1967年映画「夢は夜ひらく」徹底解説:園まりが魅せた日活歌謡映画の傑作

園まり主演の日活歌謡映画「夢は夜ひらく」は、1960年代日本映画の黄金期を象徴する作品である。

1966年にミリオンセラーとなった同名ヒット曲を映画化した本作は、高橋英樹、渡哲也という日活の二枚看板に加え、ザ・ドリフターズ全員が出演するという豪華布陣で制作された。

出典:ナタリー

横浜を舞台にした純愛ドラマとして、歌謡映画というジャンルの魅力を存分に発揮している。本稿では、映画の詳細な内容から文化的背景まで、映画評論的視点から多角的に分析していく。

目次

製作陣と豪華キャストが物語る日活の本気度

「夢は夜ひらく」は1967年1月14日に公開された日活製作のカラー作品である。上映時間81分、シネマスコープサイズという当時の標準的なスペックで制作された。

監督を務めた野口晴康は、同年に「大巨獣ガッパ」も手がけた職人監督であり、脚本は「愛して愛して愛しちゃったのよ」でコンビを組んだ才賀明中野顕彰が担当した。音楽は「宇宙戦艦ヤマト」の作曲でも知られる宮川泰が手がけており、撮影は上田宗男、美術は小池一美、録音は高橋三郎、照明は土田守保、編集は丹治睦夫という布陣である。

キャスティングは特筆に値する豪華さである。主演の園まり(矢沢マリ役)を中心に、相手役の岬克也を高橋英樹が、マリの恋人・片桐誠を渡哲也が演じた。さらに片桐陽子役の山本陽子、悪役の工藤兄弟を名古屋章平田大三郎、重要な役回りの老刑事・三輪田を見明凡太朗が務めている。

右から高橋英樹、園まり、渡哲也
出典:ナタリー

驚くべきは音楽界のスターたちの出演である。ザ・ドリフターズの全メンバー(いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、荒井注)に加え、布施明奥村チヨがゲスト出演している。

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当時、日劇の「園まりショー」ではドリフターズや布施明が前座を務めていたという事実を考えると、この配役は園まりの人気の高さを如実に物語るものである。

横浜を舞台にした純愛と復讐の物語

本作のストーリーは、ヤクザの世界と純愛を絡めた王道のドラマである。主人公の矢沢マリは横浜市立図書館に勤める図書館員として登場する。8年前に家を出てヤクザの道に進んだ兄への憎しみを抱えながら生きている女性だ。

出典:世界線の歩き方

物語は、マリが親友の片桐陽子(山本陽子)に連れられてナイトクラブを訪れる場面から動き出す。半ば強引にステージに立たされたマリだったが、その歌声は観客から好評を博す。この歌唱シーンは園まりの本領を発揮する見せ場であり、映画中で複数回披露される。

控室に現れた岬克也(高橋英樹)は、神戸から来た兄の「弟分」だった。彼が持参したのは兄の遺産1千万円。兄はヤクザの世界から足を洗う決意をし、岬と工藤兄弟の4人でキャバレーを経営して4千万円を貯めたが、分配直後に「事故死」したという。

物語の転換点は、老刑事・三輪田から告げられる真実である。兄は事故死ではなく、工藤兄弟に殺されていた。この衝撃の事実がマリの心境を変化させていく。ヤクザへの憎しみと、誠実な岬への恋心の間で揺れ動くマリの姿が、物語の中盤を支配する。

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クライマックスでは、岬とマリが夜明け前に語り合い、初めてキスを交わす。岬は兄の形見として高価なペンダントをマリの首にかける。これは1千万円の遺産に相当する価値を持つものであり、現金を拒んだマリが形見として遺産を受け取る形となる。

結末は切ないビターエンドである。岬は工藤兄弟との決着をつけるため港へ向かうが、三輪田刑事の介入で事態は収束する。しかし刑事はマリに「岬は撃ち合いで死んだ」と嘘を告げる。これは岬の更生への決意を知る老刑事の思いやりであった。マリはペンダントを握りしめて泣き崩れ、岬を乗せたブラジル行きの船が夜明けの海に消えていく——。

歌手・園まりの軌跡と本作の位置づけ

園まり(本名・薗部毬子、1944年4月12日〜2024年7月26日)は、1960年代を代表する女性歌手・女優である。1962年に中尾ミエ、伊東ゆかりと結成した「スパーク3人娘」(ナベプロ3人娘)は、ザ・ピーナッツの後継として国民的な人気を博した。

ソロ歌手としては、1964年の「何も云わないで」で歌謡曲初ヒットを記録し、1965年の「逢いたくて逢いたくて」で空前の大ヒットを達成した。囁くように語りかける独特の歌唱法は「園まり節」と呼ばれ、おっとりと初々しい雰囲気で多くのファンを魅了した。1966年から1967年にかけては、マルベル堂のブロマイド売り上げ女性歌手第1位を記録している。

