「日本暗殺秘録」実際に起きた事件の詳細 その3 「ギロチン社事件」、「血盟団事件」について

映画

前回紹介した「日本暗殺秘録」の3回目の紹介です。

今回は「ギロチン社事件」「血盟団事件」について、史実を中心に紹介していきます。

 

「ギロチン社事件」

映画では古田大次郎(高橋長英)という青年が、河原にて友人に「民衆に圧政を敷いている権力者に鉄槌を加えたい!」と話しているところから始まります。

そして友人に「爆弾を買いたいからお金を貸してくれないか?」とお願いするも、テロに反対する友人はもちろん貸してくれません。

「ああー、お金がほしいなー」とつぶやきながら去っていきます。


古田大次郎は同志たちとテロリスト集団「ギロチン社」を結成し、資金集めのために銀行員を襲って金を奪おうとします。そして争っている際に脅すつもりで持っていた短刀で銀行員を殺してしまいます。

これにより古田大次郎は死刑を宣告され、死刑執行の日を迎えます。

自分の部屋から絞首台まで、本人が書いた「死の懺悔」のナレーションが流れながら古田大次郎がゆっくりと歩いていくところで終わります。

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事件までの経緯

ギロチン社が出来たきっかけは、政治思想家である大杉栄が関東大震災直後に憲兵隊司令部内で不慮の死を遂げたことから始まります。「甘粕事件」


これに怒ったのが、これまた無政府主義者(アナーキズム)の中浜哲です。彼が古田大次郎と組んで「ギロチン社」を結成します。

大杉栄と他2名を殺したのが東京憲兵隊麹町分隊長の甘粕正彦だと知った中浜哲は、同志の田中勇之進とともに、正彦の弟で17歳の照仁の襲撃を計画します。しかしそれは失敗し、田中勇之進は警察に逮捕されます。

その2週間後、古田大次郎、河合康左右、小西次郎、小川義雄、内田源太郎とともに、大阪府下布施の十五銀行小坂支店を襲撃。そこで古田大次郎が銀行員を刺殺して捕まります。

中浜哲も古田大次郎とともに死刑宣告を受けて、半年後に死刑執行されました。

 

 

「ギロチン社」に参加していた若者たちの群像劇を描いた「シュトルム・ウント・ドランクッ」や「菊とギロチン」という作品では、これについて詳しく描かれています。

 

「血盟団事件」

法廷にて、小沼正が「体が悪いそうだが、疲れるのだったら椅子にすわったらどうだ?」と裁判官に聞かれると、「腹に力が入りませんので、このままでよろしゅうございます」と答えるところから始まります。

小沼正は1932年2月9日に前大蔵大臣の井上準之助を拳銃で殺した罪で法廷に立っていました。彼がどのような人生を歩み、血盟団に入り、凶行に及んだのかが、100分に渡って描かれていきます。

 

上京してきた、まだ純粋無垢だった小沼正は、呉服屋に働いていたがあまりいい待遇をされず、使いっ走りのような仕事をされていた。その呉服屋は不景気で倒産。

その後に就職したカステラ工場では、やさしい主人とその家族、周りの仲間とも気が合って、働きがいがある職場だった。そこでたか子(富司純子)と出会う。2人はお互い、自分の気持ちを素直に伝えられないものの、相思相愛であった。

主人である 落合初太郎( 小池朝雄 )は銀行が貸してくれないからと高利貸から借金をする。天皇陛下の即位大礼に献上するカステラの権利を勝ち取るために工場を新たに作る計画を立てていたためである。

工場ができたものの、稼働するには警察の許可が必要だった。しかし警察側はなにかと難癖をつけ、結局即位大礼には間に合わなかった。その後の売上は上がらず、工場建設の借金だけが残り、そのカステラ工場は倒産するのを待つだけになる。

仲が良かった従業員たちは手のひらを返すように「給料を払え!」と言い出し、あげくは連判状を持ち出して「この工場の処分を自分たちに任してほしい」とまで言い出す。

慕っていた落合が従業員たちから責められているのを見過ごせず、そのことに怒った小沼は他の従業員たちと殴り合いの喧嘩になるが、殴られていた1人の従業員に「独身のお前にわかるはずがない!家には俺の稼いだお金を待っている女房と子供がいるんだ!この世の中、暮らしていくにはこうするしかないんだ!」と言われ、小沼はそれ以上殴ることができなくなる。

カステラ工場は倒産し、いい感じだったたか子とも一旦別れることになる。

 

