序章:スクリーンに映る、ブロックが繋いだ冷戦秘話
2023年にApple TV+で配信された映画『テトリス』は、単なるゲームの映画化という枠組みを大きく超えた作品である。本作は、世界で最も有名なパズルゲームの誕生秘話を描きながら、その実態は「伝記スリラー」と呼ぶにふさわしい内容となっている 。物語の舞台は、冷戦末期のソビエト連邦。一つのゲームの権利を巡って繰り広げられた、複雑な知的財産権の争い、イデオロギーの衝突、そして国境を越えた友情の物語を、ゲームという万国共通の言語を通して巧みに描き出している。

本作の特筆すべき点は、歴史的な出来事を意図的に「ゲーム化」した演出にある。難解な法廷闘争や政治的な駆け引きを、誰もが理解しやすいスリリングな冒険物語へと見事に転換させている。このアプローチは、特にクライマックスのアクションシーンにおいて、史実からの大胆な脚色を伴った 。
しかし、その脚色によって、デジタルエンターテインメントと地政学の歴史における決定的な瞬間の「感情的な真実」を捉えることに成功している 。この記事では、歴史の正確性と映画的な物語性の間で揺れ動く本作の魅力を深く掘り下げ、その多層的な構造を解き明かしていく。
I. 作品の基本情報
物語の詳細な分析に入る前に、本作がどのような背景で製作され、批評家からどう評価されたのかを概観し、作品の位置づけを明確にする。
1.1 クレジットと製作概要
本作はイギリスとアメリカの合作映画であり、経験豊富なスタッフと国際的なキャストによって製作された。監督のジョン・S・ベアードは登場人物の心理描写に定評があり、脚本のノア・ピンクは複雑な実話をエンターテインメント性の高い物語へ再構築する手腕を発揮した。主演のタロン・エガートンは、情熱的でリスクを恐れない主人公ヘンク・ロジャースを、エネルギッシュに演じている 。
| 項目 | 詳細 |
| 監督 | ジョン・S・ベアード (Jon S. Baird) |
| 脚本 | ノア・ピンク (Noah Pink) |
| 製作 | マシュー・ヴォーン, ジリアン・バーリー, クラウディア・シファー, レオナルド・ブラバトニック, グレゴール・キャメロン |
| 主要キャスト | タロン・エガートン(ヘンク・ロジャース), ニキータ・エフレーモフ(アレクセイ・パジトノフ), ソフィア・レベデヴァ, アンソニー・ボイル, トビー・ジョーンズ, ロジャー・アラム, 山村憲之介, 文音 |
| 音楽 | ローン・バルフ (Lorne Balfe) |
| 製作会社 | Appleスタジオ, AI Film, マーヴ・スタジオ |
| 配給 | Apple TV+ |
| 公開日 | 2023年3月31日 (Apple TV+) |
| 上映時間 | 118分 |
| 製作国 | イギリス, アメリカ合衆国 |
1.2 受賞歴と批評家からの評価
映画『テトリス』は、批評家から概ね好意的に評価された。レビュー集計サイトRotten Tomatoesでは81%から83%という高い支持率を得て、「Certified Fresh」に認定されている 。その一方で、Metacriticのスコアは61点と、賛否が分かれる結果となった 。この評価の差は、本作の根本的な作風に理由がある。
受賞歴としては、ハリウッド批評家協会ミッドシーズン映画賞の主演男優賞(タロン・エガートン)や、ゴールデン・トレーラー賞へのノミネートが挙げられる 。これは、作品が主要な映画賞で評価されたというよりは、主演俳優の演技と巧みな宣伝が高く評価されたことを示している。
批評家の反応を詳しく見ると、興味深い対立点が見えてくる。それは、本作を「楽しいエンターテインメント」として高く評価する声と、デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』のような、よりシリアスな社会派ドラマと比較して物足りなさを指摘する声である。
前者の批評家たちは、本作が「驚くほど知的で、痛快で、満足のいく冒険」であり、「遊び心のある物語」だと称賛した 。彼らは、伝記映画、スリラー、法廷ドラマといったジャンルを巧みに融合させ、複雑な権利問題をスリリングで分かりやすい物語に仕上げた監督の手腕を評価している。この視点に立てば、本作は狙い通りの極上の娯楽スリラーとして成功していると言える 。
しかし後者の批評家たちは、本作が「表面をなぞっているだけ」で、「ディズニー風の『ソーシャル・ネットワーク』」のようだと批判した 8。彼らが期待したのは、資本主義や創造性といったテーマをより深く掘り下げた作品であり、その基準から見れば、本作の軽快なトーンやドラマチックな脚色は欠点と映った。
