【序章】コロンボ伝説の原点「殺人処方箋」とは?

「刑事コロンボ」シリーズの輝かしい歴史は、1968年に放送された一本のテレビ映画から始まりました。その名も「殺人処方箋」(原題: Prescription: Murder)。ピーター・フォーク演じる、あの風変わりな刑事コロンボ警部補が初めて視聴者の前に姿を現した、まさに記念碑的作品です。
今日では、この作品が不動の人気を誇るシリーズの実質的なパイロット版として記憶されていますが、驚くべきことに、当初からシリーズ化を意図して制作されたわけではありませんでした。この偶然の成功が、後のテレビ史に燦然と輝く伝説を生み出すことになります。
では、なぜこの一本のテレビ映画が、何十年にもわたって愛される「うちのカミさんがね…」でお馴染みの名刑事を生み出すに至ったのでしょうか? 本記事では、この「殺人処方箋」の隅々までを徹底的に掘り下げ、その魅力の秘密に迫ります。
「殺人処方箋」基本情報
項目 | 詳細 |
---|---|
オリジナルタイトル | Prescription: Murder |
日本語タイトル | 殺人処方箋 |
米国放送日 | 1968年2月20日 (NBC) |
日本放送日 | 1972年8月27日 |
監督 | リチャード・アーヴィング |
脚本 | リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク(自身の戯曲に基づく) |
上映時間 | 約1時間38分 |
ジャンル | 犯罪、ドラマ、ミステリー、テレビ映画 |
この作品が単なるテレビ映画に終わらず、一大シリーズへと発展した背景には、いくつかの興味深い要素が絡み合っています。ひとつは、その「意図せざる象徴性」です。「殺人処方箋」は、もともとシリーズの序章として企画されたわけではありませんでした。しかし、放送後の視聴者からの熱烈な支持と批評家からの高い評価が、この作品をシリーズ化へと押し上げたのです。
もうひとつ注目すべきは、この最初の物語にして、すでに後の「コロンボ」シリーズを特徴づける多くの要素が確立されていた点です。犯人が最初から視聴者に提示される「倒叙ミステリー」の形式、社会的地位の高いインテリ層の犯人、そして、どこか頼りなく見えるコロンボ警部補の独特な捜査スタイルと鋭い洞察力。これらの要素は、すでにこの時点で明確な輪郭を持って描かれていました。
【第1章】物語の深層:巧妙なプロットと緊迫の展開
「殺人処方箋」の物語は、緻密に練り上げられた犯罪計画と、それを追うコロンボ警部補の鋭い捜査が織りなす、息詰まるような心理戦です。
事件の背景 – 破綻した結婚と冷酷な殺人計画
物語は、著名な精神科医レイ・フレミング博士と、その裕福な妻キャロルの結婚10周年記念パーティーから始まります。しかし、華やかなパーティーの裏では、夫婦関係は冷え切っていました。キャロルは、夫レイが自身の患者でもある若手女優ジョーン・ハドソンと不倫関係にあることを知り、財産分与で破滅させるような離婚を突きつけます。これが、フレミング博士の犯行動機となります。
社会的地位と財産を失うことを恐れたフレミング博士は、完璧な殺人計画を練り上げます。それは、妻キャロルを殺害し、愛人のジョーンを利用してアカプルコ旅行を装ったアリバイを作り上げ、強盗の仕業に見せかけるというものでした。
殺人実行 – 「完璧な」犯罪の遂行
フレミング博士は、アカプルコへの「二度目のハネムーン」の準備中と見せかけ、自宅アパートで妻キャロルを絞殺します。そして、窓ガラスを割るなどして、強盗に襲われたかのように現場を偽装します。その後、ジョーンがキャロルに変装し、フレミング博士と共に空港へ向かい、飛行機に搭乗。機内で派手な夫婦喧嘩を演じて一人で引き返し、キャロルの服をアパートのドアの外にあるクリーニング袋に入れるという念の入れようでした。

フレミング博士はその後一人アカプルコへ飛び立ち、そこで凶器となった重い燭台などの証拠品を海に投棄するのでした。
フレミング博士のこの周到な計画は、単なるプロット上の仕掛けに留まらず、彼の傲慢で支配的な性格を映し出す鏡のような役割も果たしています。
捜査開始 – コロンボ警部補、登場
