深作欣二が描く実録忠臣蔵『赤穂城断絶』(1978)—オールスターキャストで挑んだ630日の闘いのロマン

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「公儀への反逆」として描かれた忠臣蔵の新境地

1978年10月28日に公開された『赤穂城断絶』は、『仁義なき戦い』シリーズで日本映画界に衝撃を与えた深作欣二監督が、日本人の心に深く刻まれた忠臣蔵を実録タッチで描いた時代劇である。東映配給、カラー・シネマスコープ、上映時間159分という大作であり、昭和53年度文化庁芸術祭参加作品としても選ばれている。

出典:www.amazon.co.jp

本作は忠臣蔵の25回目の映画化作品であるが、単なる美談調の仇討ち物語ではない。赤穂城断絶から討入までの630日間を、幕府による「公儀への反逆」として捉え、組織の内部分裂、討ち入りから脱落していく浪士たち、そして死にゆく者たちの姿を、ドキュメンタリータッチで克明に描き出している。

深作監督は、従来の主君の無念を晴らす赤穂浪士と吉良家の対立という単純な構図を超え、より複雑な人間ドラマと政治的緊張を作品に織り込んだ。その結果、従来の忠臣蔵とは一線を画す、骨太な時代劇が誕生したのである。

『柳生一族の陰謀』の大ヒットを受けて実現した製作

本作の製作は、1978年1月に公開された萬屋錦之介主演・深作欣二監督の時代劇映画『柳生一族の陰謀』の大ヒットを受けて実現した。東映社長の岡田茂が、この成功に続く大型時代劇として企画したのが『赤穂城断絶』である。

興味深いことに、当初は吉良上野介を萬屋錦之介、大石内蔵助を金子信雄という逆の配役が計画されていた。しかし、錦之介にとって大石役は片岡千恵蔵、市川右太衛門ら往年の名優たちが演じてきた「役者の本懐」とも言える役柄であり、この計画を受け入れることはなかった。結果として、錦之介が大石内蔵助、金子信雄が吉良上野介という配役に落ち着いたのである。

ただし、この配役変更は製作現場に大きな影響を及ぼした。深作監督は今までの忠臣蔵とは違った新しい解釈の作品に仕上げたかったが、初めて大石内蔵助を演じることになった萬屋錦之介は従来のオーソドックスな物語を要望した。深作と錦之介は『柳生一族の陰謀』の撮影時にも対立しており、本作のクランクイン後も折り合うことはなかった。深作は岡田茂に降板を申し出るほどであったが、説得されて撮影を続行した経緯がある。

錦之介の意向を汲んで仕上げられた本作の製作は、深作にとって窮屈さを感じる不本意なものであった。この不完全燃焼の思いが、16年後の1994年に再び忠臣蔵を題材にした映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』を製作する動機となったのである。

豪華絢爛たるオールスターキャスト

本作の最大の特徴のひとつは、東映が総力を結集したオールスターキャストである。

主要キャスト

  • 大石内蔵助:萬屋錦之介
  • 浅野内匠頭長矩:西郷輝彦
  • 吉良上野介義央:金子信雄
  • 不破数右衛門:千葉真一
  • 小林平八郎(吉良家家老):渡瀬恒彦
  • 堀部安兵衛:松方弘樹
  • 大老(柳沢吉保):三船敏郎

さらに丹波哲郎、芦田伸介、森田健作、近藤正臣、原田美枝子、江波杏子、若林豪、島英津夫、佐藤佑介、成田三樹夫、田村亮、藤巻潤、峰岸徹、寺田農、宮内洋、夏樹陽子、中谷一郎、安井昌二、加藤嘉、藤岡琢也、大滝秀治、三田佳子、岡田茉莉子といった錚々たる顔ぶれが揃っている。

萬屋錦之介は本作で映画での大石内蔵助役を演じた後、翌年の1979年にテレビ朝日系列で放送された連続テレビ時代劇『赤穂浪士』でも同じ内蔵助役で主演し、舞台・テレビ・映画のすべての娯楽メディアで大石内蔵助を演じた唯一の役者となった。これは錦之介自身が長年望んでいた「役者の本懐」であり、まさに大石内蔵助が本懐を遂げたように、錦之介自身も俳優としての本懐を遂げたと言えよう。

特筆すべきは、吉良家家老・小林平八郎を演じた渡瀬恒彦の熱演である。渡瀬は本作の演技により、第52回キネマ旬報ベスト・テン、第21回ブルーリボン賞、第3回報知映画賞で助演男優賞を受賞した(映画『事件』との連名)。討ち入りシーンでの不破数右衛門(千葉真一)との一騎討ちは、本作最大の見せ場となっている。