こうした評価の違いは、本作が意図的に採用した「歴史のゲーム化」という手法そのものに起因する。観客が史実に基づく重厚な社会派ドラマを期待するのか、あるいは歴史を大胆にアレンジしたスタイリッシュなスリラーとして楽しむのか。そのどちらの視点を持つかによって、本作の評価は大きく左右される。つまり、批評家からの評価に幅があるのは、作品の欠点ではなく、むしろ本作が持つ独自の個性を映し出していると言える。
II. 詳細なあらすじ(ネタバレあり)
本作の物語は、ビデオゲームのように「レベル」で区切られ、主人公ヘンク・ロジャースが直面する困難が段階的に増していく様子を描いている。ここでは、その構成に沿って、物語の導入から結末までを詳しく解説する。
2.1 Level 1: 発見と契約の迷宮
物語は1988年、ラスベガスで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)から始まる 。オランダ系アメリカ人のゲームデザイナー、ヘンク・ロジャース(タロン・エガートン)は、日本を拠点に自身の会社を経営している。彼は自社開発のゲームを売り込むためにCESに参加していたが、その情熱とは裏腹に、自宅を担保に入れるほど経営は苦しい状況であった 。
そんな中、ヘンクは偶然にもソビエト連邦から来たという、シンプルでありながら異常な中毒性を持つパズルゲーム『テトリス』と出会う 。彼は一瞬でその計り知れない可能性を見抜き、人生を賭けることを決意する。

引用元:CNN.co.jp
ヘンクはすぐに行動を起こし、アンドロメダ・ソフトウェア社のロバート・スタイン(トビー・ジョーンズ)から、テトリスの日本におけるPC、家庭用ゲーム機、アーケード版の販売権を獲得する。しかし、喜びも束の間、権利関係が非常に複雑で曖昧であることが判明する。
スタインがソ連の国家組織ELORG(エレクトロンオルグテクニカ)と交わした契約自体が不確かなものであり、さらに彼はその権利を、メディア王ロバート・マクスウェル(ロジャー・アラム)とその息子ケビン(アンソニー・ボイル)が率いるミラーソフト社にもライセンスしていたのである 。
権利の混乱を認識しつつも、ヘンクはゲームの未来を信じ、次の一手を打つ。彼は京都の任天堂本社に乗り込み、当時の山内溥社長、そしてNOA(ニンテンドー・オブ・アメリカ)の荒川實社長とハワード・リンカーン副社長にテトリスを売り込む。そして、任天堂が開発中だった革新的な携帯ゲーム機「ゲームボーイ」のローンチタイトルとして、マリオではなくテトリスを同梱するという大胆な提案をする 。

任天堂はこの提案を受け入れるが、一つの絶対条件を提示する。それは、ヘンクがまだ手に入れていない「携帯ゲーム機版」の権利を確保することであった。
2.2 Level 2: 鉄のカーテンの向こうへ

任天堂からのプレッシャーと、目前に迫る会社の倒産。絶体絶命の状況に追い込まれたヘンクは、常識破りの賭けに出る。スタインやマクスウェルを飛び越え、ソ連のELORGと直接交渉するため、観光ビザでモスクワへ飛ぶことを決断するのである 。当時の冷戦下のソ連において、これはスパイと疑われかねない非常に危険な行為であった。
モスクワに到着したヘンクを待っていたのは、共産主義国家の冷たく威圧的な官僚主義であった。アポイントなしでELORGを訪れた彼は、門前払いを食らう。彼に付けられた通訳のサーシャ(ソフィア・レベデヴァ)は、プロフェッショナルな態度を崩さず、その真意は読めない 。
しかし、不屈の精神で交渉を試みるヘンクは、ついにテトリスの創造主であるアレクセイ・パジトノフ(ニキータ・エフレーモフ)と接触することに成功する。ソ連科学アカデミーに勤務するアレクセイは、物静かで聡明なプログラマーであった 。
彼は、突如現れたエネルギッシュな資本主義者に警戒心を抱きつつも、一つの重要な事実をヘンクに伝える。それは、ソ連の国民として、彼は自らが創造したゲームから一切の報酬を得ておらず、全ての権利は国家に帰属するという事実であった 2。この会話が、二人の間に横たわるイデオロギーの壁を越えた相互理解への第一歩となる。
2.3 Level 3: 信頼の構築とKGBの影

ヘンクとアレクセイは、ゲームデザインへの共通の情熱を通じて、徐々に心を通わせていく。
二人がプログラミングについて語り合うシーンは、彼らの間に友情が芽生える決定的な瞬間として描かれる 。ヘンクがテトリスを単なる金儲けの道具としてではなく、完璧な芸術作品として心から尊敬していることが、アレクセイの心を動かしていくのである。
その頃、モスクワには全ての関係者が集結し、事態は一気に緊迫する。ロバート・スタインが自身の曖昧な契約を正当化しようと現れ、ロバート・マクスウェルの絶大な政治力を背景に持つ傲慢な息子ケビンも乗り込んでくる。
