毛糸のなかの恋心——永井荷風「心づくし」を読む

永井荷風(1879〜1959)の短編「心づくし」は、終戦直後の浅草を舞台に、小さな劇団の若い女優・春川千代子が恋をして、傷ついて、また立ち直っていく姿を静かに描いた物語である。長くはない作品だが、何度も読み返したくなる不思議な余韻がある。今回はこの作品を、できるだけわかりやすい言葉でじっくり読み解いてみたい。

目次

1. まず「心づくし」というタイトルについて

「心づくし」という言葉には、「心を尽くすこと」「相手のことを一生懸命思うこと」というニュアンスがある。古くは秋の物悲しい感情と結びついて使われることが多く、平安時代の和歌にも登場する表現だ。

荷風がこのタイトルを選んだのは意味深長である。千代子がスェータを編み続ける行為こそが「心づくし」そのものだからだ。好きな人のために、自分の時間と貯金を使って、電車の中でも舞台裏でも、ひたすら毛糸を編み続ける。その姿がこの物語のすべてを象徴している。

2. 舞台となった「戦後の浅草」

物語の時代背景を整理しておこう。終戦(1945年)直後の日本は、食料も物資も不足していた。浅草は下町の文化・芸能の中心地で、安い娯楽を求める人々で賑わっていた。千代子が所属するB劇団のような小さな興行団体は、そういう時代の産物だ。

戦後いずこの町と云わず田舎と云わず、すさまじい勢で繁殖して行く民衆的現代女性の標本とでも言いたい娘さん達である。――「心づくし」本文より

荷風は千代子たちを「戦後の新しい女性の典型」と客観的に描写している。工場で働いていた女性が、戦後に演劇・芸能の世界に流れ込んでいく。そういうリアルな時代の空気が、物語の背景を作っている。

3. 千代子というキャラクターの魅力

主人公の春川千代子は、葛飾区高砂町の荒物屋(日用品を売るお店)の19歳の娘だ。劇団の仲間が次々と恋人を作っていくなかで、ひとり「売れ残り」でいる。

「でも此方こっちで好いと思う人には、大概きまった人があるじゃないの。仕様がないわ。わたし売れ残りでいいのよ。その方が気楽だわ。」――千代子のセリフ

さばさばしているように見えて、「急に雨が降って来たりする帰り道、男が持っているその傘をさしかけて、女の家まで送ってやったりするのを見たり聞いたりする時など、自分もそういう親切な目に遇って見たいような気になることもあった」と書かれている。強がっているけれど、本当は誰かに優しくされたい。そういう等身大の感情が、千代子を愛しいキャラクターにしている。

4. 山室との恋——舞台上の接吻から始まった

千代子の恋の相手は、新加入の男優・山室弘(25〜6歳)。ことの発端は稽古だった。公園のベンチで学生同士が出会う場面を演じるうち、千代子は「我知らず狂言ならぬ真剣味を見せはじめた」。演技のはずが本気になってしまったのだ。

三日目の舞台では、山室が「力まかせにぐっと千代子の身を抱きすくめ、その脣の上にいつ放すとも知れず自分の脣を押しつけた」。千代子は「悶きもせずにじっとしていた」。これは演技と現実の境界が溶けた、重要な場面だ。

ポイント:「舞台の上の接吻」は荷風文学で繰り返し登場するモチーフだ。作り物の感情がいつの間にか本物になる。千代子の場合も、演技から恋心が生まれていく。

しかし山室は「どこか冷静で、煮切らない態度」を続ける。楽屋での雑談や喫茶店への誘いはあっても、結婚の約束どころか、真剣な話をする機会が一向にやってこない。千代子は帰りの電車で友人の蝶子に山室の話ばかりし、「チャンスが必要なのよ」と言われてからは毎日機会を窺い続ける。

5. スェータを編み始める——「心づくし」の本体

千代子が山室への気持ちを行動で示そうとしたのが、毛糸のスェータを編むことだった。

千代子は郵便貯金まで引出して鼠色霜降の糸を買い、往復の電車の中は勿論、舞台裏で「出で」を待つ間にさえ、編物の手を休ませなかった。――本文より

郵便貯金まで崩してグレーの糸を買い、電車の中でも舞台の出番待ちの間でも、とにかく編み続ける。これが千代子の「心づくし」の姿だ。言葉で伝えられないぶん、手を動かし続ける。そのひたむきさがとても愛しい。

6. 仲見世での「発見」——失恋のシーン

千代子が傷つく場面は、大きなドラマとして描かれない。ただ、浅草の仲見世を歩いていた千代子は、人混みの中に山室と流行歌手・滝野糸子が「睦まし気に話し合いながら買物をしている」のを見かけてしまう。

蝶子に「とうのむかしからよ。二人とも早いんじゃ有名な人達だもの」と教えられ、千代子はすべてを悟る。

山室が毎晩イヤに帰りを急いでいる訳も、自分には舞台で接吻したり物蔭で手を握ったりしてくれながら、どこか冷静で、煮切らない態度をしているその訳をも、一度に残りなく知ることができたような気がしたのである。――本文より

