【完全解説】実話から生まれた傑作!ヒッチコック『暗殺者の家』(1934) – シドニー・ストリート事件との意外な繋がりから読み解く永久保存版ガイド

1934年に公開された『暗殺者の家』は、ヒッチコック監督がイギリス時代に手掛けた重要作品の一つです。後の1956年に自身でリメイクすることになる本作は、国際的な陰謀に巻き込まれた一家の運命を描いたサスペンス作品です。75分という比較的短い上映時間ながら、緊迫感あふれる展開と印象的なキャラクター造形で、今なお色褪せることのない魅力を放っています。

基本情報

  • 監督:アルフレッド・ヒッチコック
  • 脚本:チャールズ・ベネット、D・B・ウィンダム・ルイス
  • 音楽:アーサー・ベンジャミン
  • 撮影:クルト・クーラント
  • 製作:ゴーモン・ブリティッシュ
  • 上映時間:75分
  • キャスト:
    • レスリー・バンクス(ボブ・ローレンス役)
    • エドナ・ベスト(ジル・ローレンス役)
    • ピーター・ローレ(アボット役)
    • ノヴァ・ピルビーム(ベティ・ローレンス役)
目次

詳細なストーリー解説:緻密に組み立てられた緊張のプロット

物語は、スイスの高級リゾート地サンモリッツからスタートします。イギリス人のボブとジル・ローレンス夫妻は、愛娘ベティとともに冬季の休暇を過ごしていました。スキー競技会の観戦中、犬が競技コースに飛び出すハプニングが起き、これがきっかけでルイという謎めいた男性と出会います。実は、この一見何気ない出会いが、後の悲劇の伏線となっていたのです。

ジル・ローレンスはクレー射撃の大会に参加し、その卓越した腕前を披露します。決勝戦では惜しくも敗れましたが、この射撃の腕前は物語の重要な要素として後に活きてきます。大会ではレイモという選手が優勝しますが、彼もまた物語の重要な登場人物として後に関わってきます。

ホテルでの夜の舞踏会で、突如として事態は急転します。ダンスを楽しんでいたルイが何者かによって射殺されるのです。息を引き取る直前、ルイはジルに自分の部屋の鍵を渡し、部屋にあるブラシを英国領事館に届けてほしいと懇願します。この依頼を受けたボブがルイの部屋を調べると、ブラシの中から重大な暗殺計画に関するメモを発見します。

しかし、この発見は家族に災いをもたらします。暗殺組織は娘のベティを誘拐し、夫妻に口止めを要求します。「何も話すな。話せば娘には二度と会えない」という脅迫に直面した夫妻は、警察にも真相を話すことができない状況に追い込まれます。

イギリスに戻った夫妻の前に、外務省のギブソンという人物が現れます。彼は殺害されたルイが特殊任務に就いていた人物で、ある外国の政治家ルーパの暗殺計画を察知していたことを明かします。しかし、娘の命を危険にさらすことはできないと考えた夫妻は、ギブソンへの協力を躊躇します。

メモの手がかりを追って、ボブはワッピング街のG.バーバー歯医者を訪れます。そこで彼は犯人グループと対峙することになります。歯医者での緊迫したシーンを経て、ボブは暗殺計画の詳細を知ることとなります。計画は、ロイヤル・アルバート・ホールでの演奏会で実行されることが判明します。

物語は、ロイヤル・アルバート・ホールでのクライマックスへと向かいます。演奏会で使用される「Storm Clouds Cantata」のシンバルが鳴る瞬間に暗殺が実行されるという計画を知ったジルは、必死の思いで暗殺を阻止しようとします。緊迫感あふれる演奏会のシーンで、ジルは悲鳴を上げることで暗殺者の狙いを狂わせることに成功します。

しかし、事態はさらに展開します。警察が犯人グループのアジトを包囲し、激しい銃撃戦が展開されます。この戦いの中で、ジルは自身のクレー射撃の腕前を活かし、娘を人質に取ろうとした暗殺者を射撃で倒すという、これまでの伏線が見事に回収されるシーンが描かれます。

最終的に、暗殺組織は壊滅し、ローレンス一家は無事に再会を果たします。娘のベティを取り戻した夫妻の表情には、これまでの緊張から解放された安堵の色が浮かびます。

作品の深層:重層的なテーマと演出の妙

『暗殺者の家』の魅力は、単なるサスペンス・スリラーを超えた、多層的なテーマ性にあります。まず、「知ることの危険性」というテーマが作品全体を貫いています。タイトルの「知りすぎた」という言葉が示すように、偶然にも重大な秘密を知ってしまったことで、平凡な市民が危険な状況に巻き込まれていくというプロットは、後のヒッチコック作品でも繰り返し使われるモチーフとなりました。

