「日本暗殺秘録」実際に起きた事件の詳細 その1 「桜田門外の変」と「紀尾井坂の変」について

映画

日本国内で起きた暗殺・テロなどを主導者などの目線から表現し、見方によっては暗殺やテロを美化しかねないような、少し危険な作品です。ここで紹介された事件は、幕末の「桜田門外の変」から始まり、昭和に起こった「二・二六事件」までの9つとなります。

しかし恋愛要素を少し盛り込んでおり、さらに出演陣がオールスターキャストのため、エンターテイメント作品として成立していると思います。


この作品は1969年度の芸術祭参加作品として公開され、その年の京都市民映画祭では千葉真一が主演男優賞、笠原和夫が脚本賞を受賞しました。

 

今回は作品内で起こった事件の詳細を少し解説も交えながら、書いていきます。

しかし長くなりそうなので、3〜4記事に分けて書いていきますのであしからず・・・

史実はどうだったのか・・・かる~くざっくり説明しますので、少し知識を蓄えていただければ幸いです。

「日本暗殺秘録」作品紹介

監督:中島貞夫

脚本:笠原和夫 / 中島貞夫

原作:鈴木正「暗殺秘録」

制作:大川博

配給:東映

公開:1969年10月15日

出演:千葉真一 / 田宮二郎 / 富司純子 / 若山富三郎 / 高倉健 / 鶴田浩二 / 片岡千恵蔵  / 菅原文太 他

 

「桜田門外の変」

まずオープニングでは江戸城・桜田門のそばで雪の中、寒さに耐えながら待っている薩摩藩士・有村次左衛門(若山富三郎)のアップから始まります。

若山富三郎について

若山富三郎は時代劇には欠かせない大スターとして活躍し、1958年のTVドラマ「銭形平次 捕物控」や「人形佐七捕物帳」などで主演。映画でも「賞金稼ぎ」シリーズや「極悪坊主」シリーズなどの主演も果たしました。

弟の勝新太郎が目立っていたため、主演作は弟ほどはありませんが、それ以上に業界では殺陣(剣さばきの演技)は当代随一と言われるほどの名手と評されており、時代劇においては主役でない作品でも、圧倒的な存在感がありました。

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事件の詳細

事件は1860年3月24日に発生しました。

大老に就任した井伊直弼が、幕政を批判する諸藩の藩士たちを捕まえ、結果的に100人あまりが失脚や迫害されてしまう「安政の大獄」に業を煮やした各地の藩士たち数十人が抗議のために立ち上がります。

しかし幕府の取締や、お互いの衝突などで人数がどんどん減っていき、桜田門での井伊直弼への襲撃時には薩摩藩士・有村次左衛門と水戸藩からの脱藩者17人の計18人となっていました。

午前9時すぎ、桜田門から籠に乗った井伊直弼が60人ほどの彦根藩士とともに出てきます。彼らは雨合羽を羽織り、刀の柄、鞘ともに袋をかけていました。

それによって数的優位のはずだった彦根藩士たちは出遅れ、襲撃は成功します。

 

作品では数人が籠に刀を突き刺し、瀕死の状態の井伊直弼を引きずり出した有村次左衛門がとどめを刺して首を切断します。

しかし怪我を負いながらも生き残っていた彦根藩士によって後ろから頭部を切りつけられて有村次左衛門も重傷を負います。そしてその場で短刀を首に当てて自害します。

しかし史実では歩行困難になりながらも井伊直弼の首を引きずって逃走。そして近江三上藩の若年寄・遠藤 胤統邸の門前で自決を図ります。

有村次左衛門は遠藤家藩邸内に収容されますが、同日中に死亡します。

余談ですが、これにより”井伊直弼の首”を遠藤家が入手してしまい、直弼に対しあまり良い感情を持っていなかった遠藤胤統ら遠藤家側と、首の返還を求める井伊家との間で、返還交渉は同日夕方まで押し問答となったそうです。

 

「紀尾井坂の変」

1878年5月14日、不平士族6人によって当時の内務卿・大久保利通が暗殺された事件です。

実行犯は石川県士族の島田一郎(唐十郎)、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一および島根県士族の浅井寿篤の6名でした。(脇田は暗殺にあたり罪が家におよぶのを恐れて士族を辞めて平民になっています)

唐十郎について

暗殺の実行犯の首謀者を演じた唐十郎という役者さんですが、もともとは演出家でした。

アングラ劇団を立ち上げ、東京各地で紅テントを張り、ゲリラ的な公演を行い、逮捕されたこともあったそうです。


しかしその劇団員の中からは、麿赤児、不破万作、大久保鷹、四谷シモン、吉澤健ら、後に根津甚八、小林薫、佐野史郎、六平直政、菅田俊、渡辺いっけいら名優を輩出しており、彼は寺山修司・鈴木忠志・佐藤信と共に「アングラ四天王」と呼ばれていました。

その後、作家としても活躍し、1983年には「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞。

俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演し、今回の作品の他にも1979年公開の「夜叉ケ池」、1986年公開の「ジャズ大名」などに出演しました。さらには他の演出家への戯曲提供も行っています。


ちなみに息子はトレンディドラマの常連だった大鶴義丹さんです。

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事件の詳細

もともと征韓論(明治初期において、当時留守政府の首脳であった西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣らによってなされた、武力をもって朝鮮を開国しようとする主張)に共鳴していた当時軍人だった島田一郎は、仲間を集めて挙兵を望んでいました。

しかしその考え方に反対していた大久保利通は、西郷隆盛や板垣退助ら征韓派と対立し、明治六年政変にて西郷らを失脚させました。

明治六年政変とは、明治6年(1873年)に発生した政変であり、これによって西郷隆盛をはじめとする参議の半数が辞職したのみならず、軍人、官僚約600人が職を辞することとなったことで有名です。

これにより島田たちは政府高官暗殺を決意します。

 

午前8時、馬車で自宅を出発した大久保利通は同行していた御者の中村太郎と従者の芳松とともに、明治天皇に謁見するために赤坂仮皇居に向かっていました。

午前8時30分ごろ、紀尾井坂付近において道のど真ん中にたむろしている2人の青年に「どきなさい」と話しかける従者の芳松に向かって斬りつける青年。

頭から流血した芳松はその場から逃げ出します。

御者の中村太郎は馬をけしかけて、その場を突破しようとしますが、隠れていた他4人が飛びかかって馬車から落ちてしまい中村は死亡します。

暴走した馬は障害物にあたって走行不能。囲まれた大久保利通はその場で刺殺されてしまいました。作品ではここで終わっています。

実際には、そこで島田たちは刀を捨て大久保に一礼をして撤収し、同日、大久保の罪五事と他の政府高官(木戸孝允、岩倉具視、大隈重信、伊藤博文、黒田清隆、川路利良)の罪を挙げた斬奸状を手に自首します。


同年7月、島田以下6人は斬罪(斬首刑)となっています。

 

さて、最初の2つの事件について、史実を中心に紹介していきました。

長くなると思いましたが、実際に「日本暗殺秘録」の中ではまだ8分しか経っていません(笑)

 

あと7つの事件についてはまた次回に紹介していきます。

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