2022年6月に公開された映画『はい、泳げません』。この軽やかなタイトルの裏には、喪失と再生という、人間の心に深く迫る重厚なテーマが隠されています。主演に長谷川博己さん、共演に綾瀬はるかさんを迎え、監督・脚本は『舟を編む』で知られる渡辺謙作氏が担当しました。本作は、観る人の心に静かな感動を広げる、記憶と身体をめぐる物語です。
映画『はい、泳げません』- 作品の基本情報とキャスト

本作は、ノンフィクション作家・高橋秀実氏の同名エッセイを原作としています。製作は、大ヒット映画『花束みたいな恋をした』を手掛けたリトルモア。この強力な布陣から、公開前には大きな期待が寄せられていました。
しかし、本作の評価は少し複雑なものでした。長谷川博己さんと綾瀬はるかさんという人気と実力を兼ね備えた俳優陣の出演に寄せられた大きな期待とは裏腹に、興行面では静かな結果に留まりました。その背景には、本作が持つユニークな性質があります。それは、商業的な大作映画のようなパッケージでありながら、その中身は観る者に深い問いを投げかける、挑戦的で芸術的な作品だったという点です。
コメディを思わせるタイトルとは裏腹に、物語の中心にあるのは「子どもの死」「PTSD」「記憶喪失」といった非常にシリアスなテーマです。このジャンル分けの難しさが、一部の観客を戸惑わせたのかもしれません。しかし、まさにその複雑さこそが、本作を単なる娯楽作品ではない、心に深く刻まれる一作にしているのです。
主な登場人物とキャスト
| 役名 | 俳優 | 役柄 |
| 小鳥遊 雄司 (たかなし ゆうじ) | 長谷川 博己 | 主人公。水に顔をつけることさえ怖い、極度の水恐怖症を抱える大学の哲学教授。 |
| 薄原 静香 (うすはら しずか) | 綾瀬 はるか | 「陸より水中の方が生きやすい」と語る、情熱的で少し風変わりな水泳コーチ。 |
| 美弥子 (みやこ) | 麻生 久美子 | 小鳥遊の元妻。彼との間に、忘れられない辛い過去を抱えています。 |
| 奈美恵 (なみえ) | 阿部 純子 | 小鳥遊の現在の恋人。小学生の息子を育てるシングルマザーです。 |
| 鴨下教授 | 小林 薫 | 小鳥遊が勤める大学の同僚で、心理学の教授。 |
| 笹木ひばり、葦野敦子など | 伊佐山ひろ子、広岡由里子など | 小鳥遊と共に水泳を習う、おしゃべりで陽気な主婦仲間たち。 |
詳しいあらすじ(ネタバレあり):水への恐怖を乗り越え、再生へ
物語は、大学で哲学を教える小鳥遊雄司(長谷川博己)が、極度の水恐怖症に苦しんでいるところから始まります。彼は水に顔をつけることすらできず、洗顔も濡れタオルで済ませるほど。その恐怖を、哲学教授らしく「屁理屈」でごまかしながら生きてきました。
そんな彼が、ある日突然、水泳教室に通うことを決意します。それは単なる気まぐれではありませんでした。シングルマザーの恋人・奈美恵(阿部純子)と彼女の息子との未来を考えたとき、「過去の過ちを繰り返したくない」という強い思いに駆られたのです。

彼を待ち受けていたのは、強引なほどに明るいコーチ・薄原静香(綾瀬はるか)と、賑やかな主婦仲間たちでした。最初のうちは、哲学教授である雄司の理屈っぽい考えが水中では全く通用せず、コミカルなシーンが続きます。静香の指導は、彼の頭ではなく、身体に直接語りかけるようなものでした。

しかし、雄司が少しずつ水に慣れていくにつれて、彼の心の奥底に封印されていた辛い記憶が、断片的に蘇り始めます。ここで、彼の水恐怖症の本当の原因が明らかになります。
数年前、当時6歳だった息子が川で溺れてしまったのです。泳げない雄司は必死に川へ飛び込みましたが、息子を助けることはできず、自らも岩に頭を打ち付けて意識を失いました。このあまりに辛い出来事に対し、彼の心は自分を守るため、事件そのものの記憶を消し去る「解離性健忘」という防衛反応を選んだのでした。

この記憶喪失は、当時の妻・美弥子(麻生久美子)との間に決定的な溝を作りました。息子の死という悲しみを、二人で分かち合うことができなかったからです。美弥子が悲しみに打ちひしがれる隣で、雄司はその悲しみの核心に触れることさえできず、ただ戸惑うばかりでした。後に美弥子が彼にぶつける「私が泣いてるときに一緒に泣いて欲しかった」という言葉は、共有されなかった悲しみが、二人の関係を終わらせたことを物語っています。
水泳のレッスンは、雄司にとって図らずも、トラウマと向き合う治療(曝露療法)のようになっていきます。水という存在が、彼の意識と無意識の境界線を曖昧にしていくのです。そしてついに、彼は息子の死の瞬間のすべてを思い出します。それは耐え難い苦痛であると同時に、一種の解放でもありました。静香が「水の中では泣いてもいい」と語るプールの中で、雄司は初めて、息子のために心から涙を流すのです。