フレミング博士がアカプルコから帰宅すると、そこにはすでにロサンゼルス市警のコロンボ警部補が待ち受けていました。よれよれのレインコートに身を包み、どこか頼りなげな印象を与えるコロンボ。しかし、その目には鋭い光が宿っていました。彼は、フレミング博士が帰宅した際に妻の名を呼ばなかったことなど、些細な点にすぐに気づきます。
興味深いのは、コロンボ警部補が事件に関わるのが、物語が始まってからかなり時間が経過してからである点です。約100分の作品の中で、コロンボが登場するのは30分ほど経ってからです。この遅い登場は、視聴者にまず犯人、犯行、そして「完璧な」計画をじっくりと見せるための巧みな演出です。
猫と鼠のゲーム – コロンボ、包囲網を狭める
フレミング博士の友人である地方検事からの警告にも臆することなく、コロンボは執拗にフレミング博士への聞き込みを続けます。そして、映画スタジオで働くジョーンを訪ね、彼女の動揺を誘います。コロンボは、フレミング博士ではなくジョーンの方が心理的に揺さぶりやすく、事件を解決するための重要な糸口になると見抜いていたのです。
決着の時 – 精神科医、術中にはまる
コロンボは、フレミング博士に対して巧妙な心理的な罠を仕掛けます。ジョーンが自殺したと偽って伝え、フレミング博士の反応をうかがうのです。
フレミング博士は、コロンボの術中にはまり、ジョーンに対して「彼女は利用しやすかっただけだ」と冷酷な本心を吐露します。しかし、それはコロンボが仕掛けた芝居。ジョーンは生きており、物陰でフレミング博士の非情な言葉のすべてを聞いていたのです。愛する男からの裏切りに打ちのめされたジョーンは、ついに全てを自供することを決意します。
精神分析の専門家であるフレミング博士が、皮肉にも自身の心理操作によって墓穴を掘るという、鮮やかな幕切れでした。
【第2章】登場人物たちの肖像:コロンボ、フレミング、ジョーン
「殺人処方箋」の魅力は、巧妙なプロットだけでなく、個性豊かな登場人物たちの存在によって、より一層深められています。
コロンボ警部補 (ピーター・フォーク) – 知性を隠した刑事の誕生

初期のコロンボ像: この作品で描かれるコロンボは、後のシリーズで見られる姿とは若干異なり、若々しく、髪型も整っており、レインコートもそれほどよれよれではありません。一部のレビューでは、「荒削り」「攻撃的」「執拗」といった言葉で評されており、まだキャラクターが発展途上であったか、あるいは脚本が初期にはやや硬質な側面を求めていた可能性が示唆されます。
確立されつつある特徴: 見た目の違いはあれど、コロンボの核となる特徴はすでに明確に現れています。一見ぼんやりしているようでいて鋭い知性を隠し持つ様、粘り強い質問攻め、些細なことにこだわる着眼点、そして「もうひとつだけ(Just one more thing)」という決め台詞の原型も見られます。相手に自分を過小評価させる手口は、この時点ですでに彼の武器でした。
心理的な洞察力: 人間観察に長け、相手の弱み(特にジョーンのそれ)を見抜いて利用する能力は、彼の捜査における最大の強みです。
レイ・フレミング博士 (ジーン・バリー) – 知性と傲慢の化身

典型的な敵役: 「著名な精神科医」であり、裕福で洗練され、知的であると同時に極めて傲慢な人物。彼は、コロンボが対峙することになる「富裕層のエリート」という犯人像の原型を体現しています。このフレミング博士のキャラクター設定は、後の多くのコロンボの敵役の青写真となりました。
冷酷で計算高い: 彼は「用心深く常に己の感情をコントロールし、決してボロを出すことはなかった」と評されるほど、冷静沈着です。妻殺害は、金銭と社会的体面を守るための周到な計画に基づくものでした。ジョーンに対しても良心の呵責を全く見せない冷酷さは、観る者をぞっとさせます。
知的な好敵手: フレミング博士は、コロンボのうわべの姿を見抜き、その知性をある程度認識しつつも、最終的には彼の手腕を侮ります。二人のやり取りは、まさに知力のぶつかり合いです。
ジョーン・ハドソン (キャサリン・ジャスティス) – 利用された悲劇のヒロイン
愛人であり共犯者: 女優であり、フレミング博士の患者でもある彼女は、彼の殺人計画に引きずり込まれます。
