イタリアンホラーの巨匠、ダリオ・アルジェント監督が10年ぶりにスクリーンへ帰還しました。2022年に公開された映画『ダークグラス』は、監督の原点回帰ともいえるジャッロ(イタリア製スリラー映画)でありながら、これまでの作品とは一線を画す、不思議な温かみを持つ異色のサスペンススリラーです。
実はこの作品、企画自体は20年前に存在したものの、製作会社の倒産によって一度はお蔵入りになったという逸話を持ちます。長い年月を経て、監督の娘であり女優のアーシア・アルジェントによって再発見され、ついに映画化が実現しました。
物語の主軸は、ローマを震撼させる連続殺人鬼に追われる盲目の女性と、彼女が起こした事故で孤児となった中国人の少年。本来であれば出会うはずのなかった二人が、暗闇の中で互いを支え合い、過酷な運命に立ち向かう逃避行を描きます。
この記事では、まずネタバレなしで『ダークグラス』の基本的な作品情報やあらすじ、そして鑑賞前に知っておきたい見どころを解説します。「どんな映画か知りたい」「観るかどうか迷っている」という方は、ぜひ前半部分を参考にしてください。
そして記事の後半では、ネタバレありで物語の結末までを追いながら、作中に散りばめられた伏線や象徴、そして監督が伝えたかったであろうテーマについて深く掘り下げていきます。すでに映画を鑑賞された方は、この考察パートを読むことで、新たな発見やより深い作品理解を得られるはずです。
作品情報と予告編
項目 | 詳細 |
---|---|
作品名 | ダークグラス (Occhiali neri) |
公開年 | 2022年 |
制作国 | イタリア、フランス |
監督 | ダリオ・アルジェント |
脚本 | ダリオ・アルジェント、フランコ・フェリーニ |
キャスト | イレニア・パストレッリ、アーシア・アルジェント、アンドレア・チャン |
配信状況 | Amazon Prime Video, U-NEXT など(2024年時点) |
あらすじ(※ネタバレなし)
物語の舞台は、現代のローマ。街では、高級娼婦を狙った残忍な連続殺人事件が世間を騒がせていました。犯人はチェロの弦を使い、被害者の喉を切り裂くという特異な手口を繰り返しています。

主人公のディアナもまた、高級コールガールとして生計を立てる美しい女性です。

ある日、彼女は仕事へ向かう途中、謎の白いバンに執拗に追跡されます。必死に逃げるディアナでしたが、激しいカーチェイスの末に大事故を起こしてしまいます。
病院で意識を取り戻した彼女に告げられたのは、あまりにも残酷な現実でした。事故の影響で、彼女は両目の光を完全に失ってしまったのです。

絶望の淵に立たされたディアナ。さらに彼女は、自身の事故が、ある家族の運命をも狂わせてしまったことを知ります。彼女の車が衝突した対向車に乗っていた夫婦は死亡し、息子のチンという名の少年だけが生き残ったのでした。罪悪感に苛まれながら、見えない世界での生活に適応しようともがくディアナ。そんな彼女の前に、孤児院を抜け出してきたチンが現れるところから、二人の奇妙な逃避行が始まります。
見どころ・注目ポイント
伝統と革新が融合した「アルジェント流」演出
本作は、監督の代名詞である「ジャッロ」(黄色を意味するイタリア語で、残酷な殺人描写やミステリー要素を特徴とするイタリア製スリラー映画のジャンル)の要素を色濃く受け継いでいます。正体不明の殺人鬼、スタイリッシュで残酷な殺人描写、観る者の不安を煽る主観ショットなど、往年のファンにはたまらない演出が随所に見られます。特に、冒頭のローマ市街を舞台にした緊迫感あふれるカーチェイスは、巨匠の健在ぶりを示す圧巻のシークエンスです。
しかし、本作が単なる懐古的な作品に終わらないのは、この伝統的なジャッロの枠組みに、これまでのアルジェント作品には見られなかった新しい要素が加わっているからです。物語の中盤からは、殺人鬼とのサスペンスよりも、視力を失ったディアナと孤児のチン、二人の魂の交流に焦点が当てられます。これは、従来のアルジェント作品にはあまり見られなかったヒューマンドラマの側面であり、冷徹な恐怖描写の中に、予期せぬ「温かみ」を生み出しています。このジャッロとヒューマンドラマの奇妙な融合こそ、本作最大の見どころと言えるでしょう。

暗闇で輝くキャラクターと役者の魅力
主人公ディアナを演じるのは、イタリアの実力派女優イレニア・パストレッリ。彼女はリアリティ番組への出演をきっかけにキャリアをスタートさせ、2015年の映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』での演技でイタリア版アカデミー賞ともいわれるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の主演女優賞を受賞した経歴を持ちます。