そして、この取引はソ連の諜報機関KGBの目に留まる。KGBと繋がりのある共産党の高官ヴァレンティン・トリフォノフ(イーゴリ・グラブゾフ)が、交渉に介入し始めるのである 。ヴァレンティンにとってテトリスはゲームではなく、私腹を肥やすための国家資産に過ぎなかった。彼はヘンクやアレクセイ、さらにはELORGの会長ニコライ・ベリコフ(オレグ・シュテファンコ)にまで脅迫を加え、単なるビジネス交渉を、家族の命まで危険に晒すスパイスリラーへと変貌させる 。
この過程で、通訳のサーシャがKGBのエージェントであることが明かされるが、彼女の忠誠心はヴァレンティンのような腐敗した個人ではなく、国家そのものに向けられていた 。
2.4 Final Level: 権利を巡る最終決戦
愛国者であり、抜け目のない官僚でもあるベリコフは、ヘンク(任天堂)、スタイン、マクスウェル家の三者を一堂に会させ、最終交渉の場を設ける 2。ヘンクは、アレクセイからの密かな助言を得て、スタインとミラーソフトの契約の欠陥を暴き出す。彼らがそもそも家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機の権利を一度も所有していなかったという事実を突きつけたのである 。
追い詰められたロバート・マクスウェルは、ミハイル・ゴルバチョフ書記長との個人的な繋がりをちらつかせ、政治力で事態を打開しようとするが、失敗に終わる 。
交渉が佳境に入ったその時、ベリコフはミラーソフトに対し、その場で100万ドルを支払えるなら権利を渡すと提案する。しかし、マクスウェルは支払いを渋り、図らずも自社の経営が不安定であることを露呈してしまう 。
その隙を突き、ヘンクと、モスクワに駆け付けた任天堂チームは、500万ドルという高額な前払い金を含む、明快で誠実な契約を提示する 。
ベリコフは、これが自国にとって最良の選択であると判断し、携帯ゲーム機版と家庭用ゲーム機版の権利を任天堂に与える契約書にサインする。この結果に、マクスウェルと密かに利益の50%を分配する裏取引を結んでいたヴァレンティンは激怒する 。
2.5 Game Over?: モスクワからの脱出
ここから、物語は史実から最も大きく逸脱し、映画ならではのクライマックスへと突入する。ベリコフはヘンクたちに、「君たちが乗る飛行機が離陸するまで、この契約は有効ではない」と警告する 。
契約書を手にしたヘンクと任天堂の幹部たちが空港へ急ぐと、ヴァレンティン率いるKGBの追っ手が迫る。絶体絶命のピンチに、アレクセイが自身の車で現れ、彼らの逃走を助ける。ボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」のロシア語カバーが鳴り響く中、モスクワ市街で壮絶なカーチェイスが繰り広げられる 。この一連のシーンは、観客を楽しませるために創作された、完全なフィクションである 2。
空港に到着し、搭乗ゲートでヴァレンティンに追い詰められるヘンク。しかしその瞬間、サーシャが彼らの前に立ちはだかる。彼女はヴァレンティンがマクスウェルと交わした汚職の証拠を掴んでおり、国家への忠誠に基づき、彼を反逆罪で逮捕するのである 。ヘンクは無事に飛行機に乗り込み、テトリスの未来は確かなものとなった。
2.6 Epilogue: 新たな始まり
ゲームボーイと共に発売されたテトリスは、世界的な社会現象となり、カルチャーの象徴となる。
映画は、冷戦の終結を象徴するベルリンの壁崩壊の映像を映し出す。そして2年後、ヘンクはアレクセイとその家族に、アメリカ行きの航空券とゲームボーイを贈る 。
物語は、アメリカの空港で再会を果たした二人が、冷戦の影から解放され、友人として、そして未来のビジネスパートナーとして固く抱き合う感動的なシーンで幕を閉じる。エンドクレジット前のテロップで、二人が後に「ザ・テトリス・カンパニー」を共同で設立し、アレクセイの功績と経済的成功を確かなものにしたことが語られる 。
III. 作品の考察
本作は、単なる伝記映画に留まらず、そのテーマ、演出、キャラクター造形、そして史実との関係性において、多角的な分析を可能にする深みを持っている。
3.1 テーマとメッセージ:ゲームが繋ぐイデオロギーの壁
本作が提示する中心的なテーマは、普遍的なアイデアが持つ力、イデオロギーの対立、そして人間的な繋がりの尊さである。
- 普遍性と分断の対立: 本作の核心的なメッセージは、テトリスという完璧でシンプルなゲームが、最も硬直化した政治的・イデオロギー的な壁をも乗り越える力を持つということである。
テトリスは、秩序と創造性を求める人間の根源的な欲求に訴えかける。その魅力は、東京、ロンドン、モスクワといった場所や体制の違いに関係なく、全ての人々に共通するものであった。 - 資本主義と共産主義の対比: 映画は、二つの体制を単純化しながらも、その両面性を描いている。マクスウェル親子を通じて、利益至上主義で欺瞞に満ちた西側資本主義の醜さを批判する一方で、ソ連末期の抑圧的で非効率な官僚主義と腐敗も容赦なく描いている 。
