペルツの完全なスコアと共に上映。 | 散逸 (Lost) |
パラマウント米国公開版 (1927) | 約107分 / 約3,100m | ポロックにより大幅にカット。ヘルの物語など複雑なサブプロットを削除し、恋愛物語として単純化。 | 長年、世界の標準版の元となる。 |
ドイツ再公開版 (1927) | 約118分 / 3,241m | 米国版を元にドイツで再編集されたバージョン。ラングは関与せず。 | ベルリン以外で広く上映された。 |
2001年修復版 | 約124分 | 現存する最良のネガをデジタル修復。失われたシーンは字幕で補完。 | 2008年の発見以前の決定版。 |
2010年完全復元版 | 150分 | 2008年にブエノスアイレスで発見されたフィルムを元に、失われたシーンの多くを復元。物語の全体像がほぼ明らかに。 | 現存する最長のバージョン。 |
第五部:後世への計り知れない影響
『メトロポリス』がその後のSF作品、映画、さらにはポップカルチャー全般に与えた影響は、まさに計り知れない 。その影響は、単なる視覚的デザインの模倣にとどまらず、物語の構造やテーマ性の継承にまで及んでいる。本作が提示した「未来像」と「問い」は、後世のクリエイターたちにとって、乗り越えるべき巨大な金字塔として、また尽きることのないインスピレーションの源泉として機能し続けている。
この影響の構造は、二つの側面から分析できる。一つは、直接的で分かりやすい「ビジュアル・デザイン」の継承である。そしてもう一つは、より深く、後のSF作品の思想的根幹を形成した「テーマ」の継承である。ビジュアルは模倣され、テーマは再解釈され続ける。この二重構造こそが、『メトロポリス』を単なる古典ではなく、今なお生き続ける「神話」たらしめているのである。
5.1 『ブレードランナー』への影響

リドリー・スコット監督のSF映画の傑作『ブレードランナー』(1982)は、『メトロポリス』から最も色濃い影響を受けた作品の一つである。
その影響は、まず何よりも視覚的な類似性に顕著である。天を覆い尽くすほどの超高層ビルが林立し、その間を酸性雨に打たれながら空飛ぶ車「スピナー」が行き交う2019年のロサンゼルスの景観は、『メトロポリス』が創造した未来のメガシティのビジュアルを直接的な参照点としている 。巨大な建造物によって個人が矮小化され、都市の圧倒的なスケール感が孤独と疎外感を際立たせる演出も、両作品に共通する手法である 。
テーマ的な共通性もまた深い。人間と見分けがつかないほど精巧な人造人間(レプリカント)の存在と、彼らが抱く「人間になりたい」という願い、あるいは「人間とは何か」という存在論的な問いは、『メトロポリス』が機械人間マリアを通じて提示したテーマの、より洗練された継承と言える 。また、富裕層が摩天楼の上層階に住み、下層社会が混沌と貧困に喘ぐという極端な格差社会の描写も、『メトロポリス』の二層構造の世界観と響き合っている 。
さらに、物語の構造にも類似点が見られる。両作品とも、物語のクライマックスにおいて、主人公と敵対者が高層ビルの屋上で壮絶な死闘を繰り広げるという点で一致している 。これらの点から、『ブレードランナー』は『メトロポリス』が築いたディストピアSFの視覚言語とテーマ性を、1980年代の感性でアップデートした正統な後継者と位置づけることができる。
5.2 『スター・ウォーズ』への影響
ジョージ・ルーカス監督によるスペースオペラの金字塔『スター・ウォーズ』(1977)にも、『メトロポリス』の影響は明確に見て取れる。
その最も直接的で象徴的な影響は、人気ドロイドC-3POのデザインである。その金色の流線的なフォルムは、『メトロポリス』に登場する機械人間マシーネンメンシュから直接的なインスピレーションを得て生み出された。これは、コンセプトアーティストのラルフ・マッカリー自身が認めている事実であり、二つのロボットのデザインを比較すればその類似性は一目瞭然である 。映画史上最も有名なロボットの一つのルーツが、半世紀も前のドイツ映画にあるという事実は、本作の影響力の大きさを物語っている。

また、視覚的な影響はC-3POのデザインだけにとどまらない。『スター・ウォーズ』のプリクエル・トリロジーで描かれた、銀河共和国の首都惑星コルサントの景観は、高層ビルが林立し、無数のエアスピーダーが飛び交う、まさに『メトロポリス』的な未来都市像である 。さらに、善と悪の二元論的な対立や、聖書的な要素を物語に取り込む手法など、テーマ性の面でも間接的な影響を指摘することができる 。
5.3 その他の作品への影響
『メトロポリス』の影響力は、特定の作品にとどまらず、ジャンルや国境、時代を超えて広がっている。
日本の漫画・アニメーション界の巨匠、手塚治虫は、少年時代に雑誌で見た『メトロポリス』の未来都市の写真に強烈な衝撃を受け、自身の初期SF漫画である『メトロポリス』(1949年)や『来るべき世界』(1951年)などで、その影響を色濃く反映した未来像を描いた 。手塚作品を通じて、『メトロポリス』のDNAは日本のポップカルチャーに深く刻み込まれ、その系譜は、大友克洋の『AKIRA』(1988年)のような後の作品にも見て取ることができる 。

