日本映画史に燦然と輝く超大作、1938年版『忠臣蔵 天の巻・地の巻』。阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎ら125名もの豪華スターが共演し、オリジナル版は171分という壮大なスケールで描かれた仇討ち物語だ。
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残念ながら完全版は失われてしまったが、現存する総集編からも、この作品の圧倒的な魅力は十分に伝わってくる。
基本情報
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 作品名 | 忠臣蔵 天の巻・地の巻 |
| 公開年 | 1938年(昭和13年)3月31日 |
| 監督 | 天の巻:マキノ正博(後のマキノ雅弘)<br>地の巻:池田富保 |
| 脚本 | 滝川紅葉 |
| 撮影 | 谷本精史 |
| 音楽 | 白木義信 |
| 主要キャスト | 阪東妻三郎(大石内蔵助) 片岡千恵蔵(浅野内匠頭/立花左近) 嵐寛寿郎(脇坂淡路守/清水一角) 月形龍之介(原惣右衛門/小林平八郎) 山本嘉一(吉良上野介) |
| 上映時間 | オリジナル版:171分 現存版(総集編):101分 |
| ジャンル | 時代劇 |
| 製作・配給 | 日活(京都撮影所) |
あらすじ:忠臣蔵の物語を壮大なスケールで描く
元禄14年、江戸城・松の廊下で事件は起きた。勅使饗応役を務める播州赤穂藩主・浅野内匠頭が、指南役である吉良上野介を斬りつけたのだ。理由は吉良からの執拗な嫌がらせだった。
浅野は即日切腹を命じられ、赤穂藩は取り潰しとなる。筆頭家老の大石内蔵助は、無念の涙を飲んで赤穂城を明け渡さざるを得なかった。
しかし、大石の心には一つの決意が燃えていた。主君の無念を晴らすため、吉良を討つ。だが、それは幕府への反逆を意味する。大石は慎重に仲間を集め、敵の目を欺くために京都で遊び呆ける「うつけ者」を演じた。
元禄15年12月14日の深夜、ついにその時が来る。雪降る本所松坂町の吉良邸に、四十七士が討ち入りを決行する——。
作品の見どころ:125名の豪華スターと二人の監督
左から、月形龍之介、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、阪東妻三郎
出典:シネフィル – 映画とカルチャーWebマガジン
日本映画史上最大級のオールスターキャスト
この作品の最大の魅力は、なんといっても125名ものスターが登場する点だろう。これは単なる数合わせではない。当時の日活が持てる人材すべてを結集した、まさに「総力戦」だったのだ。
主演の阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎は「三大スター」と呼ばれ、それぞれに熱狂的なファンがいた。今で言えば、人気アイドルグループ全員が同じ映画に出演するようなものである。映画館には、お目当てのスターを見るために、それぞれのファンが押し寄せたことだろう。
興味深いのは、多くのスターが「一人二役」を演じている点だ。片岡千恵蔵は悲劇の主君・浅野内匠頭と、豪快な武士・立花左近の両方を演じている。嵐寛寿郎は正義の味方である脇坂淡路守と、最強の敵・清水一角という真逆の役柄だ。
これは、171分という長い上映時間の中で、スターの出番を確保すると同時に、俳優の演技の幅を見せる工夫でもあった。観客は一粒で二度おいしい思いをしたに違いない。
出典:シネフィル – 映画とカルチャーWebマガジン
二人の監督による絶妙な役割分担
もう一つ注目すべきは、前編と後編で監督が異なるという珍しい製作方式である。
天の巻(前編)を担当したのはマキノ正博。彼は後に『鴛鴦歌合戦』などで知られるようになる監督で、映像に音楽的なリズムを持たせることが得意だった。前半は松の廊下での刃傷事件から赤穂城の明け渡しまで、つまり悲劇と苦悩が描かれる。重苦しくなりがちな内容を、マキノはテンポよく描き出したのだろう。
一方、地の巻(後編)は池田富保が監督した。彼は大規模な群衆シーンや、派手なアクションシーンを得意とする職人監督だった。後半は大石の遊蕩生活から、クライマックスの討ち入りまで。特に雪の吉良邸で47人の侍たちが繰り広げる集団殺陣は、池田の真骨頂と言える。
簡単に言えば、静かに燃える怒りの前半と、それが爆発する後半。性質の違う二つのパートに、最適な監督を配置したわけだ。これは非常に戦略的な判断であり、作品全体に緩急をつけることに成功している。
演技の見どころ:スターたちの競演
阪東妻三郎が演じる大石内蔵助の苦悩