スタッフ

  • 監督:深作欣二
  • 原作・脚本:高田宏治
  • 撮影:宮島義男
  • 音楽:津島利章
  • 企画:高岩淡、日下部五朗、本田達男、三村敬三

高田宏治は『野性の証明』の脚本も手がけた実力派であり、深作欣二との相性も良かった。

深作欣二の演出手法—ドキュメンタリータッチによる実録忠臣蔵

変化のある作品を作りたかった深作監督は、これまで主君の無念を晴らす赤穂浪士と吉良家の対立による仇討ちと描写されてきた物語を、単なる美談調の展開にすることを拒否した。その代わりに、全編をドキュメンタリータッチに演出し、「公儀への反逆」と認識する幕府の視点、討ち入りから脱落してゆく浪士や死にゆく者など、多角的な視点から忠臣蔵を描き出したのである。

特に『仁義なき戦い』シリーズで見られた組織内の内部分裂という手法を、本作にも応用している。お家再興と幕府への吉良に対する裁きの申し出を慎重に進めようとする大石内蔵助ら穏健派と、即座の仇討ちを頑なに主張する堀部安兵衛ら強硬派の対立として描くことで、赤穂浪士の内部にも一枚岩ではない複雑な人間関係と思想的対立があったことを浮き彫りにした。

また、討ち入りのシーンでは、不破数右衛門(千葉真一)と小林平八郎(渡瀬恒彦)のアクション感高い一騎討ちを配置することで、ドラマを盛り上げた。深作監督は大部屋俳優にも細かく演出を施し、「映画はスターだけじゃなく、映っているみんなが主役なんだ」という信念のもと、スクリーンの片隅にいる役者たちにも個性を持たせる演出を行ったことで知られている。本作においても、その姿勢は貫かれている。

三船敏郎、芦田伸介といった主演級の大物役者が重鎮として重厚な演技を披露し、作品全体に貫禄を与えている。特に三船敏郎は出番こそ少ないが、どっしりとした存在感で画面を支配している。

詳細なあらすじ(ネタバレ含む)

第一幕:刃傷松の廊下とお家断絶

元禄十四年(1701年)三月十四日、早駕籠が赤穂に向かって疾走していた。その駕籠が運ぶ報せは、江戸城松の廊下で起こった一大事件であった。

「浅野内匠頭長矩は、吉良上野介に対し、場所柄もわきまえず刃傷に及び不届につき、即刻切腹なり」

赤藩藩主・浅野内匠頭長矩が、高家肝煎の吉良上野介義央に対して刃傷に及び、即日切腹を命じられたのである。この知らせは三月十九日に赤穂城に到着し、同時にお家断絶、領地召し上げという厳しい処分が言い渡されたことも伝えられた。

城中では即座に大評定が開かれた。家臣たちの間では、籠城すべきか、殉死すべきか、仇討ちをすべきか、それとも解散すべきかと、意見は真っ二つに分かれた。この混乱の中、筆頭家老の大石内蔵助良雄が毅然とした態度で一同を制した。

大石は、お家最後の評定に集まった家臣たちから、覚悟の上での誓紙血判を集めた。そして時節到来まで隠忍自重することを約束させ、ひとまず開城の意向を幕府に伝えることを決定した。この決断は、拙速に動けば幕府の弾圧を招くという大石の冷静な判断によるものであった。

第二幕:山科での潜伏と遊興三昧の演技

六月二十四日、亡君浅野内匠頭の百ヶ日法要を営んだ大石は、翌二十五日、一介の素浪人として京都の山科へと向かった。表向きは遊興三昧に明け暮れる日々を送り、吉良方や幕府の探索から目を逸らすための策を練った。

しかし、大石の真の意図は決して遊びほうけることではなかった。密かに浪士たちと連絡を取り合い、仇討ちの機会を窺い続けていたのである。一方、江戸へ散った浪士たちは、それぞれ吉良の動向を探るため、市井に紛れて情報収集に奔走していた。

この時期、赤穂浪士の内部では大きな対立が生じていた。お家再興の道を探り、幕府に対して吉良への裁きを求めるべきだと主張する大石ら穏健派と、即座に仇討ちを決行すべきだと訴える堀部安兵衛ら強硬派の対立である。この内部対立は、浪士たちの結束を揺るがす危機でもあった。

近藤正臣演じる元赤穂藩士・橋本平左衛門のように、討ち入りの計画から脱落していく者たちも現れた。六十人余りいた同志は、次第にその数を減らしていったのである。

第三幕:決意と別れ

元禄十五年(1702年)二月中旬、亡君一周忌を済ませた大石は、ついに妻子と別れを告げる決断をした。十六歳の長男のみを元服させて主税(ちから)と名付け、手元に置くこととした。この別れは、大石にとって最も辛い決断であったに違いない。