また、「家族の絆」と「社会的責任」という二つの価値の間での葛藤も重要なテーマとして描かれています。娘の命と社会正義という、二者択一を迫られる状況での人間の選択と苦悩が、説得力を持って描かれているのです。

演出面では、ヒッチコックの卓越した手腕が随所に見られます。特筆すべきは、情報の制御による緊張感の構築です。例えば、アルバート・ホールでの暗殺計画シーンでは、観客は暗殺の詳細を知っていながら、登場人物たちは限られた情報の中で行動せざるを得ません。この情報の非対称性が、観客の心理的緊張を最大限に高める効果を生んでいます。

視覚的な演出においても、ヒッチコックの才能が遺憾なく発揮されています。冒頭のスキー場のシーンから、閉鎖的な歯医者の診療室、そして壮大なアルバート・ホールまで、それぞれの場所の特性を活かした空間演出が見事です。特に、歯医者での緊迫したシーンでは、狭い診療室という閉鎖空間を利用して、観客の不安感を効果的に煽ることに成功しています。

音楽の使用も特筆に値します。アーサー・ベンジャミンによって作曲された「Storm Clouds Cantata」は、単なる背景音楽ではなく、物語の重要な要素として機能しています。演奏会でのクライマックスシーンでは、音楽とアクションが完璧に同期し、観客を息もつかせぬ緊張感で包み込みます。この楽曲は後のリメイク版でも使用されることになり、ヒッチコック作品を代表する音楽の一つとなりました。

演技と配役:個性的な俳優陣が織りなすドラマ

本作の成功には、優れた俳優陣の存在も大きく貢献しています。主演のレスリー・バンクス演じるボブ・ローレンスは、危機的状況下でも冷静さを失わない英国紳士像を体現し、エドナ・ベスト演じるジルは、当時としては珍しい行動的な女性キャラクターを説得力を持って演じています。

特に注目すべきは、ピーター・ローレ演じるアボット役です。ナチス・ドイツから逃れてきたばかりで英語もままならなかったローレですが、その独特の雰囲気と存在感は、悪役アボットの不気味さと知性を見事に表現しています。セリフを音読で覚えながらの演技だったとは思えないほどの自然な演技は、ローレの卓越した演技力を示すものと言えるでしょう。

技術的革新と映画史的価値

1934年という時期は、トーキー映画が定着し始めた重要な転換期でした。本作では、音声と映像を効果的に組み合わせた演出が随所に見られます。特に、銃撃戦のシーンでの銃声や、アルバート・ホールでのシンバルの音など、音響効果が物語を進める重要な要素として機能しています。

撮影技術の面でも、当時としては革新的な試みが見られます。クルト・クーラントによる撮影は、暗部の多い室内シーンから群衆の渦巻くホールまで、様々な場面で効果的な映像表現を実現しています。特に、アルバート・ホールでの群衆シーンの撮影は、技術的にも挑戦的な試みでした。

社会的・歴史的コンテキスト

本作は1930年代という時代背景を色濃く反映しています。国際的な暗殺計画というプロットには、第一次世界大戦後の不安定な国際情勢が投影されています。また、警察の銃規制に関する描写など、当時のイギリス社会の特徴も細かく描き込まれています。

作品の影響力と歴史的評価

『暗殺者の家』は、ヒッチコック作品の中でも特別な位置を占めています。後に監督自身が1956年にリメイクを手掛けたことからも、その重要性が窺えます。ヒッチコックは1956年版について「プロが作った作品」と評し、1934年版を「才能あるアマチュアの作品」と表現していますが、これは必ずしも質の優劣を示すものではありません。むしろ、両者それぞれに異なる魅力があると考えるべきでしょう。

1934年版には、イギリス時代のヒッチコックならではの特徴が色濃く表れています。例えば、階級社会イギリスを背景とした人間関係の描写や、英国的なユーモアのセンスは、この時期の作品ならではのものです。また、後のアメリカ時代の作品に比べてよりストレートな社会批評的要素を含んでいることも特徴的です。