大石内蔵助(阪東妻三郎)
出典:OCTV 帯広シティーケーブル
主演の阪東妻三郎、通称「バンツマ」が演じる大石内蔵助は、この物語の絶対的な中心である。大石は単なる英雄ではない。彼は悩み、苦しみ、そして決断する、血の通った人間として描かれている。
特に見どころは、京都の遊郭で遊び呆ける場面だろう。大石は敵の目を欺くため、わざと愚か者のふりをする。酒に溺れ、女遊びに明け暮れる姿は、かつての立派な家老の面影はない。しかし、ふとした瞬間に見せる鋭い眼差しに、彼の本当の思いが垣間見える。
バンツマの演技は、言葉にしない「腹芸」が持ち味だった。表面上は笑っていても、その奥に秘められた悲しみや怒りを、観客はその表情から読み取ることができる。これこそが名優の技だろう。
悲劇の貴公子と豪快な武士を演じ分ける片岡千恵蔵
片岡千恵蔵の二役も見事である。浅野内匠頭を演じるときの千恵蔵は、気品があり、どこか繊細だ。吉良のいじめに耐えに耐え、ついに刀を抜いてしまう悲劇性が際立つ。
一方、立花左近では一転して、豪快で男らしい武士を演じる。同じ俳優が正反対の役柄を演じることで、観客は千恵蔵の演技力の幅広さを堪能できる仕組みになっている。
正義と悪の両面を見せる嵐寛寿郎
「アラカン」こと嵐寛寿郎は、当時最高の剣戟スターだった。彼が演じる脇坂淡路守は、赤穂藩を助ける正義の大名として、陰鬱な前半に一筋の光を与える存在だ。
そして後半、同じアラカンが今度は吉良側の用心棒・清水一角として立ちはだかる。剣の達人である清水一角は、討ち入りのクライマックスで四十七士の前に立ちはだかる最大の障壁となる。
人気スターを悪役に配することは、当時としては勇気がいる決断だっただろう。しかし、正義の役も演じているからこそ、観客はアラカンの魅力を純粋に楽しめたのである。
脇を固める名優たちと華やかな女優陣
後に黒澤明監督作品で世界的に有名になる志村喬も、脇役としてクレジットされている。これは映画史的にも貴重な記録だろう。
女性陣では、亡き夫の仇討ちを信じて待つ瑤泉院を演じた星玲子、宝塚出身のスター・轟夕起子、そして遊郭の太夫を演じた花柳小菊など、華やかな顔ぶれが揃っている。
さらに喜劇王・杉狂児がそば屋の主人として登場し、天才子役の悦ちゃんがその娘を演じるなど、コメディ要素も忘れていない。悦ちゃんは本名を江島瑠美といい、1936年の映画『悦ちゃん』で一躍スターになった当時の超人気子役だ。
「和製シャーリー・テンプル」と呼ばれ、子供から大人まで幅広く愛された彼女の起用は、観客動員を狙った戦略的キャスティングでもあった。重厚な時代劇の中に、こうした息抜きのような場面があることで、観客は最後まで飽きることなく物語を楽しめる。
映像美と音楽:白黒映画の魅力
モノクロームが生み出す陰影の美学
この映画はもちろん白黒である。しかし、白黒だからこその美しさがある。
撮影を担当した谷本精史は、光と影のコントラストを巧みに使い分けた。特に『忠臣蔵』を象徴する「雪」の白さと、夜討ちの「闇」の黒さの対比は圧巻だったはずだ。
また、豪華な衣装の質感も見どころである。瑤泉院や太夫たちの着物、大石の陣羽織など、白黒映像であってもその豪華さが伝わるよう、照明技術が駆使されている。
現代のカラー映画に慣れた目で見ると、最初は物足りなく感じるかもしれない。しかし、白黒映画には白黒なりの表現力がある。影の落ち方一つで登場人物の心情を表現する、そんな繊細な演出を楽しんでほしい。
和と洋が融合した音楽
音楽を担当した白木義信は、伝統的な邦楽と西洋のオーケストラを融合させた劇伴を作り上げた。義太夫のような日本の伝統音楽と、壮大な管弦楽が組み合わさることで、作品に独特の雰囲気が生まれている。
前半のマキノパートではテンポの良い音楽が、後半の池田パートでは重厚な響きが、それぞれの映像を引き立てたことだろう。
歴史的背景:日活の危機と戦時下の娯楽
「日活更生記念」が意味するもの
この映画には「日活更生記念」という副題がついている。これは単なるキャッチコピーではない。当時の日活は、経営的に非常に厳しい状況にあった。
1930年代後半、かつて日本映画界の盟主だった日活は、東宝や松竹といった新興勢力に押され気味だった。スター俳優の引き抜きや独立、労働争議なども重なり、会社としての求心力が低下していたのだ。
そこで企画されたのが、この超大作である。これは日活にとって、文字通り「起死回生」のプロジェクトだった。社内の結束を固め、対外的には「日活健在なり」を示す。つまり、この映画は単なる娯楽作品ではなく、会社の命運を背負った戦いでもあったのだ。
春休みシーズンの3月31日に公開されたのも、学生や家族連れを含めた幅広い観客を動員するための戦略である。興行的な失敗は許されなかった。