物語の結末は、単純なハッピーエンドではありません。しかし、そこには確かな希望が描かれます。泳げるようになった雄司は、元妻の美弥子と共に、息子の遺品を整理します。そこには穏やかな相互理解の空気が流れます。そして、二人の間に亡き息子の幻が現れ、彼らを優しく抱きしめる幻想的なシーンは、夫婦がそれぞれの形で喪失を受け入れたことの象徴です。
過去と向き合い、自分の一部を取り戻した雄司は、今度こそ、恋人の奈美恵との未来へ一歩を踏み出す準備ができたのでした。彼にとって泳ぎを学ぶことは、再び「生きる」ための術を学ぶことそのものだったのです。
主要テーマを深掘り:トラウマ、記憶、そして「再生」の物語

本作は、「人間の心の回復には、頭で考えるだけでは限界があり、身体とのつながりを取り戻すことがいかに重要か」を力強く描いています。主人公の小鳥遊雄司は、物事を難しく考える哲学教授、いわば「頭の人」です。彼はその知性を、恐怖から自分を守る「屁理屈」という盾として使ってきました。
しかし、彼のトラウマは「溺れる」という非常に身体的な体験に根ざしています。そのため、何年もの間、彼の知性は自分自身を癒すことができませんでした。回復への道は、皮肉にも、彼が最も恐れる身体的体験、つまり水と再び向き合うことからしか始まらなかったのです。
水泳という「リハビリテーション」

本作における「水泳教室」は、単なる習い事の場ではなく、魂のリハビリテーション施設として描かれています。コーチ・静香の言葉は、水泳の技術指導を超えた、人生のアドバイスのように響きます。「前にも後ろにも行けないなら、上に進むしかないでしょう!」というセリフは、水中で浮くためのコツであると同時に、人生の停滞から抜け出すためのヒントでもあります。プールという管理された環境は、雄司がトラウマの原因である「水」と安全に向き合うための、完璧な治療空間となっていたのです。
解離性健忘と水の象徴
雄司の記憶喪失は、心理学で「解離性健忘」と呼ばれる状態です。これは、耐えられないほど辛い体験から心を守るために、その記憶だけを意識から切り離してしまう自己防衛メカニズムです。本作では、この心理状態が非常にリアルに描かれています。
この物語で「水」は、二つの意味を持っています。最初は「死」や「忘却」の象徴です。しかし、雄司が泳ぎを学ぶにつれて、水は「浄化」や「再生」の象徴へと変化していきます。それは、彼の心の澱を洗い流し、抑圧された感情を解放する「洗礼の水」となるのです。
共有されない悲しみ:小鳥遊と元妻・美弥子の断絶

本作で最も胸が痛むのは、雄司と元妻・美弥子の関係です。二人の悲劇は、息子を失ったことだけでなく、その悲しみを共にできなかったことにあります。美弥子の「一緒に泣いて欲しかった」という叫びは、単なる感情的な要求ではありません。「悲しむ母」である自分を、「悲しむ父」である雄司に認めてほしかった、という心の叫びでした。しかし、記憶を失っていた雄司には、それができませんでした。
この観点から見ると、雄司が水泳を学ぶ旅は、自分自身を、そして他者との関係を取り戻すための闘いの物語でもあったのです。
キャストの演技と演出の魅力
本作の物語の核心は、渡辺謙作監督による原作からの大胆な脚色にあります。原作は、著者自身が水泳を習う過程を軽やかに綴ったエッセイです。監督は、主人公が泳ぎを習わなければならない強い動機として、「息子の水難事故死」という重い過去を設定しました。この決断が、映画に深い感動を与えると同時に、ジャンル分けの難しい個性的な作品を生み出したのです。
長谷川博己の身体表現:泳げる俳優が演じる「泳げない男」

長谷川博己さんは、実は泳ぎが得意だそうです。だからこそ、彼の「泳げない演技」は、技術的に非常に優れています。泳げない人が水中で本能的に体をこわばらせ、沈んでいく様子を見事に体現しました。恐怖で硬直する姿から、コミカルにさえ見える序盤の足掻きまで、心理的な恐怖を身体で表現する彼の演技が、この映画にリアリティを与えています。
麻生久美子の名演:居酒屋シーンの緊張感
多くの人が、麻生久美子さんの演技を本作のハイライトとして挙げています。特に、雄司と二人で対峙する居酒屋のシーンは圧巻です。カメラは二人を正面からじっと捉え続け、観客をその場の息苦しい緊張感に引き込みます。普段は気丈に振る舞う元妻の仮面が剥がれ、長年抑圧してきた怒りと悲しみが爆発する瞬間は、観る者の心を強く揺さぶります。
綾瀬はるかの役割:「希望」の象徴として