音楽の世界では、イギリスのロックバンド、クイーンが1984年に発表した楽曲「Radio Ga Ga」のミュージックビデオが、本作の映像を全面的に使用したことで有名である 。このビデオを通じて、『メトロポリス』の象徴的なイメージは、映画ファン以外の幅広い層にも知られることとなった。
さらに、本作は「マッドサイエンティスト」というキャラクターの原型の一つを確立し 、その後のディストピア映画における視覚的・テーマ的な基盤を築いた 。『メトロポリス』は、単なる一本の映画ではなく、後世のクリエイターたちが参照し、対話し、時には反発することで新たな創造物を生み出していく、巨大な文化的遺産なのである。
結論:なぜ『メトロポリス』は現代社会の鏡なのか
本稿で多角的に分析してきたように、フリッツ・ラングの『メトロポリス』は、1927年の作品でありながら、単なる過去の映画史的遺物として片付けることのできない、驚くべき現代性を保持している。作中で描かれたテーマは、一世紀近い時を超えて、我々の社会が今まさに直面している問題を映し出す鏡として機能しているのである 。
AIが人間の知能を超え、仕事を奪うのではないかというシンギュラリティへの期待と不安 。一部の富裕層と大多数の貧困層へと社会が二極化し、物理的な分断さえ生み出す深刻な経済格差の問題 。そして、ソーシャルメディアなどを通じて特定の情報が拡散され、人々が容易に扇動されて社会が分断される現象 。これらはいずれも、『メトロポリス』が描いたディストピアの様相と不気味なほどに重なり合う、21世紀の我々にとって決して他人事ではない現実である。
映画が最終的に提示した解決策、「頭脳と手の媒介者は心でなくてはならない」というメッセージは、そのイデオロギー的な背景から多くの批判を受け、単純な楽観主義と見なされることもある 。確かに、支配者と労働者が握手をするだけで構造的な問題が解決するわけではない。しかし、このメッセージが持つ本質的な問いかけは、現代においてこそ、その重みを増している。
効率や合理性、利益を追求する「頭脳」と、それを実行するだけの「手」だけでは、社会は必ずや機能不全に陥り、人間性を蝕んでいく。そこに「心」、すなわち共感、倫理、そして他者への想像力といった要素が介在して初めて、持続可能で真に人間らしい社会が築かれるのではないか。テクノロジーが加速度的に進化し、人間がその進歩のスピードに振り回されがちな現代において、『メトロポリス』が突きつけるこの問いは、我々が進むべき未来の方向性を考える上で、避けては通れない道標となる。本作は、進歩の真の意味とは何かを、我々に問い続ける不朽の金字塔なのである。
The Complete Guide to Fritz Lang’s Metropolis (1927): Plot, Themes, and Enduring Legacy
TL;DR:
A comprehensive analysis of Metropolis (1927), the foundational sci-fi film by Fritz Lang. This article explores its plot, socio-political allegories, religious symbolism, technological foresight, and its profound influence on cinema history.
Background and Context:
Set in a futuristic dystopia imagined in the Weimar Republic era, Metropolis (1927) is a silent film that has become a cornerstone of both science fiction and cinematic art. Directed by Fritz Lang and written by Thea von Harbou, it reflects the anxieties of industrial modernity, class division, and the role of technology in shaping human society.
Plot Summary:
The story follows Freder, the privileged son of the city’s ruler, who discovers the brutal conditions of the underground working class. As he meets the prophetic Maria, the conflict intensifies with the creation of a robotic doppelgänger used to manipulate the masses. A catastrophic uprising ensues, leading to destruction, revelation, and ultimately, reconciliation—symbolized by Freder’s role as the “Mediator” between the ruling elite and the oppressed workers.
Key Themes and Concepts:
- Class Division: “The brain” (ruling class) vs. “the hands” (laborers) and the plea for a “heart” to connect them.
- Technological Duality: The Maschinenmensch (robot Maria) embodies both utopian potential and dystopian danger.
- Religious Symbolism: From the Tower of Babel to the Whore of Babylon, the film integrates biblical imagery into a secular critique of power and ideology.
- Political Allegory: The film’s resolution reflects authoritarian and nationalist undertones, revealing ideological tensions between Lang and von Harbou.
Differences from the Manga:
This article does not directly compare Lang’s film to Osamu Tezuka’s manga or the 2001 anime adaptation, but it acknowledges the manga’s visual inspiration and Tezuka’s personal reinterpretation of the original film’s motifs.
Conclusion:
Nearly a century after its release, Metropolis remains hauntingly relevant. Its warnings about class conflict, technology’s dehumanization, and political manipulation resonate today more than ever. This article serves as a definitive guide to understanding the film’s intricate structure and enduring significance.
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