戦時下における忠臣蔵の意味
1938年という年は、日中戦争が始まった翌年にあたる。この時期、『忠臣蔵』が描く「主君への忠誠」や「自己犠牲」というテーマは、国家が国民に求める道徳と重なっていた。
しかし、マキノ正博と池田富保の両監督が目指したのは、あくまで「映画としての面白さ」だったはずだ。オールスターキャストによる華やかさ、杉狂児や悦ちゃんによるコメディ要素。これらは、戦争の影が忍び寄る時代に、人々にひと時の夢と楽しみを提供するためのものだった。
確かに『忠臣蔵』は忠義の物語である。しかし同時に、それは人間ドラマでもある。大石は悩み、若い浪士たちは恋に涙し、そば屋の親子は彼らを応援する。そうした人間味あふれる描写こそが、この作品を単なるプロパガンダではない、普遍的な娯楽作品にしているのだ。
現代から見た価値:映像遺産としての重要性
完全版が見られない悲しい現実
戦前の日本映画の多くは、戦災や散逸によって失われてしまった。残念ながら、本作もその例外ではない。
公開時には171分あった完全版は、現在では存在していない。私たちが今観られるのは、1956年に編集された101分の総集編のみである。この総集版はDVDとして販売されているが、オリジナルから70分もの内容が失われているのだ。
なぜ完全版は消えてしまったのか。その理由は複数ある。
まず、戦前のフィルムは非常に燃えやすい素材でできていた。ニトロセルロースという物質を使っていたのだが、これは綿火薬と同じ成分で、高温多湿の環境で自然発火する危険性があった。実際、1950年には松竹の倉庫で大規模な火災が発生し、無数のフィルムが失われている。
また、当時の映画業界には「フィルムを保存する」という意識そのものが希薄だった。映画は使い捨てのエンターテインメントと考えられていたのだ。本作も公開直後に113分に短縮再編集され、その時点で一部のフィルムが不要なものとして処分された可能性が高い。
さらに、太平洋戦争の空襲により、多くのスタジオが被害を受けた。こうした複合的な理由により、戦前日本映画の約95%が失われたと言われている。本作の完全版も、その犠牲となってしまったのである。
残された価値
それでも、101分の総集版が残されているだけでも奇跡的と言えるだろう。戦前日本映画の多くが完全に消失している中、たとえ短縮版であっても、この貴重な映像を観られることは幸運なのだ。
この映画を見る意義は何だろうか。それは、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎といった伝説的スターたちの、最も脂の乗った時期の演技を目撃できることだ。彼らの身体の動き、声の出し方、そして何より「顔」の力。それはCGや特殊効果に頼らない、生身の人間が持つ迫力に満ちている。
また、戦前の日本社会や映画文化を知る上でも、貴重な資料である。当時の人々が何を求め、何に感動したのか。この映画の中にその答えが詰まっている。
70分もの映像が失われてしまったことは痛恨の極みだが、残された101分の中にも、日本映画黄金期の輝きは十分に感じ取れる。
映画サイトAllcinemaでのユーザースコアは6.3点と、現代の評価基準では標準的だが、これは総集版に対する評価であり、1938年当時の完全版がもたらした熱狂を反映したものではない。当時の観客にとって、本作は間違いなく「事件」であり、国民的な行事だったのだ。
まとめ:時代を超えて輝く日本映画の金字塔
1938年の日活映画『忠臣蔵 天の巻・地の巻』は、日本映画史における重要なマイルストーンである。会社の危機を救うため、二人の名監督と125名のスターが結集し、171分の壮大な物語を作り上げた。それは単なる娯楽映画ではなく、戦前日本の映画文化が到達した一つの頂点だった。
完全版が失われてしまったことは痛恨の極みだが、残された101分の総集版からも、この作品の偉大さは十分に感じ取れる。大石内蔵助の苦悩、四十七士の絆、そして雪の吉良邸での壮絶な戦い。これらの場面は、80年以上経った今も、多くの人々の心を揺さぶる力を持っている。
こんな人におすすめ:
日本映画の歴史に興味がある人、時代劇ファン、往年のスター俳優の演技を見たい人、そして何より、映画という芸術が持つ原初的な魅力——スターを見る喜び、物語に没入する快楽——を体験したい人に、ぜひ観ていただきたい作品である。
参考文献:
- allcinema「忠臣蔵 (天の巻・地の巻)」
- 日活公式サイト作品情報
- 映画ナタリー作品データベース





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