物語の重いテーマの中で、綾瀬はるかさん演じる静香は、希望と安心感を与える存在です。彼女は雄司とは対照的に、水の中でこそ生き生きとし、感情をストレートに表現します。彼女の存在が、雄司を暗闇から光へと導くガイドの役割を果たしているのです。
評価と考察:なぜ『はい、泳げません』は心に残るのか

本作の興行成績は、その芸術的な野心と商業的な期待との間で揺れ動いた結果と言えるかもしれません。市場は「コメディ」「ドラマ」といった分かりやすいジャンルを好みますが、本作はその分類を軽やかに拒否します。タイトルと序盤はコメディを予感させながら、物語の核心は深い悲劇に根差している。このアンバランスさが、観る人によっては戸惑いにつながったのでしょう。
しかし、深く味わおうとする観客にとって、このコメディと悲劇の混在こそが、本作最大の魅力です。コメディが悲劇への入り口を優しくし、悲劇がコメディに深みを与えています。
そして、この物語のすべては「はい、泳げません」というタイトルに集約されます。これは単なるユーモラスなフレーズではありません。自分の弱さや過去の傷を認め、他者に助けを求める「告白」そのものである。どんな治療も、まずは問題を認めることから始まります。頭でっかちな哲学教授が、最も身体的で本能的な「水」と向き合い、泳ぎを学ぶ。その過程は、失われた記憶と感情を取り戻し、再び「生きる」ことを選択するための、静かで力強いリハビリテーションの記録だ。
興行収入の数字だけでは測れない、観る者一人ひとりの心に深く、静かに染み渡る。本作が心に残るのは、この極めてパーソナルな再生の物語を、真摯に描ききったからに他ならないのです。
English Summary
Hai, Oyogemasen (“Yes, I Cannot Swim”) – Full Review, Plot & Analysis
TL;DR
Hai, Oyogemasen portrays the psychological journey of a philosophy professor suffering from extreme hydrophobia, as he confronts trapped memories and grief through learning to swim. What begins as a personal challenge becomes a symbolic quest for reconciliation with loss, trauma, and connection.
Background and Context
Based on an essay by Hidemitsu Takahashi, the film was adapted into a thoughtful drama by director Kentō Watanabe. With leads Hiroki Hasegawa and Haruka Ayase, it combines elements of psychological realism, figurative symbolism, and human relationships. The narrative grapples with memory loss, suppressed trauma, and the body’s role in healing.
Plot Summary (No Spoilers)
Yūji Takanashi, a university philosophy professor, is consumed by fear of water—he cannot even wash his face with water, relying on damp towels. After ending relationships with his ex-wife and current partner, he impulsively joins a swimming class to reconcile with the possibility of life ahead. Under coach Shizuka’s guidance and alongside supportive peers, he slowly takes steps toward physical and emotional immersion. As he edges into the water, fragments of a traumatic past—particularly the drowning death of his child—resurface, forcing him to reckon with lost memories and guilt.
Key Themes and Concepts
- Trauma, Memory & Dissociation — The film portrays selective memory loss as a defense mechanism, and swimming becomes a path to re-exposure and remembrance.
- Body as Vessel of Emotion — The protagonist’s fear of water embodies how trauma resides in the body, and recovery demands embodied confrontation, not just intellectual reflection.
- Communication & Unshared Grief — His broken relationships, especially with his ex-wife, highlight how emotional isolation deepens suffering when grief cannot be shared.
- Rebirth & Symbolic Cleansing — Water shifts from symbol of danger to one of renewal; the act of swimming becomes a baptismal metaphor of self-acceptance and recovery.
Spoiler Section & Analysis
It is revealed that years ago, his young son drowned in a river. Takanashi’s inability to save him—and his subsequent head injury—caused a traumatic dissociation: he suppressed that memory entirely. The swimming lessons gradually defeat not just his phobia but his repression. In a climactic scene in the pool, he fully recalls the event, collapses in grief, then emerges cleansed, tearful, and transformed. He later revisits the emotional distance with his ex-wife, symbolically processing abandonment, regret, and acceptance. The film’s conclusion is not neatly happy, but it suggests hope and forward motion.
Cinematic elements reinforce these arcs: close-ups of water ripples, slow motion underwater shots, and reflections emphasize liminality. The contrast between dry, safe spaces and wet, uncertain ones underscores how crossing into water parallels entering memory’s depth.
Conclusion
Hai, Oyogemasen is a rare film that uses fear, memory, and water as narrative and symbolic tools for emotional redemption. The film’s strength lies in its quiet pacing and metaphorical clarity, though it may challenge viewers expecting conventional drama. For those drawn to introspective cinema, psychological healing stories, and poetic visual storytelling, this film offers a deeply human meditation on loss and renewal.

コメント