弱点: 巧妙なアリバイ工作に加担するものの、フレミング博士ほど冷酷非情にはなれず、感情的に脆い面を持っています。コロンボが事件解決の糸口として彼女に目をつけたのは的確でした。
操られ、裏切られる: フレミング博士に利用され、その事実に気づいた時(彼の冷酷な言葉を耳にした時)が、彼女の心の限界点となります。ある意味で、彼女はフレミング博士のゲームの駒にされた悲劇的な人物と言えるでしょう。
主要登場人物紹介
役名 | 俳優(日本語吹替声優) | 役柄概要 |
---|---|---|
コロンボ警部補 | ピーター・フォーク | 一見うだつが上がらないが、実は切れ者のロス市警殺人課刑事 |
レイ・フレミング博士 | ジーン・バリー(新版:若山弦蔵) | 妻を殺害する裕福で傲慢な精神科医 |
ジョーン・ハドソン | キャサリン・ジャスティス(高島雅羅) | フレミング博士の愛人で共犯者となる女優 |
キャロル・フレミング | ニナ・フォック(谷育子) | フレミング博士の裕福な妻で被害者 |
バート・ゴードン | ウィリアム・ウィンダム(寺島幹夫) | フレミング博士の友人で地方検事 |
【第3章】「殺人処方箋」誕生秘話:舞台劇からテレビ映画へ
「殺人処方箋」の物語は、テレビ映画として結実するまでに、いくつかの変遷を経てきました。その道のりは、コロンボというキャラクターがいかにして磨き上げられていったかを示す興味深い記録でもあります。
原点:「メイ・アイ・カム・イン?」と「イナフ・ロープ」
物語の最も初期の形は、リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクが執筆し、1960年3月の「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリー・マガジン」に掲載された短編小説「メイ・アイ・カム・イン?」に遡ります。
その後、この短編は1960年夏にテレビドラマ「シボレー・ミステリー・ショー」の一編「イナフ・ロープ」として映像化されました。この作品で初めて、コロンボ警部補という名の刑事が登場し、バート・フリードが演じました。フリードが演じたコロンボは、大柄で、後のピーター・フォーク版とは異なり、より威圧的な印象を与えるキャラクターでした。
舞台劇:「殺人処方箋」(1962年)
レヴィンソンとリンクは、「イナフ・ロープ」をさらに発展させ、1962年に舞台劇「殺人処方箋」を制作しました。この舞台では、トーマス・ミッチェルがコロンボ警部補を演じ(よれよれのコートに古ぼけたフェルト帽という描写があったとされます)、ジョゼフ・コットンがロイ・フレミング博士役を務めました。
この舞台は巡業公演を行いましたが、主演のトーマス・ミッチェルが病に倒れ、亡くなったため、ブロードウェイでの上演は叶いませんでした。興味深いことに、この舞台版では当初、フレミング博士が主人公として位置づけられていましたが、観客はコロンボ警部補というキャラクターに強く惹きつけられたと言われています。
テレビ映画化 (1968年):新たなコロンボ像の確立
そして1968年、舞台劇を基にテレビ映画「殺人処方箋」が制作されます。コロンボ警部補役にはピーター・フォークが、レイ・フレミング博士(ロイからレイへ変更)役にはジーン・バリーが起用されました。このテレビ映画化にあたり、物語の焦点は明確にコロンボ警部補へと移され、結末もコロンボの知略とフレミング博士の悪役ぶりを際立たせるものへと変更されました。
ピーター・フォークの起用
コロンボ役のキャスティングにおいて、レヴィンソンとリンクは当初、リー・J・コッブやビング・クロスビー(ゴルフの時間を優先して辞退)といった年配の俳優を想定していました。しかし、当時39歳だったピーター・フォークが脚本を読み、「あの警官役を演じるためなら何でもする!」と熱烈に役を求めたのです。
脚本家たちは当初、フォークの年齢を理由にためらいましたが、彼の熱意に押されて起用を決定しました。フォークは自身のアイデアを積極的に持ち込み、私物のレインコートを衣装にするなど、コロンボの象徴的な外見を形作る上で大きな役割を果たしました。