ヘンク・ロジャースは、情熱とリスクテイク、そしてプロダクトへの信念に突き動かされる、理想化された資本主義の体現者として描かれる。対照的に、アレクセイは、個人の創造性を認めない体制の中で才能を抑圧された天才として登場する。 - 友情の力: 物語の感情的な核となるのは、ヘンクとアレクセイの間に育まれる友情である 。
彼らの関係は、政治を超えた東西協力の可能性を示す縮図として機能する。互いの才能への尊敬と、創造性という共通言語が、彼らを結びつけた。この個人的な絆が、最終的に巨大な国家や企業間の対立を乗り越える原動力となったのである。

3.2 演出と象徴:8ビットで描かれる冷戦スリラー

本作を特徴づける最もユニークな要素は、8ビットのグラフィック、ピクセルアート調の場面転換、そして「Level Up」といった章立てなど、ビデオゲームのスタイルを全面的に取り入れた演出である 。
このスタイルは、単なる表面的な装飾ではない。それは、映画の物語構造とテーマを強化するための、計算された仕掛けとして機能している。まず、この演出は、複雑な法廷闘争や政治的駆け引きを、観客にとって親しみやすいフォーマットに変換する役割を果たす。ヘンク・ロジャースを「プレイヤーキャラクター」として位置づけ、彼が次々と現れる困難なステージをクリアしていくという構図は、物語の理解を助ける 15。
さらに重要なのは、この「歴史のゲーム化」が、映画の核心的なテーマそのものを補強している点である。現実の冷戦下の対立を「ゲーム」として見せることで、本作は、イデオロギー闘争や企業間競争も、本質的にはルール、プレイヤー、そしてハイスコア(利益や権力)が存在する壮大なゲームであると示唆している。
この視点に立つと、クライマックスのカーチェイスのような史実から逸脱したフィクション要素も、テーマ的には一貫性を持つように感じられる。ゲームとして構成された映画において、「ボスバトル」や派手なアクションシーンは、むしろ期待される展開だからである。
結論として、8ビットのスタイルは、本作の哲学を解き明かす鍵と言える。それは、テトリスのような普遍的でロジカルな思考が、現実世界の解決困難に見える対立を理解し、さらには乗り越えるための視点となり得ることを示唆している。この演出によって、映画は歴史的事実の再現を超え、より普遍的な物語へと昇華されているのである。
3.3 キャラクター分析:情熱、友情、そして強欲

本作の物語は、対照的な動機を持つキャラクターたちの衝突によって進んでいく。
- ヘンク・ロジャース(プレイヤー): タロン・エガートンの快活な演技によって、ヘンクは起業家精神と楽観主義の象徴として描かれる 。彼の最大の特徴は、テトリスの経済的価値だけでなく、その完璧なデザインとしての本質的価値を信じ抜く、揺るぎない情熱である。彼は自らの全てを賭けて夢を追うリスクテイカーであり、観客が感情移入する物語の原動力である。
- アレクセイ・パジトノフ(創造主): ニキータ・エフレーモフが演じるアレクセイは、本作の魂と言える存在である。物語の序盤、彼は自身の偉大な創造物が自分のものではないという現実に諦めを感じる、慎重で才能ある人物として描かれる。
しかし、ヘンクとの友情を通じて、彼は徐々に自分の意見を主張し、勇気を見出していく。国家の駒であった彼が、自らの功績を守るために能動的に行動するようになる彼の変化は、本作の感動の核となっている。 - 敵対者たち(障害物):
- ロバート&ケビン・マクスウェル: 彼らは、世襲的な大企業が持つ強欲の最悪の側面を象徴している。傲慢で特権意識に満ちた彼らは、テトリスを情熱の対象ではなく、権力と威圧によって手に入れるべき単なる商品としか見ていない 。
- ヴァレンティン・トリフォノフ: 彼は、ソビエト体制内部の腐敗を擬人化した存在である。共産主義のイデオロギーを私利私欲のために悪用する彼は、単なるビジネス上の競合相手ではなく、物理的な危険をもたらす脅威として、物語の緊張感を飛躍的に高めている 17。
- ロバート&ケビン・マクスウェル: 彼らは、世襲的な大企業が持つ強欲の最悪の側面を象徴している。傲慢で特権意識に満ちた彼らは、テトリスを情熱の対象ではなく、権力と威圧によって手に入れるべき単なる商品としか見ていない 。
3.4 史実との比較分析:「事実は映画より奇なり」の再構築
本作は「実話に基づく」物語であるが、ドキュメンタリーではない 。原作者であるヘンク・ロジャースとアレクセイ・パジトノフ自身が監修に関わっていることは、事実を脚色した部分においても、物語の核となる「感情的な」信憑性を保証している 。
本作で最も議論を呼ぶ点は、その歴史的な正確性である。以下の表は、物語の主要な要素が史実に基づいているか、あるいは映画的な脚色であるかを比較し、その意図を分析したものである。