号泣するわけでも、怒鳴るわけでもない。千代子は「今日も毛糸の編物を手提の中に入れていたのであるが、もう稽古のひまに取出して見る気もしなくなった」。この一文がすべてを語っている。荷風の筆は徹底して静かで、だからこそ千代子の痛みが読む者の胸に沁みる。


7. 増田という男——もう一つの愛の形

千代子が失恋した後に現れるのが、増田という不器用な男優だ。山室とは正反対で、「芸も人気も比べ物にならない無器用な男」で、家は小岩で野菜を売っている。千代子は最初、まるで弟扱いする。

ある雨降りの夜、増田は千代子が降りる駅でわざわざ一緒に降り、真っ暗な堤の道を歩きながら、震える声で告白する。

初めて見た時から千代子さんが好きで好きでたまらなかった事を打明けた。――本文より

告白を聞きながら家の前まで来た千代子は、やさしく手を出して握らせる。増田が帰ろうとすると「傘貸して上げるよ」と声をかける。増田は「いいですよ。漏れてかえります」と言って雨の中に消えていく。

この場面は、この作品の中でも特に美しい。ぶきっちょで純朴な増田の愛情が、山室の「煮切らない態度」と鮮やかな対照をなしている。千代子は「Bのおどおどして言いたいことも言えないような様子が、Aの利口ぶった隙間のない態度に比べて、いかにも純情らしくまたかわいそうに思われた」と感じる。

8. スェータが再び動き出す

増田に告白された翌日、千代子は放り投げていたスェータの編物を再び手に取る。山室(A)に贈ろうとしていたスェータを、今度は増田(B)に贈ろうと決めたのだ。

ところが物語は、ここでもうひとひねりを加える。千代子は下腹に小さな腫物ができているのに気づき、「もしや恐ろしい病気では」と青くなる。結局数日で治ってしまうのだが、この体験から千代子は増田に対しても距離を置くようになる。増田からの熱烈な追求も、うまくかわしていくようになる。

9. 秋風とスェータ——物語の幕切れ

季節は秋になる。夜道を一人で帰るようになった千代子は、「短いスカートからむき出しにしていた両脚に、しみじみ靴たびがはきたくなり」、戸棚の奥からスェータを取り出す。

今はもう楽屋中に誰一人スェータを編んでやろうと思うような好きな人はいない。しかし戸棚の奥から編物を取出して見ると、左右の腕はもう出来ている。胴も襟のまわりの面倒なところさえ大方は編み上げられているので、後はほんの一手間で仕上げてしまうことができるのだ。――本文より

「誰かに贈るため」でも「誰かへの気持ちを込めるため」でもなく、もう「あと少しで仕上がるから」という理由だけで編み続ける。この変化が、千代子の成長を静かに示している。

そして物語は驚くべき幕切れで終わる。大阪に行っていた山室から手紙が来て、「来月東京へ帰る、またB劇団に加入するかもしれない」と書いてある。千代子の心は揺れ動き、「もう一度、顔があつくなったり、呼吸がはずんだりするような目に会いたくて堪らない気がした」。

そして——

スェータは山室弘再加入の予告が劇場の壁に貼り出されたその翌日、見事に千代子の膝の上に編み上げられた。しかも胸のところに、小さく人目につかぬように、二人のイニシアルが変り色の糸で編込まれていたのである。――本文より(末尾)

物語はここで終わる。千代子はスェータを山室に渡すのか、渡さないのか。読者には明かされない。ただ、二人のイニシアルが「人目につかぬように」胸に編み込まれているという事実だけが残る。

10. この物語が伝えるもの

「心づくし」は、恋愛小説としてはとても地味な話だ。劇的な告白もなく、感動の再会もなく、クライマックスらしいクライマックスがない。それでもこの物語が忘れられないのは、千代子の感情の動きが、スェータという具体的なモノを通じてリアルに伝わってくるからだと思う。

山室を好きになる → スェータを編み始める
失恋する → 編物を放り出す
増田に告白される → 再び編み始める
増田とも距離ができる → スェータは誰のものでもなくなる
山室が帰ってくる知らせ → スェータが完成し、イニシアルが編み込まれる

スェータの「現在地」が、そのまま千代子の心の「現在地」を示している。荷風は千代子に「私は今こんな気持ちです」と語らせるのではなく、編物の進み具合で感情を見せる。これが荷風文学の粋だ。

荷風が描く「女の強さ」

千代子は純粋で傷つきやすいが、弱くはない。失恋しても舞台では一番の好演を見せ、増田の告白にも振り回されず、自分のペースで日常を取り戻していく。荷風は千代子を「哀れな女」として描いていない。したたかでしなやかな、戦後を生き抜く女性の姿として描いている。

タイトル「心づくし」の二重の意味

最後にタイトルについてもう一度考えてみると、「心づくし」は単に「心を込めたスェータ」を指しているのではないかもしれない。この物語全体が、千代子が戦後の混乱した世の中を、心を尽くして丁寧に生きていることの記録なのではないだろうか。

誰かを好きになって、傷ついて、また誰かを好きになって。スェータは完成したけれど、恋の行方はまだわからない。その宙ぶらりんな感じが、むしろとても誠実な「恋」の姿をしている。

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