三好達治「乳母車」を読み解く:詩に込められた母への想いと、孤独な旅路

目次

第1部 この詩が生まれた背景

ここでは、三好達治の詩「乳母車」を深く味わうために、この詩が書かれた時代や、文学の世界でどのような意味を持つのかを見ていきましょう。

1.1 作品の基本情報

「乳母車」は、詩人・三好達治が1930年(昭和5年)に発表した最初の詩集『測量船』に収められています。当時、日本の伝統的な詩と、ヨーロッパから入ってきた新しい文学が影響を与え合う中で、三好はフランスの詩から学びつつ、師と仰いだ萩原朔太郎の影響も受け、独自のスタイルを築きました。日本の古典的な美しさと、西洋の洗練された感覚を巧みに組み合わせた彼の作風は、この詩にもよく表れています。

1.2 世間の評価と、作者自身の胸のうち

詩集『測量船』は、その新鮮な言葉の感覚が絶賛され、三好達治は一躍有名な詩人となりました。特に「乳母車」は、日本の近代詩を代表する傑作として知られています。

しかし不思議なことに、三好自身は後になって、この詩集を「すべて消し去ってしまいたい」と語るほど、手厳しく評価しています。世間の高い評価と本人の言葉の間に大きな差があるのは、単なる謙遜ではないでしょう。そこには、彼の深い心の葛藤が隠されていると考えられます。

「乳母車」という詩には、触れると壊れてしまいそうな繊細な心が描かれていますが、これは三好自身のつらい幼少期の体験と深く結びついています。大人になった彼にとって、あまりにも率直に自分の心の痛みを映し出した若い頃の作品は、正面から向き合うのが苦しいものだったのかもしれません。詩集を否定する言葉は、癒えることのない過去の痛みから目をそらすための行動だった、と考えることで、作者の複雑な気持ちをより深く理解することができます。

第2部 詩の物語をたどる

ここでは、詩の言葉を追いながら、主人公の気持ちがどのように移り変わっていくのかを探ります。静かな悲しみから始まり、激しい叫びを経て、やがて大きな気づきへと至る心の旅を一緒にたどってみましょう。

2.1 詩の全文

母よ――

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花いろのもののふるなり

はてしなき並樹のかげをそうそうと風のふくなり

時はたそがれ

母よ 私の乳母車を押せ

泣きぬれる夕陽にむかつて

轔々と私の乳母車を押せ

赤い総ある天鵞絨の帽子を

つめたき額にかむらせよ

旅いそぐ鳥の列にも季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる

紫陽花いろのもののふる道

母よ 私は知つてゐる

この道は遠く遠くはてしない道

2.2 はじまりの風景:母への呼びかけと、悲しい気配

詩は「母よ」という、心からの呼びかけで始まります。続く「淡くかなしきもの」とは、一体何でしょうか。これは雨や雪ではありません。目には見えない「悲しみ」という感情が、まるで粉雪のように静かに降り注いでいる、そんなイメージです。「紫陽花いろ」という色は、その悲しみや母の記憶が、はっきりとせず、移ろいやすいものであることを感じさせます。夕暮れ時(たそがれ)という時間設定も、主人公が、大人の意識と子供の感覚の間で心が揺れているような、物悲しい雰囲気を強めています。

2.3 心の転換点:前へ進みたい、という叫び

二番目の連になると、詩の雰囲気はがらりと変わります。ただ悲しみに浸っていた主人公は、「母よ 私の乳母車を押せ」と力強く命令します。これは、今のどうしようもない状況から抜け出したい、という必死の叫びです。さらに「赤い総ある天鵞絨の帽子」を求める姿は、失われた幸せな子供時代を取り戻したいという願いや、つらい現実から心を守るためのお守りのようにも見えます。空を鳥が渡っていくように、季節は容赦なく過ぎていくのに、自分だけが取り残されている。そんな孤独感が、この叫びを一層切ないものにしています。

2.4 最後の気づき:これが、私の「道」なのだ

詩の終わりで、主人公は衝撃的な真実に気づきます。「母よ 私は知つてゐる / この道は遠く遠くはてしない道」。この旅は、母のもとへ帰るための道ではありませんでした。むしろ、母から永遠に遠ざかっていく道であり、決して満たされることのない願いと、癒えることのない孤独を抱えて歩き続けるしかない道なのだ、と悟るのです。この気づきによって、この詩は単なる感傷的な詩ではなく、人間の根本的なあり方を問う、深い作品へと昇華されます。