| 要素 | 史実との整合性 | 映画的脚色とその意図 |
| 権利を巡る中核的な対立 | 正確: ヘンク、スタイン、マクスウェル家、任天堂、ELORGが関与した複雑な権利闘争は、実際に起こった出来事である 。 | 映画は複雑な法的手続きを簡略化しているが、多者が入り乱れた争奪戦の本質を的確に捉えている。 |
| ヘンクとアレクセイの友情 | 正確: 二人は交渉の過程で真の友情を育み、それは現在まで続いている 。 | 映画はこの友情を物語の感情的な中心に据え、二つの世界を繋ぐ架け橋として象徴的に描いている。 |
| アレクセイの経済的困窮 | 正確: 共産主義体制下の国民として、パジトノフは当初、自らの発明から一切の利益を得られなかった 2。 | これは、ヘンクが正そうとする不正義を明確にし、ソビエト体制の欠陥を浮き彫りにする重要なプロットポイントである。 |
| KGBの関与 | 誇張/脚色: KGBの存在と状況の緊迫感は事実だが、直接的な脅迫、暴力、あからさまなスパイ活動といった描写は大幅に誇張されている 。 | 法廷ドラマをハイステークスなスパイスリラーに変え、緊張感を高め、ヴァレンティンという明確な悪役を創造するため。 |
| カーチェイス | 完全なフィクション: モスクワ市街での壮絶なカーチェイスは、実際には起こっていない 。 | 純粋に映画的な興奮を追求するために追加された。ゲーム化された本作の構造における「最終ボスステージ」として機能する。 |
| 『アルゴ』風の脱出劇 | フィクション: 飛行機に間に合わせるための時間との戦いという緊迫した展開は、ドラマチックな創作である 。 | スリラージャンルのお約束に則り、手に汗握る結末を演出するため。 |
製作者たちは、厳密な事実の再現よりも、「感情的な真実」と物語の面白さを優先するという意識的な選択をした。加えられたフィクション要素は無作為ではなく、権利闘争がもたらした極度のプレッシャーや危険の「感覚」を、ハリウッドスリラーの言葉で表現するために設計されている。
その結果、本作は歴史の記録というよりも、歴史を題材にした寓話としての性格を帯びている。テトリスという一つのゲームを巡る物語を枠組みとして、創造性、強欲、そして人間的な繋がりという、より普遍的なテーマを探求した作品なのである。
IV. まとめ
「テトリス」という、誰もが知るゲームを題材にしているため、一見すると親しみやすく、敷居の低い作品に思えるかもしれない。しかし、その実態は冷戦下の複雑な権利闘争を描く硬派なスリラーであり、一部の観客にとっては内容が難解に感じられる可能性も否定できない。
率直に言って、筆者もその一人であった。知的財産権を巡る交渉や、ソビエト連邦の政治的背景が絡み合う物語は、集中力を要するものであった。その結果、118分という上映時間は、物語の密度に対して、いささか長く感じられたというのが偽らざる感想である。本作は、軽快なエンターテインメントを期待する層と、骨太な実話ドラマを求める層とで、評価が分かれる作品と言えるだろう。
English Summary
Tetris (2023) – Full Review & Analysis
TL;DR
A brisk Cold-War business thriller about how a deceptively simple game crossed the Iron Curtain to become a global icon. Blending licensing chess, ideological conflict, and an unlikely friendship, Tetris “gamifies” history to deliver suspense with emotional bite.
Background and Context
Directed by Jon S. Baird and written by Noah Pink, the Apple TV+ film stars Taron Egerton as Henk Rogers alongside Nikita Efremov as Alexey Pajitnov. It was produced by an international team and positioned as a fact-based entertainment piece: less documentary, more “true-story thriller.” Critical response skewed positive overall, with praise for pace and style and reservations from some who wanted a denser, Social Network-style dissection.
