1960年映画『不知火検校』――勝新太郎が二枚目を捨てて掴んだ悪の美学

昭和35年(1960年)、大映から公開された『不知火検校』は、日本映画史において特異な輝きを放つ作品である。

出典:ワンスクリーン

盲目の按摩が極悪非道の限りを尽くして権力と富を手にするというピカレスクロマン。この映画は、後に国民的ヒーローとなる『座頭市』シリーズの原型であり、勝新太郎という役者の運命を決定づけた転機となった。

目次

作品の基本情報

『不知火検校』は、劇作家・宇野信夫の同名戯曲を原作とし、犬塚稔が脚本を担当、森一生監督がメガホンを取った時代劇である。上映時間は91分。制作は大映京都、製作は武田一義が担った。

主演は勝新太郎、ヒロインには中村玉緒が配され、須賀不二男、安部徹、丸凡太、丹羽又三郎といった実力派俳優陣が脇を固めている。撮影は相坂操一、照明は中岡源権、音楽は斉藤一郎が担当した。

スタッフ・キャスト

監督: 森一生
脚本: 犬塚稔
原作: 宇野信夫
撮影: 相坂操一
音楽: 斎藤一郎

出演

  • 勝新太郎(杉の市)
  • 中村玉緒(浪江)
  • 丹羽又三郎(岩井藤十郎)
  • 安部徹(鳥羽屋丹治)
  • 須賀不二男(生首の倉吉)
  • 丸凡太(留吉)

興味深いことに、この作品で共演した勝新太郎と中村玉緒は、2年後の1962年に結婚することになる。映画は二人の運命的な出会いの場でもあったのである。

出典:ameblo.jp

江戸時代の盲人社会――「検校」とは何か

物語を理解する上で欠かせないのが、江戸時代における盲人の社会構造である。「当道座」と呼ばれる盲人の職能集団が存在し、これは幕府公認の互助組織として機能していた。

当道座には厳格な位階制度があり、上から「検校(けんぎょう)」「別当(べっとう)」「勾当(こうとう)」「座頭(ざとう)」の4つの階級に分かれていた。さらに細分化されて73の位に区分されており、最高位の検校は将軍への拝謁も許される特権的な地位であった。

検校は専用の頭巾、衣類、杖の所有が許され、平曲や三曲、鍼灸、按摩の専売権を持っていた。しかし、この地位を得るためには莫大な「官金」と呼ばれる昇進料が必要であり、金さえあれば位を買えるという側面も持っていた。この制度の歪みこそが、『不知火検校』という物語の核心である。

あらすじ――悪の階段を駆け上がる男

幼少期から見せた悪の才能

江戸深川の貧しい裏長屋で生まれた杉の市は、生まれつき盲目であった。しかし、悪事に関しては天賦の才を持っており、幼い頃から同じ長屋の留吉を子分にして悪さを重ねていた。祭りの振る舞い酒を盗んだり、大店の若旦那を巧みに騙して金を巻き上げたりと、その如才なさは早くから際立っていた。真面目な父親の叱責など、彼の耳には届かない。

やがて杉の市は不知火検校に弟子入りし、按摩の修業を始める。しかし態度のふてぶてしさから師匠にも弟子仲間にも嫌われる存在となる。それでも杉の市は臆することなく、全員の前で「いつか自分も検校になる」と宣言し、さらなる反感を買うのであった。

最初の殺人――二百両の誘惑

転機は、川崎への使いの道中で訪れる。腹痛で苦しんでいる男に出会った杉の市は、その懐に二百両の大金があることを知る。治療のふりをして針を刺し、男を殺害してその金を奪う。検校になるための資金稼ぎのつもりであった。

ところが、その一部始終を見ていた男がいた。「生首の倉吉」と呼ばれるヤクザ者である。杉の市は咄嗟の判断で百両を口止め料として手渡し、さらに倉吉から掛守(お守り)を手に入れると、それを死体の手に握らせる。これで下手人は倉吉ということになるはずだった。杉の市の頭の回転の速さと冷酷さが際立つ場面である。