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」より
突然視力を奪われるという悲劇に見舞われながらも、決してか弱いだけの被害者ではなく、尊厳を失わずに生きようとする強い意志を持った女性像を体現しています。
そして、彼女の「目」となる少年チンを演じるアンドレア・チャンの、子供らしい無邪気さと、大人びたたくましさが同居する健気な姿は、観る者の心を強く打ちます。
さらに、ディアナを支える歩行訓練士リタ役で、監督の娘であるアーシア・アルジェントが出演している点も見逃せません。彼女は女優・監督として独自のキャリアを築きながら、父の作品では『スタンダール・シンドローム』などで主演を務めるなど、長年のミューズでもあります。

公私にわたる長い協力関係を持つ二人がスクリーン上で見せるやり取りは、物語に特別な深みを与えています。彼女がこの映画の「復活」のきっかけを作ったという背景を知ると、その存在感はより一層感慨深いものになるはずです。
視覚を補完する「聴覚の恐怖」と映像表現
アルジェント監督の映画といえば、鮮烈な色彩感覚と映像美が特徴ですが、本作の映像は比較的抑制されています。その代わりに、観客の恐怖を増幅させるのが、アルノー・ルボチーニが手掛けたエレクトロニック・ミュージックです。
70年代のゴブリンを彷彿とさせるプログレッシブ・ロック調のサウンドと、現代的なテクノサウンドが融合したスコアは、視覚的には穏やかなシーンにさえ、脈打つような緊張感と推進力を与えます。批評家の中には、「本作のスタイルは映像ではなく音楽が担っている」と評する声もあるほど、このサウンドトラックは映画の心臓部として機能しています。まさに「聴くジャッロ」とも言うべき、聴覚に訴えかける恐怖演出は必聴です。
気になった点
多くの魅力を放つ一方で、本作が賛否両論を呼んでいるのも事実です。特に、物語の中盤で殺人鬼の追跡が一旦鳴りを潜め、ディアナとチンの交流が中心になる展開は、スピーディーなスリラーを期待する観客にとっては「中だるみ」と感じられるかもしれません。
また、逃避行の途中で登場する「水蛇の群れ」のシーンは、人間の殺人鬼というメインプロットとは直接関係がなく、あまりに唐突なため、多くの観客を困惑させました。これは、アルジェント作品特有の悪夢的な非論理性を象徴するシーンとも解釈できますが、物語全体の整合性を重視する方にとっては、ノイズに感じられる可能性があります。
これらの点は、本作が純粋なジャッロでも、ストレートなヒューマンドラマでもない、ジャンルの境界線上に立つ「ハイブリッドな作品」であることの証左と言えるでしょう。
⚠️ ここから先は、物語の結末を含む重大なネタバレが含まれます。未鑑賞の方はご注意ください。
ネタバレあり|物語の展開と深掘り考察

ディアナとチンは、リタの助けを借りながら田舎へと逃亡しますが、殺人鬼は執拗に彼らを追い詰めます。そして、リタや捜査にあたっていた刑事たちも、無残に殺害されてしまいます。
ついに殺人鬼に捕らえられた二人。その正体は、犬のブリーダーをしているマッテオという男でした。ここで、本作が従来の「犯人当てミステリー」を意図的に裏切っていることが明らかになります。彼の動機は、過去にディアナから「犬の匂いがするからシャワーを浴びて」と仕事を拒絶されたことへの、あまりにも些細で陳腐な逆恨みだったのです。
クライマックス、マッテオがディアナに止めを刺そうとした瞬間、彼女の絶叫に応えた盲導犬ネレアが檻を破って飛び出し、マッテオの喉を食い破って主人を救います。
事件は解決し、チンは遠い親戚に引き取られることになり、ディアナと空港で別れを告げます。ディアナの傍らには、殺人という行為を犯しながらも、彼女の忠実な「目」としてあり続けるネレアが寄り添っているのでした。
テーマとメッセージの読み解き

本作の最も重要なテーマは、「失明」と「相互依存による再生」です。冒頭の日食のシーンは、光を失うディアナの運命を象徴しています。視覚芸術の巨匠であるアルジェントが、主人公から「視覚」という最も重要な感覚を奪うことで、「見ることの不確かさ」という彼が長年探求してきたテーマを、これまで以上に直接的に描いています。
しかし、本作が過去作と決定的に違うのは、その先にある希望です。視力を失ったディアナは、皮肉にも、他者(チン)の「目」を借りることで、新たな世界の見方と人との繋がりを獲得します。チンもまた、ディアナに依存することで、両親を失ったトラウマを乗り越える力を得ます。これは、同じ傷を負った者同士が、不完全なままに支え合うことで再生していく、新しい形の「家族」の物語です。
このテーマは、80歳を超えたアルジェント監督自身の、晩年の心境の表れとも解釈できます。かつてのように絶対的なコントロールで映画世界を創造するのではなく、娘のアーシアをはじめとする協力者に支えられて作品を完成させた現実が、ディアナの姿に重なって見えるのです。「太陽も死も、直視することはできない」という作中の引用句は、老いた監督が自身の死や創造力の変化と向き合う、極めて個人的な告白のようにも響きます。
監督ダリオ・アルジェントについて