Plot Summary (No Spoilers)
- Game designer Henk Rogers discovers Tetris and bets his company—and reputation—on bringing it to the world. To bundle the game with Nintendo’s upcoming Game Boy, he must untangle a labyrinth of overlapping licenses that involve UK media titans, a wily intermediary, and ELORG, a Soviet state agency. Rogers travels to Moscow, where he meets creator Alexey Pajitnov. Amid bureaucratic pressure and surveillance, negotiations escalate into a high-stakes race to secure handheld and console rights.
Key Themes and Concepts
- Creativity vs. Control — Who owns ideas: inventor, corporation, or state?
- East–West Mirror — The film critiques both Western profiteering and late-Soviet corruption, refusing a simple good/evil split.
- Friendship Across Ideologies — Henk and Alexey’s bond becomes the story’s moral core and engine of change.
- “Game-ified” History — 8-bit chaptering, “levels,” and boss-fight pacing turn legal complexity into readable cinematic stakes.
Spoiler Section (With Analysis)
Rogers exposes flaws in rival contracts and wins ELORG’s decision by offering clear terms and meaningful upfront value. The film then shifts into full genre mode: a fictionalized Moscow chase to the airport, the downfall of a corrupt Soviet official, and wheels-up validation of the deal. In the epilogue, Tetris launches with Game Boy, the Berlin Wall falls, and Rogers later co-founds The Tetris Company with Pajitnov—restoring credit and profit to the creator. The embellishments (KGB peril, action finale) serve the movie’s thesis: “gamified” storytelling can express the emotional truth of risk, pressure, and stakes better than procedural detail alone.
Conclusion
Tetris succeeds as propulsive entertainment that makes IP law and geopolitics feel cinematic. It’s lighter than a pure historical procedural, but its style, performances, and thematic through-line—about dignity in creation and the bridges built by play—give it staying power.

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