物語の進化:「殺人処方箋」ができるまで
比較項目 | イナフ・ロープ (1960年 テレビ) | 殺人処方箋 (1962年 舞台劇) | 殺人処方箋 (1968年 テレビ映画) |
---|---|---|---|
コロンボ役と描写 | バート・フリード(威圧的) | トーマス・ミッチェル(よれよれ、焦点はフレミングに) | ピーター・フォーク(若々しく鋭敏、象徴的特徴の萌芽) |
フレミングの名前と職業 | ロイ(心理学者) | ロイ(精神科医) | レイ(精神科医) |
結末/解決 | 荷物の重さ、スーザンの失言 | フレミング博士の悔恨による自白 | コロンボの罠、ジョーンの証言 |
主な焦点 | フレミング博士に比重 | 明確にコロンボ警部補 | |
主要な手がかり/展開 | 荷物の重さが顕著 | フレミング博士が妻の名を呼ばないこと |
【第4章】名場面と名台詞で振り返る「殺人処方箋」

「殺人処方箋」には、コロンボとフレミング博士の緊迫したやり取りや、事件の核心に迫る印象的な場面が数多く存在します。
コロンボ登場と最初の「ひっかかり」
フレミング博士がアカプルコから帰宅すると、コロンボ警部補はすでに現場にいました。博士が帰宅時に妻の名を呼ばなかったという、一見些細な行動をコロンボは見逃しませんでした。これは、コロンボの行動異常に対する鋭い観察眼を即座に示す場面です。
コロンボがメモを取ろうとしてペンを借りますが、これは彼のどこか頼りない、しかし相手を油断させるための計算された振る舞いの一つです。
フレミング博士のオフィスでの知的な決闘
バーボンを飲みながら、殺人事件について「仮定の話」として議論する場面は、本作のハイライトの一つです。フレミング博士はコロンボを「ずる賢い小さなエルフ…欠点を美徳に変える」と傲慢に分析し、コロンボは「いやぁ、先生にはすっかり見抜かれましたよ」と感心したふりをします。
重要な台詞:
フレミング博士:「道徳などというものは条件付けされたものです、警部補。今日では何もかもが相対的なんですよ…我々の殺人犯は、あなたや私と同じくらい正気かもしれません…殺人は彼にとって不快かもしれませんが、それが唯一の解決策なら、彼はそれを使う。それは現実主義ですよ、友よ、狂気ではない」
コロンボ:「教えてください、先生。そんな男をどうやって捕まえるんですか?」
フレミング博士:「捕まえられませんよ」
コロンボ:「…我々警察官は、世界で一番頭がいいわけじゃない…ただ、我々にはひとつだけ取り柄がある。我々はプロだということです…つまり、この殺人犯の彼を見てください。彼はとても賢いが、アマチュアだ…学ぶ機会は一度しかない。たった一度だけ。しかし我々は…我々にとっては、これは商売なんです…年に百回もやっている。言っておきますがね、先生。それは相当な練習量ですよ」
コロンボ、ジョーン・ハドソンと対決
映画スタジオでのジョーンとの緊迫した対決シーン。コロンボの普段とは異なる攻撃的な台詞:「あんたが殺したも同じだ」「あんたを落としてあいつを逮捕する、これは約束します」。これはシリーズ全体を通しても、彼が最も語気を荒らげた瞬間の一つとして記憶されています。
決定的瞬間 – 形勢逆転
コロンボがフレミング博士にジョーンの「自殺」を伝える場面。フレミング博士のジョーンに対する冷酷な本心:「あの女を愛したことなどない…あの女は利用しやすかっただけだ」。全ての言葉を聞いていたジョーンが現れ、自供を決意する場面。コロンボがジョーンに囁いた「フレミング先生は、決してあなたを愛しちゃいない。これはお金が目当ての殺人計画ですよ。嘘だと思うんだったら、ひとつ試してみませんか?」という言葉が、この罠の伏線となっていました。
【第5章】専門家とファンの視点:批評と反響
「殺人処方箋」は、放送当時から今日に至るまで、専門家やファンから様々な評価を受けてきました。
放送当時 (1968年) の反響
概ね好意的で、視聴者からの反応も良好でした。当時のテレビ映画としてはトップ10に入る高視聴率を記録しています。特にピーター・フォークとジーン・バリーの間の手に汗握る知的な駆け引きが高く評価されました。