「夢は夜ひらく」は1966年9月5日にポリドールから発売されたミリオンセラーである。この曲の映画化である本作は、園まりの日活出演第2弾にあたる。第1弾は1966年の「逢いたくて逢いたくて」、第3弾は1967年12月の「愛は惜しみなく」であり、ヒット曲3作品すべてが日活で映画化されたことは、当時の園まりへの期待の高さを示している。

本作で園まりは、図書館員という堅実な職業を持ちながらも歌の才能を発揮する女性を演じた。劇中では複数回にわたって「夢は夜ひらく」を披露しており、女優としての演技力と歌手としての歌唱力の両面を見せている。Filmarksのレビューでは「園まりの女心を切々と歌いあげるステージの艶やかさと快調なテンポ、原色衣装の華やかさ。若い日活の勢いを感じる作品」と評されている。

楽曲「夢は夜ひらく」の文化的広がり

映画の基となった楽曲「夢は夜ひらく」には、興味深い成立経緯がある。原曲は東京少年鑑別所(練馬少年鑑別所、通称「ネリカン」)で歌われていた俗曲であり、作曲家の曽根幸明がこれを採譜・補作して1966年に「ひとりぽっちの唄」として発表したのが始まりである。

園まり版の大ヒットを受けて、同年には緑川アコ、梅宮辰夫、バーブ佐竹など多数の歌手がカバー版を発売した。JASRACには20以上の作詞者による異なるバージョンが登録されているという事実が、この楽曲の影響力を物語る。

最も有名なカバーは、1970年4月に発売された藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」である。石坂まさを作詞によるこのバージョンは10週連続オリコン1位を記録し、累計77万枚を売り上げた。「十五、十六、十七と私の人生暗かった」という歌詞には藤圭子自身の境遇が反映されており、作家・五木寛之は「演歌ではなく、怨歌だ」と評した。

園まり版と藤圭子版の対照性は、時代の変化を映し出している。園まり版(1966年)が可憐で叙情的、高度経済成長期の希望も感じさせる「明」の表現であるのに対し、藤圭子版(1970年)は怨念的で社会の影を直視する「暗」の表現である。同一楽曲がわずか4年で全く異なる解釈を生んだことは、1960年代から1970年代への社会変化を象徴している。

1960年代日本映画における歌謡映画の意義

本作が属する「歌謡映画」というジャンルは、1960年代の日本映画界で重要な位置を占めていた。ヒット曲をモチーフに映画化する、あるいは映画から新たなヒット曲が生まれるという相乗効果を狙った作品群である。

日活は特にこのジャンルを得意とした。石原裕次郎のムードアクション(「赤いハンカチ」「夜霧のブルース」)、吉永小百合と浜田光夫の「純愛コンビ」青春映画、舟木一夫映画(1963〜1969年に16本制作)など、音楽と映画の融合を積極的に推進した。園まりの主演3作品もこの流れに位置づけられる。

1960年代後半はテレビの台頭により映画館の観客が減少し、各社が「映画ならでは」の企画を模索していた時期である。東映は高倉健、鶴田浩二を軸にした任侠路線で成功を収め、日活は渡哲也の「無頼シリーズ」など時代の閉塞感を反映した作品を生み出した。

本作の特徴として、横浜という舞台設定が挙げられる。ロケ地には横浜市立図書館、ヨットハーバー、野毛山公園、横浜港、山下公園、外人墓地、元町、中華街、マリンタワー、横浜ドリームランド、倉庫街と、港町の魅力が存分に活かされている。この観光映画的要素も歌謡映画の特徴の一つである。

結論:歌謡映画史に刻まれた園まりの輝き

1967年の「夢は夜ひらく」は、日活歌謡映画の典型でありながら、その完成度において際立つ作品である。野口晴康監督は「かなり個性的な歌謡映画。傑作と言っていい」と評されるほどの演出を見せた。

本作は「夢は夜ひらく」という楽曲の「明るい側面」を代表する作品でもある。後の藤圭子版や1970年の東映「ずべ公番長 夢は夜ひらく」(大信田礼子主演の不良少女アクション)と比較すると、同一タイトルでありながら全く異なる世界観を持つことがわかる。図書館員という堅実な女性を主人公に据えた純愛ドラマとして、1960年代の「清純派ヒロイン」像を体現している。

2024年7月に80歳で逝去した園まりは、60年以上の長きにわたり芸能活動を続け、晩年まで中尾ミエ・伊東ゆかりとの「3人娘」としてコンサート活動を行っていた。本作は、その輝かしいキャリアの中でも特筆すべき映画出演作として、日本映画史に刻まれている。

Filmarksでは平均スコア★3.2点(47件)という評価を得ており、2019年にはHDリマスターによるDVD初ソフト化も実現した。歌謡映画というジャンルの魅力を知る上で、本作は必見の一本といえるのである。

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