製作の舞台裏:興味深いエピソード

本作の製作過程には、興味深いエピソードが数多く残されています。例えば、ラストの銃撃戦のシーンは、1911年にロンドンで実際に起きた「シドニー・ストリートの包囲戦」をモデルにしています。この事件は、ヒッチコックが育ったロンドンのイーストエンドで起きた実際の事件であり、個人的な記憶が作品に活かされた例と言えます。

また、ピーター・ローレの起用に関しても興味深いエピソードがあります。当時、ナチスの迫害を逃れてイギリスに亡命していたローレは、英語をほとんど話せない状態でした。しかし、ヒッチコックは彼の持つ独特の存在感に惹かれ、どうしても起用したいと考えたそうです。結果として、ローレは音読でセリフを覚えながら演技を行い、それが逆に彼の演じる謎めいた悪役のキャラクター性を強める結果となりました。

「シドニー・ストリートの包囲戦」とは

引用元:https://www.alegsaonline.com/zoom.php?image=Sidney_street_churchill.jpg

1911年初頭、ロンドンのイーストエンドで警察・軍と革命家たちの間で発生した激しい銃撃戦は、当時のイギリス社会に大きな衝撃を与えました。事件の発端は、1910年12月16日深夜のハウンズディッチでの警官殺害事件でした。宝石店での不審な音を確認に向かった警官たちが銃撃を受け、3人が死亡、2人が重傷を負うという痛ましい事件が起きたのです。

この事件の背景には、1905年のロシア第一革命失敗後、多くのアナーキストがロンドンのイーストエンドに逃れてきたという社会情勢がありました。映画『暗殺者の家』においても、国際的な陰謀組織という設定に、当時のロンドンが抱えていた国際的な治安問題が反映されているとみることができます。

実際の包囲戦では、当時の内務大臣ウィンストン・チャーチルの指示により、警察と軍の合同部隊が組織され、犯人たちの潜伏先とされたシドニー・ストリート100番地が包囲されました。映画のクライマックスシーンにおける警察による建物包囲と銃撃戦は、この歴史的事件を直接的にモチーフとしています。

特筆すべきは、この事件がヒッチコックの少年時代の記憶と直接結びついているという点です。事件が起きたイーストエンドは、ヒッチコックが育った地域でもありました。この個人的な経験が、映画における緊迫した銃撃戦シーンの臨場感ある描写に活かされていると考えられます。

映画への反映と芸術的昇華

実際の事件では、建物から出火し、2名の犯人の遺体が発見されるという悲劇的な結末を迎えましたが、映画では主人公一家の救出という形でドラマチックに再構築されています。ヒッチコックは、実際の事件から得たインスピレーションを、エンターテインメントとしての映画作品に見事に昇華させたと言えるでしょう。

シドニー・ストリートの包囲戦は、当時のイギリス社会が抱えていた治安問題や移民問題、警察の対応能力など、様々な社会課題を浮き彫りにした事件でした。『暗殺者の家』は、この歴史的事件をモチーフとしながら、個人と社会の対立、正義と人道的配慮の葛藤という普遍的なテーマへと昇華させることに成功しています。

現代における再評価

近年、『暗殺者の家』は映画史研究の観点から再評価が進んでいます。特に注目されているのは、以下の点です:

  1. 国際的なスリラーの先駆的作品としての価値
  2. サウンドとビジュアルの革新的な組み合わせ
  3. 政治的陰謀と個人の葛藤という普遍的テーマの扱い方
  4. 女性キャラクターの先進的な描写

現代の観客にとっても、本作の持つ緊張感とドラマ性は十分に通用するものがあります。特に、家族の絆や個人と社会の関係性といったテーマは、時代を超えて共感を呼ぶものとなっています。

まとめ:不朽の名作としての『暗殺者の家』

『暗殺者の家』は、単にヒッチコックの初期作品という位置づけを超えて、映画史に残る重要な作品として評価されるべきでしょう。75分という比較的短い上映時間の中に、サスペンス、人間ドラマ、社会的メッセージを見事に詰め込んだ本作は、ヒッチコックの才能が開花し始めた重要な転換点として位置づけられます。

現代の視点から見ても、その演出技法や物語構造の緻密さは十分に評価に値するものです。また、家族愛と社会的責任の狭間での葛藤という普遍的なテーマは、今日の観客の心にも強く響くものがあります。

ヒッチコックのキャリアにおける重要な一作として、そして1930年代のイギリス映画を代表する作品として、『暗殺者の家』は今後も映画史に輝き続けることでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

CAPTCHA

目次