しかし、放送当初は一部の大手メディアではそれほど大きく取り上げられず、例えばニューヨーク・タイムズ紙のジャック・グールドは放送日には別の番組の批評を掲載していました。この事実は、「殺人処方箋」が必ずしも鳴り物入りで登場したわけではなかったことを示唆しています。
後年の分析とファンの見解
シリーズの力強いスタートであり、多くの古典的なコロンボの要素がすでに確立されていたと認識されています。ピーター・フォークは、この初期の作品においてすら「この役を演じるために生まれてきた」と評されています。ジーン・バリーもまた、典型的かつ「悪魔的」なコロンボの犯人像を好演したと称賛されています。
一方で、このエピソードのコロンボは、後のシリーズと比較して「より荒削り」「若々しい」、髪型も整っており服装もそれほど乱れていない、そして時にはより攻撃的であるとの指摘もあります。
エピソードのテンポの良さや、巧みに構成されたミステリーは高く評価されています。当時のテレビ映画としては、劇場用映画に匹敵するほどの高い制作クオリティであったと見なされています。
ヒッチコック的要素と演出スタイル
監督のリチャード・アーヴィングは、経験豊富なテレビディレクターでした。一部の日本の批評家は、殺人シーンでの電話の割り込みや、妻がカーテンを掴むといったサスペンスフルな演出に、ヒッチコック作品に通じるものを指摘しています。
オープニングのタイトルシークエンスのデザインやデイヴ・グルーシンの音楽は、後のシリーズとは異なる独特の雰囲気を持つと日本のファンに認識されています。
【第6章】日本での「殺人処方箋」:放送と文化的影響
「殺人処方箋」は、遠く離れた日本でも多くのファンを獲得し、独自の文化的足跡を残しました。
日本での放送詳細
日本での初回放送は、1972年8月27日でした。日本語タイトルは「殺人処方箋」で、原題の直訳に近い形が取られています。
日本での反響と人気
「刑事コロンボ」シリーズは、この第一作を含め、日本で絶大な人気を博しました。ピーター・フォークの演技は高く評価され、彼のよれよれの風貌や、「うちの家内がね…」といった日本語吹き替え版ならではの名台詞は、日本の視聴者に深く愛されました。
一見平凡な刑事と、しばしばエリート層である知能犯との間の知的な戦いは、日本の視聴者を魅了しました。犯人が最初から分かっている「倒叙ミステリー」という形式は、当時の日本のテレビドラマとしては新鮮で、視聴者の興味を惹きつけました。
日本のファンならではの視点と解釈
日本のファンは、後のシリーズとは異なるオープニングのタイトルデザインや音楽といった細部にまで注目しています。このエピソードにおけるコロンボの若々しく整った外見についても言及されています。
コロンボの初期の「刑事哲学」を示す台詞は、ファンにとって重要な意味を持っています。当時の制作状況を反映する「書き割り」のような背景や合成ショットは、ユーモラスな観察対象となっています。
フレミング博士のアパートからの眺めなど、同じ背景が後のエピソードで再利用されていることを発見し、一種の「イースターエッグ」として楽しんでいます。
【第7章】「殺人処方箋」が遺したもの:テーマとテレビ史への影響
「殺人処方箋」は、単に人気シリーズの第一歩となっただけでなく、テレビドラマにおける刑事像やミステリーの語り方に大きな影響を与え、今日まで語り継がれるべき多くのテーマを提示しました。
確立された主要テーマ
階級闘争/社会批評: よれよれのレインコートを着た労働者階級のコロンボと、裕福で洗練され、しばしば傲慢な犯人との対立。フレミング博士はその典型です。この構図は、しばしば上流階級の特権意識への批判を暗示しています。
知性と傲慢さ: コロンボの隠された才能と人間性への深い理解が、しばしば傲慢さと過信によって曇らされた犯人の知性に打ち勝つ様。
正義の本質: どんな「完璧な犯罪」も白日の下に晒すという、コロンボの執拗なまでの正義の追求。
欺瞞における心理的リアリズム: コロンボが心理学を駆使して容疑者を追い詰める方法、そして犯人自身の心理的な欠陥が破滅へと導く様が描かれます。
「倒叙ミステリー」のテレビにおける先駆的役割: 文学作品には存在したものの、「コロンボ」(「殺人処方箋」に始まる)がテレビでこの形式を普及させました。