同年十月七日、大石は江戸へ発った。仇討ち決行への第一歩を踏み出したのである。十月二十三日には鎌倉に立ち寄り、十月二十六日には川崎平間村に滞在した。そして十一月五日、日本橋石町三丁目の小山屋弥兵衛方に、大石父子は偽名を使って討入当日まで潜伏することとなった。

この間、吉良家でも赤穂浪士の動きを警戒していた。吉良家家老の小林平八郎(渡瀬恒彦)は、大石内蔵助暗殺を企てるなど、積極的に赤穂浪士の討ち入りを阻止しようと暗躍していた。この小林平八郎の存在が、後の討ち入りシーンでの緊張感を高めることになる。

第四幕:討ち入り—雪の夜の決戦

元禄十五年十二月十四日、運命の日が訪れた。赤穂浪士四十七名は、敵である吉良邸へと討ち入りを決行した。

雪の降りしきる寒い夜、浪士たちは二手に分かれて吉良邸に侵入した。表門隊と裏門隊が同時に突入し、激しい戦闘が展開された。吉良方の護衛たちも必死に抵抗し、激しい斬り合いとなった。

特に見せ場となったのが、不破数右衛門(千葉真一)と小林平八郎(渡瀬恒彦)の一騎討ちである。千葉真一と渡瀬恒彦という二大アクションスターによる迫力満点の殺陣は、深作監督が特に入れ込んだシーンであり、本作の白眉と言える。撮影班もカメラを担いで走り回りながら撮影し、まるで本当に斬り合いをしているような臨場感を生み出している。

ただし、本作では従来の忠臣蔵とは異なり、吉良方の護衛たちが赤穂浪士を何人か斬るという描写もある。史実では浪士側に死者はいなかったが、深作監督はあえてこの演出を加えることで、討ち入りが単なる英雄譚ではなく、命を賭けた壮絶な戦いであったことを強調したのである。

激闘の末、一同は炭小屋に隠れていた吉良上野介義央を発見した。金子信雄が演じる吉良上野介は、追い詰められてなお、権力者としての威圧を保とうとする。

「儂を斬れば、お前らは逆賊じゃ」

吉良上野介は、最後の抵抗として浪士たちを恫喝した。しかし、大石内蔵助は一切動じることなく、静かに、しかし断固とした声で応えた。

「問答無用」

この一言とともに、大石内蔵助自らが刀を振り下ろし、吉良上野介の首を討ち取った。権力への屈服を拒み、主君の仇を討ち果たしたこの瞬間は、観客に大きなカタルシスをもたらす名場面である。

第五幕:泉岳寺への引き上げと切腹

討ち入りを成功させた四十七名の浪士たちは、吉良上野介の首を持って吉良邸を引き上げた。そして一同は泉岳寺に向かい、主君・浅野内匠頭長矩の墓前で首を供え、礼拝を行った。

しかし、これは勝利の凱旋ではなかった。彼らが行ったことは、幕府の秩序に対する明確な反逆行為である。幕府は討ち入りをどう裁くか、慎重に検討を重ねた。

やがて浪士たちは、細川家、毛利家、久松家、水野家という四つの大名家へお預けの身となった。それぞれの大名家では浪士たちを手厚く遇したが、彼らの運命は既に決まっていた。

元禄十六年(1703年)二月四日、浪士たち四十六名(寺坂吉右衛門は生存)は、それぞれお預け大名邸にて切腹を命じられた。

細川家の庭には、すでに切腹を終えた浪士たちの棺が整然と並べられていた。堀部安兵衛、不破数右衛門、大石主税、そして共に戦った仲間たちは、すでにその命を散らせていた。最後に残されたのは、彼らの盟主である大石内蔵助ただ一人であった。

切腹の場に設えられた白い布の上に座した大石は、横に並ぶ仲間たちの棺を静かに見やった。萬屋錦之介の演じる大石内蔵助は、この瞬間まで一切の動揺を見せず、静かに、しかし力強く最期の口上を述べた。

主君への忠義を貫き、本懐を遂げた男の誇りと覚悟が、その言葉の一つ一つに込められていた。そして口上を終えた大石は、すでに旅立った仲間たちの棺に向かって、静かに、しかし明確な声で告げた。

「さて、一同のもの、待ち侘びておりましょう。いざ!」

この言葉とともに、大石内蔵助は見事な作法で切腹を果たした。盟主として最後まで仲間たちを見守り、そして最後の一人として従容と死についた。その姿は凛として美しく、武士としての最期を完璧に演じきった萬屋錦之介の演技は、まさに圧巻であった。長年望んできた大石内蔵助という役柄で、俳優としての本懐を遂げた錦之介の魂が、このシーンに凝縮されている。

