「エディット・ピアフ 愛の賛歌」あらすじ マリオン・コティヤールの圧倒的な表現力は鳥肌もの!

映画

実在のシャンソン歌手”エディット・ピアフ”の生涯を描いた作品。

第57回ベルリン国際映画祭出品作品です。

主演のマリオン・コティヤールは第33回セザール賞主演女優賞と第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞しています。

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」作品紹介

監督:オリヴィエ・ダアン

脚本:イザベル・ソベルマン

製作:アラン・ゴールドマン

出演者:マリオン・コティヤール / シルヴィー・テステュー / パスカル・グレゴリー / ジェラール・ドパルデュー 他

公開:2007年2月14日(フランス) / 2007年5月31日(チェコ) / 2007年6月22日(イギリス) / 2007年9月29日(日本)

制作:フランス / イギリス / チェコ

 

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「エディット・ピアフ 愛の賛歌」あらすじ

1918年、パリで母のアネッタと2人ぐらしだった娘のエディット・ジョヴァンナ・ガションは当時3歳。貧乏だったため、歌手だったアネッタは路上やカフェで歌って小銭を稼ぐ生活をしていた。

 

戦地に行っていた夫のルイは「エディットを置いてトルコに行く」とのアネッタからの手紙を受け取る。ルイは一旦戦地から戻り、自分勝手なアネッタからエディットを奪い取る。

しかし戦地に戻らねばならなかったルイは、ノルマンディーで売春宿を経営している祖母ルイースにエディットを預ける。

母親は娼婦たち

エディットはティティーヌを中心に娼婦たちに可愛がられ、それなりに幸せだったが、売春宿という環境のせいか、ひどい角膜炎を起こし失明状態になってしまう。

ティティーヌたちはエディットを連れて聖女テレーズの墓参りとともに、視力が戻るように祈願する。その後もティティーヌたちはエディットを我が子のように世話をし続ける。

エディットが7歳のとき、聖女テレーズへの祈りが通じたのか、エディットの視力が奇跡的に戻る。

 

しかし母親たちとの別れは突然で、ルイが戦地から帰ってきて「大道芸人に戻る」と言ってエディットを引き取りに来る。ティティーヌはエディットを連れて行かせまいとし、そしてエディットも泣き叫ぶが、ルイーズが仕方なく間に入ったことでティティーヌたちと別れることになる。

出発点

1925年、10歳になったエディットはサーカスの裏方の手伝いをしながら、ルイとの生活を送っていた。

しかしサーカスの一団と折り合いがつかなくなったルイはサーカスを離れ、1人で大道芸人として生活していくことを決意する、

しかしルイ1人の芸では少しのお客からのまばらな拍手が精一杯。そんなお客から「娘は芸がないのか?」と言われたルイは強引にエディットに「何かしろ」と命令する。

エディットはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌った。その歌声は素晴らしく、そして堂々としていた。エディットが歌い終わると拍手喝采が起こり、多くの人がエディットの帽子に小銭を入れていった。

歌手デビュー

1935年、20歳になったエディットは父と別れ、友達のモモーヌと行動を共にしていた。街角でエディットが歌い、モモーヌが小銭を集める役だった。

ナイトクラブ「ジャルニーズ」のオーナー、ルイ・ルプレが街角で歌うエディットを見つけ、彼女をスカウトする。ルプレは「小さなスズメ」と言う意味の”ピアフ”という芸名を与える。

 

(以降はエディットをピアフと呼称する)

ピアフのナイトクラブでの活躍が話題となり、新聞などにも取り上げられるようになる。

ルプレもピアフを可愛がり、彼女からは”パパ・ルプレ”と呼ばれていた。

しかし翌年、ルプレが犯罪組織に殺されてしまい、その人間たちと知り合いだったピアフは容疑者にされてしまう。それと同時期にモモーヌが母親からの依頼で更生施設に入れられてしまう。

 

