「パットン大戦車軍団」あらすじとネタバレ

ドラマ(洋画)

第二次世界大戦でその勇猛果敢な戦い方で有名だったアメリカ軍のジョージ・パットン将軍を描いた作品です。

アカデミー賞では9部門でノミネートされ、作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞など7部門を受賞しました。

「パットン大戦車軍団」作品紹介

監督:フランクリン・J・シャフナー(監督賞)

脚本:フランシス・フォード・コッポラ / エドマンド・H・ノース(脚本賞)

製作:フランクリン・J・シャフナー

出演者:ジョージ・C・スコット(主演男優賞) / カール・マルデン / スティーヴン・ヤング / マイケル・ストロング

音楽:ジェリー・ゴールドスミス(ノミネート)

撮影:フレッド・コーネカンプ

編集:ヒュー・S・ファウラー(編集賞)

美術:ウーリー・マックリアリー / ギル・パロンド / アントニオ・マテオス / ピエール・ルイ・テヴェン(美術賞)

録音:ダグラス・ウィリアムズ / ドン・ベースマン(録音賞)

配給:20世紀フォックス

公開:1970年2月4日(アメリカ) / 1970年6月27日(日本)

 

 

ジョージ・パットンはどんな人?(あらすじとネタバレ)

正式な名前はジョージ・スミス・パットンと言います。彼はアメリカ合衆国設立当初から続いている由緒正しい軍人一家の息子として1885年に生を受けます。

子供の頃から将軍になろうと思っていたパットンは、妹と軍人ごっこをしている時に自らをパットン中将と名乗っていました。

士官学校卒業後、1912年に開催されたストックホルムオリンピックにおいて、近代5種競技の代表として出場。5位入賞を果たします。

古典文学と戦史を好み、輪廻転生、北欧神話の信仰者でもあったパットンは、自らををカルタゴのハンニバル将軍の再来であると主張していました。

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第一次世界大戦〜

1916年のメキシコ国境戦役での戦功で評価をあげたパットンは、第一次世界大戦が始まったときに大尉に昇進します。

そして負傷したことで大佐にまで昇進しますが、第一次大戦が終わると、少佐に降格します。

1919年、まだ大尉だったドワイト・D・アイゼンハワーと親友になります。アイゼンハワーは後にヨーロッパ戦域の連合国軍最高司令官となり、第34代アメリカ合衆国大統領になる人物でした。

しばらくは平和でしたが、パットンは根っからの戦争屋でした。戦争の無い平和な期間はパットンにとってはくつうだったようで、娘の親友と不倫をして離婚寸前になったり、アルコール依存症寸前になったりとかなり不安定な生活を送ります。

しかし戦争の気配がするようになると落ち着いてきて、1938年に大佐に昇進した頃には生気が満ち溢れていきます。

その後アメリカ軍が機甲師団を新しく編成し、パットンはその能力が認められ准将に昇進、機甲旅団長に着任します。この機甲旅団は後にアメリカ第2機甲師団となり、パットンも少将に昇進しました。

そして第二次世界大戦が始まり、1943年の北アフリカ戦役の頃から退役までの出来事が映画で描かれます。

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第二次世界大戦〜

子供の頃の名乗っていた中将に昇進したパットンは、ドイツ軍によってカセリーヌ峠の戦いで大敗を喫したアメリカ軍兵士を10日間あまりで再教育します。

 

厳格に規律を守るように命令し、軍規を守らなかったものには容赦なく罰を科し、今までと全く違った厳しい訓練を行い、北アフリカ駐留のアメリカ軍を叩きなおします。

その後ドイツ軍と再戦しこれを撃破。ドイツ軍を北アフリカから撤退させます。

その勢いで今度はイタリアに上陸します。共同戦線を張っていたイギリス軍のバーナード・モントゴメリーの進軍が遅いことにイラつき、もともとモンゴメリーが目指していたメッシナを先に攻略します。

その頃、ある野戦病院を見舞ったパットンは、外傷がないものの精神的に疲弊し、気力を失っていた兵士に対して「ここにずっといるなら俺が最前線に送ってやる」と言ってその兵士を殴ります。

それが連合国最高司令官だったアイゼンハワーに知られ、猪突猛進で言うことをなかなか聞かないパットンを疎んじていた司令部の判断で一気に大事件として報道されてしまいます。

まわりから批判を浴び、さらに前線指揮官の地位を剥奪されパットンは自らその兵士と現場にいた兵士達に謝罪しますが、最前線に参加することを禁止され、その後カイロで10ヶ月近く待機する羽目になります。

その後、前線指揮官に復帰したパットンはフランスで怒涛の攻勢を見せ、1945年始めにドイツ軍をバストーニュ周辺から撤退させ、これがドイツ軍降伏への決定打となります。

ドイツ降伏後、ナチスに所属していた事自体が罪だと思っていなかったパットンは他の指揮官と違って占領地域での非ナチ化政策は行わなかったことと、「ドイツ国民にとってのナチスは、アメリカ国民にとっての民主党や共和党と同じようなものである」という趣旨の発言をしたことでメディアや国民から大バッシングを受けます。司令部もこれを重く受け止め、パットンは小規模な部隊に左遷させられます。

映画では昔の部下で、その後の立場は逆転したものの、共に戦ったオマール・ブラッドレーと食事の約束をしたところで物語は終わります。

「パットン大戦車軍団」感想

単なる戦争映画としての戦闘シーンを入れつつ、政治的な描写もアメリカ以外の他の国を含めた話を取り入れているため。3時間という長丁場が全く飽きずにさらっと見ることが出来ました。

最初は傲慢で嫌なやつだと思っていましたが、子供がそのまま大人になったようなパットンの言動や行動を見ていると可愛さすら感じてしまいます。

基本的に戦闘シーンはおまけのような扱いですが、かといって戦闘シーンがおざなりかというと全くそんな事はなく、クライマックスのバルジの戦いのシーンなどは、本家「バルジ大作戦」より出来が良いと思います。

パットンのその後

映画の終盤でブラッドレーと歩いている時に無人の荷馬車が坂で暴走し、パットンに向かってきます。ブラッドレーがパットンを引っ張ったため何事もなく済みます。

その時パットンは「戦場で死なないのに、荷車で死んだらシャレにならん!」と言って笑うシーンがあります。

しかし実際には同じようなことが原因でパットンは突然亡くなります。

ラストから二ヶ月後、将軍らと共に狩猟に出かける途中、後部座席に座っていた車がアメリカ陸軍のトラックと衝突し、前後部座席の間のパーティションに頭を打ちつけて頚椎を損傷。

意識はあるものの首から下の体が完全に麻痺状態となり、その約二週間後に肺塞栓症で死去しました。

 

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