盗賊との共謀

それから時が経ち、杉の市がある材木屋の妾宅で療治をしていると、突然強盗が押し入ってくる。声から倉吉だと見破った杉の市は、彼らに協力し、大金の隠し場所を教える。この一件で、杉の市は倉吉の親分である鳥羽屋丹治らと知り合うことになる。

以後、杉の市は按摩師として大家に出入りしながら、その内情を盗賊たちに流し、分け前をもらうという二重生活を送るようになる。盲人という立場を最大限に利用した、実に計算された犯罪である。

女性たちの悲劇

杉の市の悪行は金品だけに留まらない。色の道でも極道ぶりを発揮する。材木屋の妾の妹を手篭めにしたのを皮切りに、溜め込んだ金を旗本の岩井藤十郎の妻・浪江に貸し付け、その弱みにつけ込んで貞操を奪う。

出典:Enjoy Movie

浪江を演じた中村玉緒は、気品ある武家の奥方が盲目の按摩に凌辱される屈辱と絶望を、繊細かつ痛々しく表現している。結局、杉の市に弄ばれた女性たちは、自ら命を絶つという結末を迎える。杉の市には一片の良心の呵責もない。

師匠殺しと検校への道

悪事を重ねて資金を蓄えた杉の市は、ついに最後の一手を打つ。鳥羽屋丹治や倉吉に話を持ちかけ、自らの師匠宅を襲わせるのである。師匠一家は惨殺され、家に置いてあった金もすべて杉の市のものとなる。

それから5年の歳月が流れる。杉の市は宣言通りに検校の位を手に入れ、「二代目不知火検校」として我が世の春を謳歌する。金も地位も手に入れた杉の市は、まさに絶頂にあった。

江戸で評判の美人と噂されるおはん(芸妓で浮世絵師・豊国にも描かれた美女)という女性の存在を耳にすると、彼は莫大な金の力に物を言わせておはんを妻に迎え入れた。

ところがおはんには密かに想い合う男性・房五郎がいた。


妻おはんの不審な様子から浮気を疑った杉の市は調査を命じ、やがて房五郎という若い男の存在を突き止める。激昂した杉の市は報復として房五郎に毒を盛って殺害し、さらに自宅へ戻ってきたおはんに対して「自分の女にならなかった」という逆恨みから手ずから絞め殺してしまった。

出典:日本映画1920-1960年代の備忘録 – はてなブログ

こうして杉の市の悪行は極限にまで達し、彼の周囲からは金と欲に狂った果てに無残な死を遂げる者ばかりが残されたのである。

ネタバレ結末――悪の報い

しかし、悪の栄華は永遠には続かない。過去に犯した罪が、ついに杉の市を追い詰める。

かつて死体に握らせた掛守が証拠となり、倉吉が今になって捕縛されたのである。倉吉は杉の市への恨みもあり、これまでの悪事をすべて白状してしまう。師匠一家の殺害、強盗への加担、殺人の数々――すべてが明るみに出た。

御殿へ伺候する晴れの道中、捕り方に囲まれた杉の市は、盲目とは思えぬ身のこなしで散々に暴れまわる。しかし多勢に無勢、ついにお縄を頂戴することになる。かつて妻を辱められた岩井藤十郎も、その様子を静かに眺めていた。復讐を遂げたのである。

絶頂から一転、地獄へと突き落とされる杉の市。その姿は、悪の因果応報を鮮烈に描き出している。

勝新太郎の転機――二枚目を捨てた覚悟

この作品が画期的であったのは、ストーリーだけではない。主演の勝新太郎にとって、まさに俳優人生の転機となった作品なのである。

1931年生まれの勝新太郎は、1954年に端正な顔立ちの二枚目俳優として大映でデビューした。しかし、二枚目役での主演作は不評が続き、なかなか芽が出ない時期が続いていた。市川雷蔵という大看板がいる大映において、勝新太郎はまだ花開いていなかったのである。