「ジャッロの巨匠」その人とスタイル
ダリオ・アルジェント(1940年生まれ)は、「イタリアンホラーの巨匠」として世界中にその名を知られています。特に、彼が確立した「ジャッロ」と呼ばれるジャンルは、その後のスリラー、ホラー映画に計り知れない影響を与えました。
彼の作風の最大の特徴は、殺人そのものを芸術のように描く、残酷でスタイリッシュな美学にあります。犯人の黒手袋、刃物のきらめき、そして鮮血の赤といったモチーフを多用し、観客の恐怖と興奮を同時に煽ります。また、極彩色の照明が織りなす悪夢のような映像美、犯人視点(POV)を多用した主観的なカメラワーク、そしてプログレッシブ・ロックバンド「ゴブリン」に代表される、一度聴いたら忘れられない音楽との融合は、まさに「アルジェント・スタイル」と呼ぶべき唯一無二の世界観を構築しています。
主な監督作品(フィルモグラフィ)
アルジェント監督の長いキャリアの中から、特に代表的ないくつかの作品をご紹介します。
- 『歓びの毒牙』 (1970年) – 監督デビュー作。殺人事件を目撃してしまったアメリカ人作家が、自ら犯人を追ううちに命を狙われる物語。「黒い手袋の犯人」「素人探偵」「曖昧な記憶」といった、その後のジャッロ映画の雛形となる要素を確立した記念碑的作品です。
- 『サスペリアPART2』 (1975年) – ジャッロの最高傑作と名高い一作。殺人現場に残された「不気味な子供の唄」を手がかりに、ピアニストの主人公が事件の謎に迫ります。複雑な謎解きと、細部まで計算され尽くしたショッキングな恐怖演出が完璧に融合しており、多くのクリエイターに影響を与えました。
- 『サスペリア』 (1977年) – 彼の名を世界に轟かせた代表作。ドイツのバレエ学校を舞台に、次々と起こる奇怪な殺人事件の裏に隠された魔女の存在を描きます。ジャッロのミステリー要素から、超常的なオカルトホラーへと大きく舵を切った作品で、鮮烈な原色照明とゴブリンの音楽が織りなす悪夢的イメージは、ホラーという枠を超えカルト的な人気を誇ります。
- 『シャドー』 (1982年) – 人気推理作家が、自身の新作小説を模倣した連続殺人に巻き込まれていくという、自己言及的な物語。再び純粋なジャッロに立ち返りつつ、自身の作風やジャンルの様式美を客観視するようなメタ的な視点を取り入れた傑作です。
- 『フェノミナ』 (1985年) – 昆虫と交信できる特殊能力を持つ少女が、スイスの寄宿学校で起こる連続殺人事件の謎を追う、幻想的でユニークなホラーサスペンス。ジャッロのスリルに、昆虫というグロテスクなモチーフとファンタジー要素を大胆に組み合わせた、彼のフィルモグラフィの中でも異彩を放つ一作です。
- 『オペラ座/血の喝采』 (1987年) – オペラ歌手のヒロインが、自身のファンを名乗る殺人鬼に監禁され、その殺人行為を目撃させられる物語。犯人がヒロインのまぶたに針を貼り付け、目を閉じられないように強制する残酷な仕掛けは、観客の「覗き見」的な視点を直接的に問いかけるもので、80年代アルジェント美学の集大成と評されています。
この映画をおすすめしたい人
- ダリオ・アルジェント監督のファン、ジャッロ映画が好きな方
- 70〜80年代のスリラーやホラー映画の雰囲気が好きな方
- 単なる恐怖だけでなく、少し変わったヒューマンドラマを観たい方
- スタイリッシュな音楽が印象的な映画を探している方
- 王道ではない、一筋縄ではいかないサスペンスを求めている方
まとめ・総評
『ダークグラス』は、ダリオ・アルジェントのキャリアにおける集大成でありながら、同時に新境地を切り開いた意欲作です。伝統的なジャッロの様式美と、予期せぬヒューマンドラマが同居するその作風は、観る人によって評価が大きく分かれるかもしれません。
しかし、20年の時を経て蘇った脚本が内包するテーマ性と、巨匠の晩年の心境が重なり合う本作は、単なるスリラー映画の枠を超えた、非常にパーソナルで思索的な作品に仕上がっています。完璧な映画ではないかもしれませんが、その不均一さや奇妙な味わいこそが、本作を忘れがたい一本にしていることは間違いありません。巨匠の「今」を目撃するという意味でも、一見の価値ある作品です。
配信情報・商品リンク
・2025年6月更新:最新の配信状況は各サイトでご確認ください
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