ボンドガールに恋をした頃──『007/私を愛したスパイ』がくれた憧れと記憶

初めて『007/私を愛したスパイ』を観た日のことを、いまでも鮮明に思い出す。物語そのものより前に記憶へ焼き付いたのは、雪山の伝説的オープニングである。ソ連のスパイに追われたボンドが、白いゲレンデを滑走し、崖から飛び出し、落下の果てにユニオンジャックのパラシュートを開く。あの光景は少年だった私の心を一瞬で掴んだ。

僕が初めて観た007がこの作品であった。当時は月曜・水曜・金曜に二時間枠のロードショー番組があり、007といえばこの作品が繰り返し流れていた時代である。だから私にとってのボンドとは、ショーン・コネリーでもダニエル・クレイグでもなく、迷いなくロジャー・ムーアであった。この感覚はいま振り返っても揺らがない。私の中の“原風景としての007”はロジャー・ムーアその人なのである。

引用元:lesliew.com

暗い部屋の中、青白いブラウン管の光だけがぼんやりと視界を照らし、私はその光の向こうにある“遠い世界”に完全に身を委ねていた。最初の視聴では、雪山のアクション、ロータス・エスプリが海へ潜る瞬間、ジョーズの不死身ぶり、そしてボンドガールのバーバラ・バックの姿。そのすべてが強烈で、物語の筋書きなどどうでもよかった。少年の私には映画とは“理解するもの”ではなく、“衝撃として浴びるもの”だったのである。

やがて再放送で二度目の視聴を迎えたとき、ようやくストーリーの全体像が頭へ入ってきた。バーバラ・バック演じるアニヤが、恋人を殺した男としてボンドを憎んでいたという事実を、このとき初めて正面から理解した。美しい人がただ美しいだけでは物語は成立しない。愛と憎しみが同居し、復讐とロマンスが同じ線上に存在するというドラマの輪郭を、私はそこで知ったのである。

それでも――である。
私はボンドが羨ましかった。憎まれる理由を抱えながらも、彼女と向き合い、やがて心を揺らしてしまうボンドの佇まい。強さと余裕、そして選ばれた男だけが持つ特権のような雰囲気。アニヤの視線を受け止める姿は、少年の私にはまぶしく、そして手の届かない“理想の男”として映っていた。

引用元:映画.com

大人になったいま観返すと、あのころ理解しきれなかった感情の濃度が見えてくる。恋には痛みがあり、憧れには毒がある。愛は必ずしも救いではなく、ときに人を狂わせ、ときに許しへ変わる。『007/私を愛したスパイ』は、そんな複雑さをアニヤという存在の中に閉じ込めていたのだと気づく。

それでも私は、この映画を何度でも観たくなる。思い出したいのは、007そのものだけではなく、あの頃の自分の眼差しである。ロードショーが始まる時間を待ちきれず、テレビの前に座った夜の空気。ユニオンジャックのパラシュートを見て息をのんだ瞬間。バーバラ・バックの横顔に心を奪われた衝撃。そして、二度目の視聴で物語が立ち上がった夜。

引用元:Prime Video

カフェの仕込みを終え、静まり返った店内に一人で佇むと、ときどき007のテーマ曲が頭のどこかで鳴りはじめることがある。完全には届かなかった“大人の世界”に、いまでもどこかで憧れている自分がいるのだろう。少年ではなくなったいまでも、その憧れの残り香だけは消えていない。だから私は、ときどきこの映画に会いに行く。バーバラ・バックの面影を追い、ユニオンジャックのパラシュートが広がる空を、もう一度確かめるために。

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