そんな彼が29歳の時、『不知火検校』という極悪人の役と出会う。それまでの美男子イメージを完全に捨て去り、盲目の悪党を演じるという冒険。この挑戦が、勝新太郎という役者の本質を開花させた。

勝新太郎の盲人の演技は圧巻である。目が見えないはずなのに、周囲の状況を完璧に把握し、相手の弱点を見抜く鋭さ。愛嬌たっぷりの丸顔が、悪魔の笑みへと変わる瞬間の恐ろしさ。盲人でありながら殺陣でも見せ場を作る身体能力。これらすべてが、後の『座頭市』シリーズへと結実していく。

森一生監督のドライなタッチも秀逸である。杉の市の悪行を糾弾するでもなく、同情するでもなく、ただ淡々と記録するように描く。その突き放した視線が、かえって悪の本質を浮き彫りにしている。

『座頭市』への系譜

座頭市地獄旅(1965年)
出典:スカパー!

『不知火検校』は、翌年1961年に始まる『座頭市』シリーズの原型となった。盲目でありながら剣の達人である主人公、当道座の世界観、勝新太郎の盲人演技の確立――これらすべてが『不知火検校』で完成していたのである。

ただし、両者には決定的な違いがある。座頭市は義理人情に厚く、弱き者を助ける侠客であるのに対し、杉の市は徹頭徹尾、自己中心的な悪漢である。座頭市がヒーローならば、杉の市はアンチヒーロー。まさに対極に位置する存在といえる。

『座頭市』シリーズは全26作という大ヒットシリーズとなり、勝新太郎を国民的スターへと押し上げた。その原点に『不知火検校』があることを忘れてはならない。「不知火検校 vs 座頭市」という対決を見てみたかったという映画ファンの声も多い。

作品の評価と影響

『不知火検校』は、清々しいまでに外道な主人公を描いた異色作として、映画史に残る作品である。悪漢を主人公にした時代劇という試みは当時としては挑戦的であり、その後味の悪さは一級品といえる。

犬塚稔の脚本は、杉の市の悪事をこれでもかと積み重ね、観客に不快感すら与える。しかしそれこそが狙いであり、人間の欲望と悪の本質を抉り出すことに成功している。宇野信夫の原作戯曲が持つ劇的な構成も、映画として見事に昇華されている。

相坂操一の撮影、中岡源権の照明も特筆すべきである。江戸の裏長屋の薄暗さ、盲人の世界を表現するような陰影の使い方、殺人シーンでの緊迫感――視覚的にも優れた作品に仕上がっている。

優秀映画鑑賞推進事業でも取り上げられ、国立映画アーカイブでも上映されるなど、現在でも日本映画の傑作として評価されている作品である。

まとめ――見るべき理由

『不知火検校』は、以下の点で必見の作品である。

第一に、勝新太郎の俳優としての本質が開花した記念碑的作品であること。二枚目から脱却し、自分の個性に合った役と出会った喜びが、スクリーンから溢れている。

第二に、『座頭市』シリーズの原型を知ることができること。座頭市ファンならば、そのルーツを辿る意味でも見逃せない。

第三に、江戸時代の盲人社会という、あまり知られていない歴史的背景を知ることができること。当道座や検校という制度の光と影が、物語を通して理解できる。

そして第四に、徹底的に悪を描くことで逆に人間の本質に迫るという、映画表現の可能性を示した作品であること。

後味は決して良くないが、それが映画の力である。観る者の心に深く刻まれ、忘れられない印象を残す。それこそが『不知火検校』という作品の真価なのである。

勝新太郎という天才役者の輝きを目撃したいなら、『座頭市』の前に、まず『不知火検校』を観るべきだろう。そこには、日本映画史に残る「悪の美学」が確かに存在している。


参考文献・出典

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