理不尽な世の中を恨むようになっていた小沼は、宴会の席で酒を飲んで父親に殴られたりと、だんだんと生活が荒れていく。

そんな小沼をみかねた友人のすすめで立正護国堂という寺に案内される。そこで日蓮信仰と国家革新の思想を唱える井上日召(片岡千恵蔵)と出会う。そこでも小沼は大声で「南無妙法蓮華経〜南無妙法蓮華経〜」と唱え始めて、井上から叱咤される。

 

もともと病気がちだった小沼は病院にいくものの、治療費が高額なため、満足な治療ができず、半ばあきらめていた。そこで出会った民子という女性と恋仲になる。その民子は重い病気にかかっていた。民子は「まだ治るかもしれないから、お金をためて治しなさい」と言ってくれていた。

そんな民子の家は貧乏だったため、民子はろくな治療ができず、小沼が見守る中、布団の中で病死する。

 

人生に絶望した小沼は海で入水自殺をはかる。しかしどうしても波に押し戻されて岸に投げ出される。疲れきった小沼の前に太陽がのぼり始める。その太陽を見た小沼は無意識に手を合わせ「南無妙法蓮華経〜南無妙法蓮華経・・・」と大声で力強く唱える。

小沼は井上日召のもとで身の回りの世話をすることになった。井上日召のもとには多くの青年が出入りしており、その中には海軍軍人の藤井斉(田宮二郎)もいた。藤井は「行動し、破壊しないと日本は変わらない」と唱えており、その言動は海軍内でもしばしば問題になっていた。

井上日召や藤井斉と過ごすうちに小沼の中にも「革新しないといけない」という考えが日々大きくなっていった。

そんな時、あるカフェ(おさわりバーのような場所)で働いているたか子と再会する。お酒やタバコをたしなみ、日々の暮らしに絶望しながら自堕落な生活をしているたか子を見て小沼の革新への考えは増大していき、ついに前大蔵大臣の井上準之助を暗殺することを決める。

暗殺の前日、リーダー的存在だった藤井斉の戦死の報を聞いた小沼にもう迷いはなかった。

1932年2月9日、総選挙の応援演説のため、東京・本郷の駒本小学校を訪れた前大蔵大臣の井上準之助が校門にさしかかった時に、小沼は背後から銃弾3発を撃ち込み、井上準之助は第1弾を右胸部、第2弾を左腰部、第3弾を脊椎に撃たれて絶命する。

捕まって連行されているときに小沼は、井上準之助が死んだことを確認し、薄ら笑いを浮かべる・・・

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千葉真一について

もともと純粋だった青年が、暴力による革新へと突っ走っていく・・・その青年役を演じたのは千葉真一(現・サニー千葉)です。息子さんは現在、映画やドラマで大活躍の新田真剣佑です。

千葉真一さんは、アクションスターとして有名で、ジャパンアクションクラブ(JAC)を設立した人としても有名です。

私の中では、「殺人拳シリーズ」の拳法の使い手、「仁義なき戦い」のヤクザ、さらに当たり役といわれた柳生十兵衛役の印象が強すぎて、「このような役柄も若い頃はやっていたのか」と驚き、しかし新鮮であり演技力の高さを再認識できた作品でした。

実際に小沼正が千葉の撮影シーンを見に来ていたときに、「千葉さん、良かったです。本当にあの通りの気持ちでした」といわれるほど、小沼正を見事に演じていたそうです。

 

実際の事件の詳細とその後

逮捕された小沼は、井上準之助を暗殺した理由として、「旧正月帰郷した時、百姓の窮乏見るに忍びず、これは前蔵相のやり方が悪かったから殺意を生じた」と語っています。

その後の彼の人生ですが、事件から2年後の1934年11月22日、無期懲役の判決を受けます。しかし1940年に恩赦で仮出所します。

1949年に業界公論社社長を務める傍ら右翼活動を続け、1978年1月17日に66歳でこの世を去りました。

血盟団が起こした事件と顛末

血盟団としての暗殺事件は、小沼が起こしたものが最初でした。その後、多くの要人を暗殺しようと計画されますが、実際に行われたのは三井財閥の総帥(三井合名理事長)である團琢磨の暗殺だけでした。

 

メンバーの1人、菱沼五郎は1932年3月5日(井上準之助暗殺の約1ヶ月後)にピストルを隠し持って東京の日本橋にある三井銀行本店の玄関前で待ち伏せし、出勤してきた團を射殺、菱沼もまたその場で逮捕されました。

 


指導者だった井上日召は3月11日に警察に出頭し、関係者14人が一斉に逮捕されました。

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