「フーダニット(誰が犯人か)」ではなく「ハウキャッチェム(どうやって捕まえるか)」というアプローチ: 視聴者は最初から犯人を知っており、サスペンスはコロンボが謎を解き明かす過程から生まれます。
テレビにおける刑事の典型とジャンルへの影響
コロンボは、タフでハードボイルドな従来の刑事像を打ち破りました。彼は非暴力的で、銃を嫌い、腕力よりも知力に頼りました。
彼のユニークな個性(よれよれで、腰が低く、一見ぼんやりしているが実は鋭敏)は、新しいタイプのテレビヒーロー像を創造しました。
このシリーズは、刑事ドラマがアクションよりもキャラクター主導で心理的な決闘に焦点を当てることができることを証明しました。
【第8章】トリビア&裏話:もっと知りたい「殺人処方箋」
「殺人処方箋」には、作品をより深く楽しむための興味深いトリビアや裏話が隠されています。
コロンボの初期の姿と小道具
ピーター・フォークは、1967年にニューヨークで雨に降られた際に15ドルで購入した自身のレインコートを着用していました。スーツや靴も私物だったと言われています。
このエピソードでは、彼の髪型は整っており、全体的に後のシリーズほどよれよれではありません。
葉巻はすでに小道具として登場していますが、フォーク自身はどちらかというと紙巻きタバコを好んでいたそうです。
「ロイ」から「レイ」へ
フレミング博士の名前は、「イナフ・ロープ」と舞台版では「ロイ」でしたが、ジーン・バリーが演じたテレビ映画版で「レイ」に変更されました。
「スタール邸」との関連
ジョーン・ハドソンの豪華な邸宅は、ロサンゼルスに実在する建築学的に重要な「スタール邸(ケース・スタディ・ハウスNo.22)」です。「駆け出しの女優」にしてはあまりにも立派な住まいです。
連続性の矛盾点と観察眼 (熱心なファン向け)
- シーンによってコロンボの髪型やもみあげの長さが変わる
- ジョーンに濡れたまま抱きつかれたフレミング博士のスーツが全く濡れていない
- フレミング博士のアパートからの眺めが、深夜1時のはずなのに夕暮れ時のように見えることがある
- 日本のファンは、アカプルコの背景やフレミング博士のアパートの窓からの景色が「書き割り」のようであると指摘しています
「テレビ史上最も長い舞台待ち」
ネットワークの幹部たちは当初、コロンボの登場が遅いことを懸念し、「テレビ史上最も長い舞台待ち」と呼んだそうですが、レヴィンソンとリンクは譲りませんでした。
まだ犬もプジョーもなし
コロンボの有名なバセットハウンド(ドッグ)やプジョー403コンバーチブルは、このエピソードにはまだ登場しません。これらの象徴的な要素は、後のシリーズで加わったものです。
【結論】なぜ「殺人処方箋」は今も語り継がれるのか

「殺人処方箋」が今日まで多くの人々に語り継がれ、愛され続けているのには、明確な理由があります。
不朽の魅力の要約
- テレビ史上最もユニークで愛される刑事の一人、コロンボ警部補の鮮烈な登場
- コロンボと、手強く知的な犯人との間の、手に汗握る「猫と鼠」の駆け引き
- ピーター・フォークの、初期段階でありながらも観客を惹きつけてやまない、まさにハマり役と言える演技
- 従来とは異なる知的な満足感を与える、倒叙ミステリー形式の力強さ
- 当初の困難を乗り越え、象徴的なシリーズを見事に始動させた、質の高いテレビ映画としての完成度
テレビ史における位置づけ
「殺人処方箋」は単なるシリーズの始まりではなく、テレビドラマの新しい可能性を切り開いた作品です。従来の刑事ドラマの常識に挑戦し、知性と心理戦を前面に押し出した本作は、独自の語り口とキャラクター性で視聴者を魅了しました。
ピーター・フォークが演じた一見平凡な刑事が、知恵と粘り強さで傲慢なエリートを打ち負かすという物語は、時代を超えて共感を呼ぶ普遍的な魅力を持ちます。この「殺人処方箋」で確立された型は、その後のミステリードラマに大きな影響を与え続けています。
よれよれのレインコート姿で「もうひとつだけ」と言う彼の姿は、今もなお私たちの記憶に鮮やかに残り続けています。
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