この詩は、子供時代に帰りたいと願う心(退行)現状に反発する叫び(反逆)、そして最後には変えられない運命を受け入れる(諦念)という、心の三段階の変化を描いています。悲しみから逃げようとすればするほど、決して逃げられないという真実に直面する。このどうしようもない構成が、私たちの心を強く揺さぶるのです。

第3部 詩に隠されたテーマと技巧

ここでは、この詩に込められた中心的なテーマや、巧みな表現技法、そしてどのような文学作品から影響を受けたのかを解説します。

3.1 詩の中心となるテーマ

  • 失われた母への想い: この詩の最も大切なテーマは、母を求める強い気持ちです。作者自身の複雑な生い立ちを考えると、詩の中の「母」は、誰もが心の奥底で求める、絶対的な安心感や愛情の象徴として描かれていると言えます。
  • 人間の孤独と、詩人の道: 「はてしない道」は、人が生まれながらに持つ「孤独」を象徴しています。同時に、詩を作るという孤独な仕事を続ける、詩人自身の運命を歌ったものとも考えられます。
  • 詩について歌う詩: 少し発展的な見方ですが、この詩は**「詩を作ること」自体について歌った詩**とも解釈できます。その場合、「母」は創作の源、「乳母車」は詩という形式、「押す」行為は詩を書き続けるという、終わりのない旅を象徴している、と読むことができるのです。

3.2 言葉の表現とテクニック

この詩は、さまざまな「象徴(シンボル)」で成り立っています。

象徴(シンボル)象徴的な意味
乳母車子供時代への憧れ、無力さ、傷ついた心、詩という表現形式
失われた愛情、安心できる場所、インスピレーションの源
夕陽/黄昏昼と夜の境目、物悲しさ、自分の心と向き合う時間
赤い天鵞絨の帽子失われた子供時代の純粋さ、守られたいという願い、心を飾る美しさ
紫陽花いろ曖昧さ、不確かさ、移ろいやすい記憶や感情
人生そのもの、孤独な運命、満たされることのない願いの道のり

特に「押せ」という命令形の言葉は、弱い立場から発せられた叫びである、という逆説が心に響きます。その不可能な願いが、かえって求める気持ちの強さを物語っているのです。また、繰り返される優しい響きの言葉は、読者を詩の物悲しい世界へと自然に引き込みます。

3.3 影響を受けた作品

師である萩原朔太郎からは、心の中の虚しさや寂しさを描く点で大きな影響を受けました。また、三好が翻訳したフランスの詩人ボードレールの作品の影響も色濃く見られます。

しかし、三好のすごさは、西洋の詩から学んだ表現方法を使いながら、そこに自分自身の個人的な、日本での体験や感情を込めた点にあります。西洋の詩の「骨格」を借りて、そこに自らの体験という「血肉」を注ぎ込むことで、彼は外国の模倣ではない、深く日本的で、まったく新しい詩の世界を創り出したのです。

第4部 結論:「乳母車」が今も心に響く理由

4.1 作者が伝えたかったこと

「乳母車」が伝えるメッセージは、二つあると考えられます。一つは、過去の心の傷は決して消えない、という厳しい現実です。しかし、もう一つは、その悲しみを「詩」という美しい形にすることで、人は苦しみを乗り越えることができる、という希望です。詩を作ることで、痛みは消えなくても、美しい作品へと姿を変えることができる。これは、喪失の中から意味を生み出す、人間の精神の強さの証です。

4.2 詩集『測量船』の中での意味

詩集のタイトル『測量船』とは、詩人が、人間の心の深さという広大な海を「測量」する船である、という比喩です。「乳母車」という詩は、母を失った悲しみや孤独という、心の特定の領域を、言葉という精密な機械で測量した、貴重な航海記録と言えるでしょう。

詩人という「測量船」が、魂を乗せた「乳母車」の進む「はてしない道」を記録していく――。そう考えると、この一篇の詩が、詩集全体の壮大なテーマへと繋がっていくのが分かります。

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