その後ピアフは無実となるが、キャバレーで歌を歌っても怒号が鳴り止まないことが続き、彼女の精神は疲弊していった。

その時に手を差し伸べたのはナイトクラブで過去に会っていたレイモン・アッソーだった。彼は3年をかけてピアフに歌い方を一から教えていく。

 

1939年、ピアフはパリの名門ミュージック・ホール「A.B.C」でのステージでデビューし、新聞で大々的に取り上げられる。

 

その後の活躍

映画版ではあまり語られていないため、ここで少し説明を入れておきます。

1940年にはジャン・コクトーが彼女のために脚本『Le Bel Indifférent』を執筆する。ピアフはまた、俳優のモーリス・シュバリエや詩人のジャック・ボーガットのような有名人と知己となる。彼女は自らの歌の多くの歌詞を書き、作曲家達と協力した。

ピアフの代表曲「ばら色の人生」(この曲は1998年のグラミー賞名誉賞を受賞している。)は第二次世界大戦のドイツ占領下に書かれた。この時期彼女は大変な成功を収め、大きな人気を得る。ワン・ツークラブでドイツ軍高官のために歌を歌うことでピアフはフランス兵捕虜との写真をとる権利を得る。それは表面的には士気を高めるためのものとして行われたが、捕虜達は彼女と共に撮った写真から自らの写った部分を切り取って、脱走計画に使用する偽造文書に貼り付けた。今日、ピアフのレジスタンス運動への貢献はよく知られており、多くの人々が彼女によって救われた。

引用:Wikipedia

その後、時は流れて1947年、ピアフはマルセル・セルダンという妻子ある身のボクサーと恋仲になります。

マルセルとの出会いのきっかけ

マルセルはある日パリの酒場に立ち寄り、歌っていたエディット・ピアフと出会います。

「どうして悲しい歌ばかり歌うの?」とマルセルが聞くと、「どうして殴るの?」とピアフは返したそうです。その時に2人は惹かれ合ったようで、ここから恋愛へと発展していきました。

 

ピアフの悲恋

2日毎にラブレターを書いていたピアフ。その後、世界ミドル級王者になったマルセルへの思いはますます強くなっていく。

 

妻子あるマルセル結婚できなくても愛してくれたらいいと思い始めていたピアフはその思いを詩にして、それが「愛の讃歌」となる。

1949年の10月、ニューヨークで公演中だったピアフはマルセルへの思いがつのり、「船で来るなんて待てない、飛行機できて!」と電話する。

しかしマルセルが乗った飛行機は墜落して帰らぬ人になる・・・

 

そのことがきっかけで無気力になったピアフ。以前から服用していた薬は増え、薬物依存の状態になり、まるで老人のように手足が弱って1人では立てなくなるほどに身体はボロボロになっていった。

それでも歌うことはやめず、舞台ではしっかりと力強く歌っていた。しかしその場で倒れそうになることもしばしばだった。

 

そんなピアフはある日浜辺でインタビューを受ける。そこで「女性へのアドバイスは?」と聞かれると「愛しなさい」と答えるピアフ。

「若い子には?」「愛しなさい」

「子供には?」「愛しなさい」

 

そしてエディット・ピアフが舞台で「私は後悔しない Non, Je ne regrette rian 」を歌い終わるところで物語は終わる。


 

 

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「エディット・ピアフ 愛の賛歌」感想

多くの映画であることですが、良さそうな予告編は期待しすぎていつも本編が物足りなくなる感覚に陥ります。

この映画も予告編を見て期待した口ですが、これは圧巻でした。

なんといっても主演のマリオン・コティヤールの演技力は素晴らしいというか、狂気じみているというか、もう文句がつけようがないくらいです。

 

20歳の若々しい血気盛んなときから晩年の47歳(もう老人のような格好と仕草)まで、演じきっています。

 

 

実際のエディット・ピアフは1963年10月10日に47歳の若さで亡くなっています。

彼女のレコードは今も売れ続けており、多くの楽曲が多くの歌手によって歌われています。

世界的に偉大な彼女の生涯を描いた今作。歌声を聞くだけでも見る価値ありますよ!鳥肌モノです!!

 

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