棺の中で眠る仲間たちと、今まさに命を絶とうとする盟主。その光景は、深作監督が美化することなく、しかし武士としての尊厳を持って描き出した、本作最も厳粛な場面である。赤穂浪士四十七士は、こうして歴史にその名を刻んだ。主君への忠義を貫き、覚悟を決めて公儀への反逆を成し遂げ、そして潔く命を散らせた彼らの物語は、時代を超えて日本人の心に響き続けるのである。

作品の評価と見どころ

本作は興行的には『柳生一族の陰謀』の半分にも満たない成績に終わり(推定配給収入6億円)、商業的には成功とは言い難い結果となった。これは、錦之介の意向を汲んだオーソドックスな忠臣蔵としての側面と、深作監督が目指した実録タッチの新しい解釈という、二つの方向性の間で中途半端な印象を与えたことが一因と考えられる。

しかし、作品としての質は決して低くない。渡瀬恒彦が助演男優賞を総なめにしたことからも分かるように、演技陣の熱演は素晴らしく、特に討ち入りシーンの迫力は圧巻である。千葉真一と渡瀬恒彦の一騎討ちは、時代劇アクションの金字塔とも言える名シーンとなっている。

萬屋錦之介の大石内蔵助も見事である。型にはまった伝統的な大石像を演じながらも、台詞回し、酒に酔った芝居、実は酒に酔ったという芝居をしていたという二重の芝居など、完璧な演技を見せている。これは錦之介が長年望んでいた役柄だけに、その思い入れが画面から伝わってくる。

三船敏郎、芦田伸介といった大物俳優の重厚な存在感も作品に深みを与えている。三船敏郎は出番こそ少ないが、柳沢吉保という権力者の重みを見事に体現している。

深作監督の演出は、『仁義なき戦い』で培ったドキュメンタリータッチの手法を時代劇に応用したものであり、従来の様式美に縛られない自由な映像表現が随所に見られる。特に討ち入りシーンでのハンディカメラを使った臨場感あふれる撮影は、まるで現場に立ち会っているかのような迫力を生み出している。

深作欣二と忠臣蔵—未完の挑戦

本作の製作過程で、深作監督は萬屋錦之介との間で芸術的方向性の違いから対立し、不完全燃焼のまま作品を完成させることとなった。深作が本来描きたかった忠臣蔵は、より過激で斬新な解釈を施したものであったはずである。

その思いは16年後、1994年の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』という形で結実する。この作品で深作は、忠臣蔵の裏側で起こった四谷怪談を絡めることで、独自の忠臣蔵像を提示することに成功した。『赤穂城断絶』で果たせなかった野心を、ようやく実現できたのである。

しかし、『赤穂城断絶』もまた、深作欣二の重要な作品のひとつである。オーソドックスな忠臣蔵という制約の中で、可能な限り実録タッチの演出を試み、従来の美談調とは異なる視点を提示しようとした姿勢は評価に値する。

現代に観る『赤穂城断絶』の意義

忠臣蔵は日本映画史上、最も多く映画化されてきた題材のひとつである。『赤穂城断絶』は、その長い伝統の中で、1970年代という時代性を反映した作品として位置づけることができる。

『仁義なき戦い』シリーズで実録路線を確立した深作監督が、時代劇の古典である忠臣蔵に挑んだことの意味は大きい。たとえ制約があったとしても、組織内の対立、討ち入りから脱落する者、そして「公儀への反逆」という視点は、従来の忠臣蔵にはなかった新しい要素である。

また、東映オールスターキャストによる豪華絢爛たる配役は、今では到底実現不可能なものであり、その点でも本作は貴重な記録と言える。萬屋錦之介、千葉真一、松方弘樹、渡瀬恒彦、三船敏郎といった昭和を代表する名優たちが一堂に会した本作は、まさに時代劇の集大成とも言える作品である。

まとめ

『赤穂城断絶』は、深作欣二監督と萬屋錦之介という二人の巨人が、それぞれ異なる思惑を抱えながら作り上げた、複雑な成り立ちを持つ作品である。深作監督が目指した実録タッチの新解釈と、錦之介が求めた伝統的な忠臣蔵像という、二つの方向性の間で揺れ動きながらも、結果として生まれたのは、豪華なキャスト、迫力ある殺陣、そして人間ドラマとしての深みを兼ね備えた、見応えのある時代劇大作である。

赤穂城断絶から討ち入りまでの630日を描いた本作は、単なる仇討ちの美談に終わらず、「公儀への反逆」という政治的側面、組織内部の対立、脱落者の存在など、多角的な視点から忠臣蔵を捉え直そうとした意欲作である。

興行的には期待された成功を収めることはできなかったが、渡瀬恒彦の助演男優賞受賞に象徴されるように、その演技力と演出力は高く評価されている。今でも時代劇ファンの間で語り継がれる本作は、日本映画史における忠臣蔵映画の重要な一ページを刻んでいる。


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